『意味があるのか?』を自問自答する意味はあるのか?
金融市場の目的は資金の配分だとネットに書いてあった。
資金を持つ出資者が資金が必要な企業や個人へ配分し、それにより経済活動を促進し、経済成長と安定に貢献するらしい。
『富の再分配』は『所得格差を是正するために、富裕層や高所得者から所得を徴収し、低所得者や経済的弱者に分配する仕組み』なので微妙に違う。
どこが違うのか?
金融市場では、株式は株価の上昇という見返り、融資は利息という見返りを期待してるが、経済的弱者へは見返りを期待してないところかな?
結局金融市場でも会社の倒産、個人の破産で『見返り』が得られないことは多々あるだろうから、心構えが違うだけ。
エントロピーは常に増大するから、富にしろ資金にしろ一カ所に集まる=富裕層が出現するということは、偏った状態ができるということで、その後、均一になろうとすることは自然なこと。
情報も一カ所にとどまらず、新たな発見とその知識は、クリエイターによって、様々な形にかみ砕かれ、消化され吸収されやすい形になって、情報的弱者に分配される。
では、富にしろ情報にしろ一カ所に集まることに何か意味があるのか?
今のところ『意味なんてない』と考える。
地中にできる鍾乳石や宝石や鉱脈などの結晶、極地の氷河、岩、などの『秩序だった物質』は、地球がした『仕事』の証し。
(やがて自然に崩れて粉々になって砂になるので、結晶はエントロピーが減少した状態)
人間が『仕事』をして富を一カ所に集めることと、地球が『仕事』をして結晶や氷河を作ることとの間に差は無いと考える。
『人間は意識があって、意図して、仕事してるが、地球は自然にそうなった』
とは言い切れない。
人間も地球が作り出した存在だし、人間が『地球には意識がない』と考えるのは、腸内細菌が『人間には意識がない』と考えるのと同じだから、自分たちが寄生してる宿主である地球が何かなんて人間には理解できないだろう。(ガイア理論にあるように、地球が一つの生命なら、人間は地球の細胞ではなく、よそからやってきて寄生したウィルスかもしれない)
宗教的な事を言いたいわけじゃなく、富を集めよう!という努力(仕事)や、信念を結晶化させよう!という努力(仕事)は、『意味なんてない』んだなというのが結論。
『意味があるのか?』と自問自答して苦しむのはやめようというのが結論。




