カントの「純粋理性批判」を読んだら『質の悪いSFやファンタジー』嫌いの理由が分かった。
【あらすじ】
すいません!見栄張りました!
正確には、カントの「純粋理性批判」を取り上げて、わかりやす~~~く、かみ砕いて、説明してくれた「100分de名著 NHKテキスト『カント 純粋理性批判 答えの出ない問いはどのように問われるべきか?』 著:西研」を読んだら、なぜ私が質の悪いSFやファンタジーを読めないのか?が判明しました。
ずばり、その答えは『質の悪いSFやファンタジー』が「ア・プリオリな総合判断」と合致しないから。
はい、終わり。で以下は読み飛ばしていただいて結構ですが、一応、拙い説明を試みます。
では、「ア・プリオリな総合判断」とは何か?ですが・・・・
・「ア・プリオリ(先天的)な総合判断」とは、例えばその一つに「3+2は5である」のような数学判断がある。調査してデータを集めることによって得られる知識ではない、幾何学の公理や定理のこと。
・「ア・プリオリな総合判断」の一つに「因果律」もある。
つまり、自然科学の基礎には「ア・プリオリな総合判断」があります。
新たな情報を付加しているのに経験や調査に基づくものではない判断があり、それが「ア・プリオリな総合判断」であるとカントは言います。
では「『ア・プリオリな総合判断』?それってあなたの感想ですよね?」と言われた場合、「そうです。私の主観です。」と答える、その主観とは客観とどう結びつくのか?ですが・・・・
・人々の主観は共通規格(共通の眼鏡)を持っているので、自然認識の基本的な部分(因果律、質量保存の法則など)については共通認識=客観的認識が成り立つ。
・主観の共通規格は二層構造になっており、それは感性+悟性である。
・感性は感覚器官を通じて受け取った感覚。「テーブル、金属製、花瓶、赤い、花」など。
・悟性は「テーブル、金属製、花瓶、赤い、花」という感覚の束を整理・統合して「判断」をもたらすのがその働き。
→悟性の働きによって「テーブルの上に金属製の花瓶があり赤い花が挿してある」と認識できる。
・どんな主観にも共通する規格があり、それは先天的に備わったものつまり「ア・プリオリ」であるとカントはいう。
・ア・プリオリなものは認識の共通な枠組み(感性と悟性)であって、経験によって獲得したものではない
・経験によって獲得した経験概念は「ア・ポステリオリ」(後天的)に獲得する概念(イヌとオオカミを違うとする文化と、同じとする文化があるように文化圏によって異なる概念)のこと。
・人間がア・ポステリオリ(後天的)な経験概念しかもたないなら、科学の知は万人には共有できない。
・悟性はア・プリオリな純粋概念を備えているから数学と自然科学を基礎とできる。
では『質の悪いSFやファンタジー』内で何が起こっているか?を見てみましょう。
①念じただけで、資源の消費を伴わず光や火や音など物理現象が起きる
②重力がある場所で羽根も道具もなく肉体を持った生身の生き物が空を飛べる
③念じただけ、または触れただけで外傷が治る
①③は一応、「原因:念じた」 があり「結果:物理現象が起きる、治癒する」の「因果律」がありますが、「念じた」の自然科学的な説明がなされてません。
②では重力は無視されています。
例外として『質の良いSF』では①②③とも説明されていることもあるし、読み取る側が自分内で補足して読みとることができる場合もあります。
じゃあ『質の悪いSFやファンタジー』とは何か?ですが、その問いに答えるためには「理性」の使い方を説明する必要があります。
・カントのいう狭義の「理性」とは、物事を推理する能力。
・「狭義の理性」は様々な認識や判断をもとにその原因や前提条件を問う。
→例えば始めて来た土地の道の先にあるのは住宅地かな、畑かなと推理する。これは情報を使い妥当な推理ができるし、実際に確かめることができる。この理性は問題がない。
・理性は推理を無限に進めていくことができる。たとえば地球の外はどうなってる?太陽系の外、宇宙空間の果ては?のような究極真理を問うてしまうという本性が理性にはある。
・この理性の暴走は答えの出ない問いにはまりこんでしまう。
→「純粋理性批判」は理性を正しく使用するために理性の能力を吟味するという狙いが込められている。
例えば「磁石を鉄粉に近づけると鉄粉が磁石に引き寄せられる」現象を見た時
・悟性は因果律から「磁石が鉄粉を引き付けた」と判断する。
・理性は、推理して磁石には「磁力」があると一般的な原理を想定する。
・理性は原因・結果のカテゴリーを使ってどんどん推論を進めていくことができ「磁力の原因は?→xxに違いない→xxの原因は?→その原因は?→・・・・」を繰り返しついに「世界の一切を生み出す究極原因」へ行きつこうとする本性を持っている。
これは答えのでないことを求めて理性が「暴走」した状態
・感性と悟性が経験できる共通規格=ア・プリオリな総合判断にとどまっている理性は「そうだよね」と共有できる答えにいたることができる。
・それは具体的な観察や記録に基づいて合理的な推論をすることができるから。
・暴走した理性は共有可能な現象界を飛び出し、際限なく推論を進めて「答えの出ない問い」を作り出してしまい「独断論」になる。
・「答えの出ない問い」とは「魂の不死」、「世界の始まりと終わり」、「神の存在」など確かめようのない問題。
←これを作り出す純粋理性を批判して「答えの出ない問い」を不可能にしようというのが「純粋理性批判」の目的
つまり『質の悪いSFやファンタジー』とは現象界を飛び出し、理性が暴走し「答えのない問い」を作り出しているもので、「そうだよね」と共有できる答えをもたない「独断的」な物語。
特徴としては
・論理的に腑に落ちない・納得できない
・数学・自然科学的におかしい
・ア・プリオリな総合判断から楽しさ・面白さを共有できない
でもまぁ、「世の中楽しんだ者勝ち!」なので、「何を言ってもファンタジーを楽しめないものが負けだよね~~」で終わりな気もします。