第6話 辺境伯領と農地
緑が増え続け、果樹園さえも多くなった。
色彩豊かな実をつけた木々が広がる。
「えっと……」
「驚いたかな。僕の辺境伯領はご覧の通り『農地』でね。果物だけでなく、野菜も作ってる。畑も至る所にあるし、牧場だってあるよ」
とても独特な、けれど不快感のない土のにおいがした。これが農地……初めて見た。こんな風になっていたなんて新鮮。
わたくしはずっと『共和国』にいたから、外の世界の事なんてほとんど知らなかった。こうして新しい事を見て学ぶのは楽しい。
馬車は静かに車輪を止めた。
「到着ですよ、エドワード様」
「御苦労であった、アドニス。お前は休め」
「いえ、休んでいる暇はありません。共和国の様子を見なければ……ボクは魔導具を使って探ってみます」
「分かった。無理はするなよ」
頭を深々と下げ、アドニスくんはお屋敷へ入った。
「ここが辺境伯領のお屋敷なのですね」
「ようこそ、我が農地へ。フィセル、君を歓迎するよ」
色鮮やかな赤い瞳でわたくしを見据えるエドワード様。なんてお優しい目。そんな風に見られると、少し胸がドキドキする。……わたくし、どうしたのかしら。
彼の背を追って幅の広い玄関へ。
そこにはメイドさんがいて迎えてくれた。なんだかキレイな人。
「おかえりなさいませ、主様」
「屋敷は変わりないな?」
「ええ、アンリエッタ様が寂しがっていたくらいです。今は大広間におられるかと」
「そうか、アンリエッタが……仕方のない義妹だ」
これは意外。エドワード様には妹さんがいたのね。
「エドワード様……」
「おぉ、そうだ。フィセルにも紹介しておこう。行こうか」
連れられて通路を歩いていく。
こんな広い建物は初めて。
これが貴族のお屋敷。
芸術的な絵画と立ち並ぶ甲冑。
煌びやかで素敵。
感動していると、大広間につく。
その窓辺に立つ少女。
栗色の長い髪。硝子のように透き通った肌。貴族らしい緋色のドレスに身を包む。彼女は、エドワード様の存在を認めると眉を吊り上げた。
「遅かったじゃないの、兄さん」
「悪い、アンリエッタ。急な用が出来てね」
「急な……用? まさか、その隣にいる銀髪の女?」
ジトッとした目でわたくしを観察してくる。なんだか……怖いなぁ。
「そうだ、名をフィセル。彼女は『共和国』の大聖女様だ。わけあってこの屋敷に連れてきた。今日から住むから面倒を見てやってくれないか」
「……に、兄さんそれ本気?」
「嫌か?」
「嫌も何も……共和国の人間は敵よ! あの戦争『ソールズベリー』だって……」
「それはもう過去の話だ。将軍が敗北し、撤退した」
「ええ、兄さんが将軍をやっつけたんでしょ。だから、兄さんは英雄なの。なのに、こんな土臭い農地で暮らすとか……帝国のお城にだって住めたのに」
……え。エドワード様が将軍を? そうだったんだ。まさか、エドワード様の片目も戦争で傷を負って……? だから『隻眼』なのかな。
知らなかった真実を知って、わたくしは妙な気持ちになる。……落ち着かない。
「僕は英雄なんかではないよ、アンリエッタ。農業をこよなく愛する辺境伯さ。とにかく、フィセルと仲良くやるんだぞ。僕は一度部屋に戻るから」
笑みをわたくしに向けてくれるエドワード様は、大広間から出ていく。アンリエッタと二人きりになった途端、彼女は豹変した。
「……共和国の人間がなんでこんな所にいるのよ、気色悪い」
「ひ、酷い……」
「酷い? どっちが! いいから、さっさと出て行ってくれないかしら」
「え……」
「兄さん、ずっとアンタしか見てなかった。……兄さんは私と視線を合わせてくれなかったの。こんなの初めて! アンタは邪魔。今すぐ消えて」
そんな……やっと共和国から逃れて来たのに。……いえ、ここで弱腰になってはダメ。まずは仲良くなる努力をしないと。
「わ、わたくしは『フィセル』です。よろしくお願いします」
「ふぅん……まあいいわ。ここで追い出したら、私が悪く思われるもの。だからね、覚悟しなさい」
そう冷たい口調でアンリエッタは言い放ち、背を向けて去って行く。話が通じない……なんて子なの。あれでは仲良くなるなんて到底無理。
落ち込んでいると、入れ替わるようにアドニスくんが現れた。
「どうしたんですか、フィセル様」
「アドニスくん……。いえ、何でもないんです」
「顔色が悪いですし、そうは見えないですけど」
「大丈夫です。頑張りますから」
「無理はなさらず。困った時はボクにも頼って下さい」
「ありがとう。アドニスくんは大人なんですね」
「いやいや、まだまだ子供です」
そんな謙虚なところが好きになりつつあった。うん、アドニスくんは良い子。……けれど、あのアンリエッタは……どうすればいいのだろう。