第9話 共和国に戻って来い
少し辛そうにエドワード様は、わたくしの手を握ってくれた。きっと、まだ気持ちの整理がつかないのだろう。表情から悲しみの音が聞こえてくるようだった。
「戻りましょう、エドワード様」
「……そうだな」
お屋敷に戻り、エドワード様が部屋まで見送ってくれた。
「おやすみなさい」
「……フィセル」
「はい、どうかなされましたか?」
「今日はすまなかったね。君を共和国から連れ出し、義妹から酷い仕打ちを……辛い一日だったよな」
「そんな事はありません。エドワード様はわたくしを救って下さったではありませんか。それだけで今日は儲けです。本当に感謝しております」
「良かった……安心した。おやすみ」
酷く安堵されるエドワード様は、胸を撫で下ろして去っていく。もしかして、わたくしが出て行くとか思っていたのかも。確かに、あのアンリエッタの件はかなり応えた。精神的に参ったし、逃げ出したくもなった。
けれど、エドワード様の存在が大きかった。わたくしは彼のお傍にいたかった……だから諦められなかったし、諦めるつもりもなかった。
「おやすみなさい」
名残惜しい空気の中、扉が静かに閉まる。
しんとした静寂しかない部屋に取り残され、寂しさを覚える。……もっと話したかった。
ふかふかのベッドへ横たわり、彼の事ばかり考えていると瞼が重くなっていく。明日はきっと良い日でありますように。
◆
――扉がドンドンと叩かれ、騒々しい。
そんな激しい音で目覚めて起き上がる。
「いったい、どうしたのでしょう……?」
『フィセル様、今すぐ起きて下さい!』
この声はアドニスくん。
そんな慌ててどうしたのだろう。
扉を開けると息を切らすアドニスくんの姿があった。
「おはようございます。どうかしたのですか?」
「緊急事態なんです! そのままついて来て下さい」
「わ、分かりました」
ついていき、一階にある玄関まで向かう。するとそこには驚くべき光景が広がっていた。
「エドワード様と……えっ」
思わず両手で口を覆う。
どうして……。
どうして彼がいるの!?
プロセルピナ共和国の将軍・ウィリアムの右腕と称される男・カーマイン。彼は、わたくしのサポートもしてくれた方だった。あの時と変わらない姿で彼はそこにいた。この辺境伯領のエドワード様のお屋敷に――。
信じられなかった。
信じたくもなかった。
ウィリアム当人ではないとはいえ、もう二度と顔も見たくなかったのに。
気分を害していると、エドワード様が体を支えてくださる。
「おはよう、フィセル」
「お……おはようございます。エドワード様。あの……その……」
「辛いだろうけれど、早朝、彼が……カーマインが訪ねて来てね。ご覧の通り、彼は話があるようなんだ。僕は君が来るまで話を聞いていたわけなんだ」
「話しって……今更なんですか!」
気持ちが悪くて顔をそむける。
手が震えて、吐き気もして……涙が溢れ出そうだった。一緒の空間にいるのも嫌。
「ごめんね、フィセル。とりあえず、彼の言い分を聞いてやってくれ」
そんなの聞きたくない。
今すぐ耳を塞いで立ち去りたい。
「……まずは将軍の代理として謝罪させてくれ、フィセル」
「……謝罪って」
「許される事ではないのは分かっている。でも聞いてくれ……。昨日、モンスターの大襲来によって共和国は半壊した。被害は甚大でね……多くの犠牲者が出ている。このままではプロセルピナ共和国はおしまいだ」
「でしょうね。わたくしを失った共和国に『守護』はありませんから……。でも、代りを立てたのでしょう?」
「知っていたか。……そうだ。だが、彼らは完璧ではなかった。本当の力を持っていたのはフィセル、君だったよ。それは将軍も改めて痛感されたようでね……『戻って来い』と仰っていた」
……戻って、来い?
ウィリアムは、どの口で言っているの?
「わたくしの両親を殺し、追い出しておいて……なにをふざけているのですか!!」
「それに関しては申し訳なかった。ウィリアムの代わりに土下座して謝罪する。この通りだ」
膝をつき、床に額をこすりつけるカーマイン。あの右腕の彼が……ここまで追い詰められているとはね。つまり、将軍もそれほど焦っているということ。けれど――。
「なぜ本人自らが謝罪に来ないのです。本当に申し訳ないと思っているのなら、本人が来るべきです。それにわたくしは絶対に将軍を許しませんし、二度と会いたくありません」
「そこを何とか頼む……いや、頼みます。このままでは共和国は滅ぶ! 全てを失ってしまう……!」
その刹那でわたくしは、ウィリアムからされた残酷な記憶がフラッシュバックする。……酷い。本当に酷い。残酷で、残酷で、残酷極まりない。どうして、父様と母様が殺されなければならなかったの!?
「……滅んでしまえばいいのですよ」
「……えっ」
「ウィリアム将軍は、わたくしは『大魔女』と断言していましたよね。ええ、その通りです。今のわたくしは大魔女ですから、共和国が禁忌とする魔法使いが手助けするなんて、おかしいですよ」
「そ、それは……いや、そこを何とか……」
「そうお願いしても……父様と母様は生かしてくれなかった。惨たらしく殺されたのです。冷酷で残忍な男にね!」
「…………頼む」
きっと将軍から必ずフィセルを連れ戻して来いと言われているのだろう。カーマインは必死だった。必死に必死に訴えてきた。
だから何?
それで許されると思っているの?
「エドワード様、カーマインを追い出してください」
「いいのかい、フィセル」
「ええ。彼は知らない他人ですし、言っている事も意味不明で怖いです」
「そうか。じゃあ、ヤバイ奴だな」
紅蓮の槍を振り回し、カーマインに向けるエドワード様。
「……ひぃッ!!」
「カーマイン殿。すまないが、帰って戴く」
「そ、それだけはご勘弁を! このまま手ぶらで帰ったら、私は将軍に殺される!!」
カーマインは、わたくしにしがみつこうとして接近してくる。だけど、エドワード様の槍が彼の胴体に命中。カーマインはゴロゴロ転がって玄関の外へ追い出された。
「…………がはっ」
「必死なのは分かるけど、怯えている女性に抱きつこうとするな馬鹿者が。カーマイン、お前はこの地から出て行ってもらう。それと、将軍に二度と来るなと伝えておいてくれ」
エドワード様は、アドニスくんに合図する。すると、魔法がカーマインに掛かって、彼の姿は一瞬で消えた。
その魔法に驚いたけど、何よりも共和国がまたわたくしを必要としていた事に嫌悪感を抱いた。もう関わらないで欲しい……心底、そう思った。