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母の死から、何年か経った――
母の教えを根底に抱くも、生きる為に盗みを働くことは、仕方なかった。
それ以外に、術が無かった。
同じような孤児と出会い、結託するようになり、それを知った同じような仲間が増える。
歳が二桁になる頃には、市場の手を焼かすほどの窃盗団の首領格になっていた――
「もっと大きなこと、やりてえな」
ある日、仲間の一人がそんな声を出した。
「ちまちま盗みを働いてたって、先が見えねえ」
最初は、小さな声だった。
しかし、変わり映えのしない現在を変えようと、やがて賛同する者が増えていった。
しかし、ヴィスカ少年は、頑なにそれを拒んだ――
市場で盗みを働く自分たちは、守られている。
そんな手段でしか生きられない自分たちに、市場の大人達は、あの日の僅かばかりのエンドウを包んだ女の人のように、程度の違いはあれ、施しとしてそれを黙認しているのだ…
貧困街に在る市場。
タマネギ一個を買えば、黙ってもう一つを手渡してくれるような心優しい店主も多かった。
自分たちを、貧しさ故に命を落とした我が子に重ねる者も居る…
そんな僅かばかりの感傷によって、自分たちは生を繋いでいるのだ――
ヴィスカには、それが十分に解っていた。
しかし、理解のできない年下の仲間たちに、それを分からせる術が、どうしたって見つからなかった…
そして、彼は売られた――
「おい、ヴィスカ。憲兵が、お前を探し回ってるぞ!」
ある日の朝、僅かばかりのお金を稼ぐため、荷下ろしの仕事を終えて市場から戻ろうとすると、顔見知りの男が血相を変えて声を掛けてきた。
「え?」
「お前のとこの奴が、盗みに入って捕まったらしい」
「え? 誰が?」
「それは知らん。だけどな、今回はお前らだけじゃなく、他のとこも、何かと理由を付けてやられてるらしい。憲兵の数が違う」
戦が多くなり、孤児が増え、貧困街の治安悪化に伴って、その周辺での窃盗や強盗が増えていくのは、当然の成り行きである。
しかし、根本の原因を正す事は無く、近々、大規模な掃討作戦が行われるだろうという噂は、ヴィスカの耳にも届いていた。
「とにかく、お前は逃げろ」
逃げる?
どこへ?
投げ掛けられた言葉に対して、咄嗟に答えが出てこない。
ヴィスカは、しばしの時間、立ち尽くした。
「あ、居ました。こっちです!」
そこへ、二筋ほど離れた路地の向こうから、貧困街の仲間だった少年がヴィスカを指差して、誰かを呼んだ。
「くっ…」
ヴィスカは本能で、その場から足を離した。
しかし、貧困街の外へ出ても、土地勘は無い。
かといって、貧困街の中を逃げ回っていても、いずれは捕まる。
八方塞がりの中、彼は古びた空き家に飛び込むと、梯子を登って屋根裏へと潜む事にした。
「おい。見つかったか?」
「未だです。リストに上がってる連中のうち、7割は捕まえました」
「まあ、包囲網からは抜け出せん。ゆっくり、探すとするさ」
壁の向こうから、そんな声が聞こえてきた。どうやら、憲兵隊の集合場所が、真裏にあるらしい。却って怪しまれない可能性もある。ヴィスカの頭に、そんな小さな希望が生まれた。
しかし、何故?――
ヴィスカは、必死で考えた。
浅知恵を働かせた無謀な計画が立ち上がる度に、必死で止めた。
故に、自分を疎ましく思う若い連中が増えてきたのは、確かに感じていた…
しかし、それ以外に、仲間と生きる道は無い… 無いのだと、信じ続けた――
ヴィスカには、今の生活から抜け出せる誘いもあったが、慕ってきたあいつらを想って、彼らが自立をするまでは、道標を立てるまではと、躊躇った。
それなのに…
「憲兵さんや」
「なんだ?」
続いて外から、そんな声が届いた。
その一方は、聞き覚えのある声だった。
「ヴィスカって子は、見逃してやってくれんか。あの子は…そんなに悪い子じゃない」
「なんだと?」
「いや、だから…」
「馬鹿を言うな。そいつが指示を出して、何人殺されてると思ってるんだ」
「そんな…あの子は、今日だってワシの荷下ろしを手伝ってくれたんだ」
「そんな事、知るか。捜査の邪魔だ。どけ!」
会話は、そこで途切れた…
ヴィスカ少年は、母が死んだ、あの日以来の涙を流した――
お読みいただき、ありがとうございました。
ヴィスカの少年時代の物語。次話で完結です。




