CASE1 ラプンツェル事件 #3
萌乃は、バイト中でも京子の件が忘れられない。
元々、萌乃と京子が仲良くなったのは大学1年生の秋、テニスサークルの飲み会でのこと……
萌乃は先輩から無理やりお酒を飲まされそうになった所を京子が断った。そして、帰り際に一緒になったのがはじまりだ。
それ以来、萌乃と京子はまるで姉妹のように仲がいい。
正義感の強い京子は姉のようで、お人好しの萌乃の事がほっとけない……
だけど、萌乃と一緒にいるお陰で周りの人に優しく接するようになった。
萌乃と歩いていると、道端で人に道を聞かれたり、物を落とした人に声を掛けたり……その度に『ありがとう』と言われる。
京子は京子で彼女から教わっているのだ。
ある日、京子は萌乃に恥ずかしそうに伝えた事がある……
『人助けって悪くないね! あんたのお陰で優しさの意味を知ったよ……』
人に優しくすると人からも優しくされる……
だが、そんな京子は……今は入院している。
事情聴取に来た警察からなぜ、京子が巻き込まれたのか……詳しい事は教えてくれなかったが……人助けをしようとして刺された……ただその事を聞かされた。
彼女は萌乃と関わらなかったら、人に優しくしようとしなかった……人の善意が後悔に変わる瞬間を萌乃は知ることになった……
それでも萌乃は、学校とバイトを休まない……
彼女は真面目な子なのだ……
だが、授業でもバイトでも上の空……ついつい、何度も手からモノが滑り落ちる……
パリーン!
「あっ! ごめんなさい……」
彼女は謝るが声に力が入らず……語尾がうやむやになる。
「いえ……大丈夫ですか?」
「はっ……はい……すいません……グラス……」
「いえいえ、形あるものはいつかは壊れます。そんな事より怪我はないですか?」
「だっ、大丈夫です……」
彼女の元気のなさに違和感を覚えた店長は鼻を鳴らし、玄関へ向かい、入り口にかけてある看板を営業中から準備中に変えて戻ってきた。
「今……お客さんもいないですし……何かお悩みだったら聞きましょうか? もちろん、私なんかに、言って頂けるならですが……」
「えっ、そんな……申し訳ないですよ……わざわざお店の営業中に……」
「私は思うんですよね……」
店長はそう言った後に、小さく頷く。
「よく世間では『仕事とプライベートはわけなさい』って言われるんですが……そこは人間なので個人差があります。仕事や上司によってはそれは許されないと思いますが……うちは個人経営の喫茶店……たかが、1時間営業にしなかったからって、うちの店は潰れないですし……それに、神田さんがこの店に働いている頂けるようになってから、常連さんが増え、売り上げが伸びました。なので、あなたが嫌じゃなければ相談して頂けたら……私としても嬉しいんですよ」
彼女は彼の優しい言葉で、涙が溢れ出る。
彼女は京子以外の友人に今回の件を相談できなかった……
『あんたのせいで京子が刺されたのよ……』
そう誰かに責められるのが怖かったのだ。
店長は彼女を落ち着かせる為に、ホットコーヒーを2つ入れ、テーブルで向かい合い話を聞いている。
「なるほど……まさか、あのお友達が……」
店長と京子は一度この店で顔を会わせた。萌乃のバイト先ということもあり、心配で顔を出したのだ。
「でも、それって神田さんのせいではないでしょ……もちろん上白石さんのせいでもないですし……」
店長は指で顎を掻きながら、顔を傾け考えている。
「一番悪いのは、加害者ですよ。神田さんが自分を責める事はないです」
彼女は店長にそう言われ、少し心が救われた気がして、また、目をうるうるさせる。
「わっ、わたし! 京子の為に何かできないですか?」
彼は萌乃の意外な発言に驚いて、彼女を凝視する。その様子にお構いなしに萌乃は自分の思いの丈を吐き出した。
「わたしじゃ、もちろん、犯人を捕まえる事はできないですが……でもでも、犯人の情報を集める事はできるんじゃないかって……京子は、京子は!……ただ人に優しくしようとして刺された……それなのに……酷すぎる」
「神田さん……僕は思うんです……」
普段、一人称『私』という店長には珍しく『僕』と言われ、萌乃は落ち着いて彼の顔を見返した。
「上白石さんが刺されたのは……確かに、すごく遠回しで事件に巻き込まれた原因が……あなただとする。それであなたは納得するかもしれない……だが、世の中はもっと単純で理不尽だよ。『バタフライエフェクト』って知ってます?」
「『バタフライエフェクト』?」
「はい……まぁ、簡単に言えば小さな要因が繋がってその結果をもたらした……だけどその要因が一つでも抜けると、その結果には至らない……だから、人生なんて所詮すべては運なんですよ……結果が出ないと何とでも言えない……だから、あなたが彼女に教えた『優しさ』がたまたま今回、悪い方に繋がっただけだ。本来なら……良い方向に向かうはずの要因なんですがね」
萌乃は彼の言葉に納得できず、小さく首を振る。
「でも、でも……わたし! 」
「神田さん」
店長は、納得しない萌乃に、普段と違い語気を強めに言った。
「ある哲学者が言っていたんですが……『深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』という言葉あります……」
「えっ」
「端的に言えば、怪物と戦う時、自分も怪物にならないように……と意味です。だが、あなたはわざわざ怪物と戦う必要はないでしょ? 」
彼は冷静に言葉を並べる。それから、一息もらしニコッと笑った。
「 それに、あなたまで事件に巻き込まれて何かあったら……残された家族やご友人、それこそ今頑張ってる上白石さんが悲しみますよ……だから、面倒事には自分から首を突っ込まない……何かあったら逃げる。そうしてください。ねぇ」
彼は、暗そうな萌乃の顔を見て、ほぐすために笑顔を向ける。
カランカラン!
「おーい! 鳥飼!! 店やってる~!?」
二人、常連客がやってきた。
一人は黒のポニーテールの男でうすいロングカーディガンに花柄シャツを着ている。『新宿の魔女』と呼ばれて占い師をしてる男、明智。
もう一人は、スポーツ刈の筋肉質……何をしているか不明な男、黒瀬。
「神田さん、いけますか?」
店長は優しく微笑み、有無を確認する。
彼女は涙をふく。笑顔で答える。
「はい! いけます!!」
喫茶『止まり木』営業再開。