面白い文章を書くということ
【あらすじ】
面白い文章を書きたいなぁと思って色々考えながら書いてみました。
私は今日も雑音を発している。
まとまりのない文章。
とりとめのない会話。
答えのない質問。
返してくれるだけでいいあいさつ。
ひけらかしたいだけの知識。
共感してほしいだけの泣き言。
笑ってほしい自虐。
感心されたい情報。
頭に浮かんだたわごと。
雑音が多い情報は意味の純度が低い。
雑音を取り除いていくほど意味が濃縮されてゆき、短い文章で多くの実用性がある。
次々と浮かんでは消えていく雑念はそれ一つでは意味を持たず、同時に起こる周囲の出来事が刺激になっている。
雑念は浮かんだ時に起こっている周囲の出来事、つまり外的刺激に反応して起こるが、時間にも依存している。
その時までに何かを思いつこうとして、そのテーマについてあれこれ考えていることに対する答えである場合や、意識していないがヒントである場合もある。
一つのことについて考え続けるということはその周辺の情報を脳内で探索しているということで、あるとき突然答えがひらめくときもあれば、思いつかない状態という思考の空回りの苦痛に耐えきれず、考え続けることをあきらめるときもある。
答えが出ると脳から快楽物質が出て気分がよくなる。
その答えが正解でも不正解でも。
そこが不思議で、なぜか正解の場合しか気持ちよくならない気がする。
不正解の場合モヤモヤがとれない気がする。
なぜだろう?
全てのヒントや条件を満たす答えを正解とするなら正解に近い程気分がいいということか?チェックリストに多くのチェックがつくほど正解度が高くて快楽物質が多く出るのかな。
一つのテーマについて考える作業は雑音を取り除く作業である。
ひらめいた答えはそのテーマについて幾分かの雑音を取り除いた純度が少し上がったものである。
枝分かれの下の方から枝が少ない上の方に登っていく作業。
はじめは上の部分が隠されていて、一番下の多くの枝だけが見えている。
それらの関連のあるものどうしをまとめれば一つ上の階層の枝が見える。
その一つ上の階層どうしをまとめてまた一つ上の階層の枝になるを繰り返す。
一番上が一番純度の高い情報で、公式や法則と呼ばれる。
純度の高い順に
公式>教科書>論文>エンタメ(映画、漫画、小説、お笑い)>噂話>SNS>挨拶>寝言>雑音・たわごと
だと思う。
音でいうと純粋な一つの周波数の音の波は電子音・ゲーム音で綺麗だが面白くない。
雑音は様々な大きさの様々な周波数の音が混じっていて雑音だけではうるさいが、それがないと音楽は心地よくない。
公式・法則は綺麗でスッキリするが面白くない。
雑音・たわごとはモヤモヤしすぎて興味が持てない。
いい純度の法則といい大きさの雑音がいい塩梅で混ざっていることが面白い。
七割の予測可能と三割の予測不可能があるとき興味深いと感じる。
公式ほどシンプルに書いて、雑音を肉付けしていく?
雑音をどれくらい付け加えるのか。
それがよさそう。
後は推敲。
削るべきは削る。
結論は何?をはっきり示す。
その結論に全体が奉仕するのが理想。
この文章の結論は何?
テーマはずっと「面白い文章」とは何かということ。
結論は『単純な題材に適度な雑音を付け加えればいい』ということ。
見せる順番、引き付ける工夫、納得させる言い回し、などの技術も必要。
これが全てできれば無敵ではないか?