小説における『面白い』について考えてみる
ごくごく初期の頃は、『小説』だろうが『お笑い』や『ドラマ・映画・漫画』だろうが『面白い』はエンタメ全般に共通で、あるあるや緊張の緩和、予想から少しそれる意外性、関連がありつつ予想から外れるどんでん返し、矛盾の指摘、などがありさえすればいいと思っていた。
しかし、何とかして面白い『小説』を書こうと頑張るにつれ、どうやら『描写』による場景のリアリティが必要であること、登場人物が共感できる性格や感情や過去の経験をもつこと、描写の際には作者の独創的な視点を加えて『興味を引く』ことが必要であると感じた。
つまり『物語世界に引き込む』ことの重要性。
自分が引き込まれるときのことを考えてみれば、登場人物に『わかる~~!』と共感できた時、『やるなぁ!』と感心できた時、描写の視点が『面白い!そこに目をつけるって!』『知らなかった!そうなんだ!』と、好奇心をそそられる時に物語に没入する。
ので、
「それを表現できればいい!簡単な事だ!イイこと思いつくねぇ~~!よっしゃ!」
と大いに意気込んだものである。
しかし、いざやろうとしても、できない。
何も考えず小説を読んでいたころは、『描写は上手いけど内容に共感できないよねぇ。それに落ちが面白くないなぁ』とか平気で批判してたけど、いざやろうとなると、上手い描写が思いつかない。
自分ですら面白いと納得できる描写ができない。
何とか無理やり書いてみても『下手だなぁ~~~!もうちょっと書けると思ったけど』の繰り返し。
描写を省いてどう誤魔化すか?をいつも考えてしまう。
それで悩んで投げ出したくなる。
今、現にその真っ最中。
「悩んでても表面上は『無』なので、とりあえず手を動かし、ちゃんとやりたくなればやればいいじゃん。」
「あと、シンプルに考えて、諦めるべきところは手放し、拘泥わりすぎないように!」
と自分に言い聞かせることにする。
欲張っても実現不可能なら、せめて、やっててちょっとでも『面白い!』と感じられる部分があれば、やればいいし、やめてもいい。
うん。じゃあ、そうすることにします。