独創性について考える
『独創的でありたい』
と思う事は、既に自分が平凡だという自覚があるということで、本物の変人は
『普通の人になりたい、普通の人のなかに溶け込みたい』
と願う。
だが『凡人』だと自覚していても、普通だと思う事が、多くの人にとっての『普通』と一致するとは限らない。
狭いコミュニティの常識(例えば家族内ルール)が、他の集団では通用しないのと同じで、自分内の『普通』を表現してみると、他人には割と面白がられたり、自分内の『面白い』がベタだったりする。
だから気負わず、ありのままの内面を表現しても、万に一つ他人に『ウケる』こともあるだろうから、奇をてらわなくてもいいっちゃいい。
だが、『ウケ』を狙うなら、一番大事なのは、最大多数の『面白い』と『ベタ』を把握すること。
ただし、最大多数が面白がっていることを情報収集→分析→再生産しても、もう既にやってる人が溢れかえって、完成したときには『ベタ』な流行遅れになるだろう。
それを目指すのはあまり勝ち目が無いのでは?
最大多数の『面白』『ベタ』の感覚・感性を学習し身につけて、自作創作物の評価に使うのが正解だろう。
どれだけ、最大多数の『面白』に寄せたとしても、どうしても、自分のクセ=独創性は、創作物におのずと表出してしまうから、気にせず、最大多数の『面白』を目指せばいい、とよく言われるし、それに同意するが、頭が固い。
もうちょっと、自己の内部を解剖・分析し、それを再構築・新創出することを目指したい。
何のこだわり?
があるのか知らんけど。
残された時間は無限じゃないよ!
肝の銘じて、頑張ろう。




