battle 6 (1)
僕は唐突に気がついた。
あれ?僕、Aのこと何も知らなくね?と。
Aは何故か僕のことを知り尽くしているのにこれでは不公平だと思う。
Aは普段何をしているのか。
何故僕の邪魔をするのか。
1度知りたいと思ってしまったら、気になってしょうがなくなる。
しかしAは僕が死のうとしないと現れない。
1度も、それ以外で会ったことがない。
どこにいるのか見当がつかない。
悔しいが、死のうとしないとAには会えない。
よし、死に方を考えよう。
もうだいぶネタ切れだ。
どうやって死のう。
もう首吊りや一酸化炭素中毒、ガス爆発とかくらいしか思いつかない。
それか病院に行って睡眠薬を処方してもらうか?
病院から処方される薬をすり替えることは、いくらAでも不可能だろう。
でも病院まで行くのはちょっとだけ面倒くさい。
これは最終手段にしよう。
はああ。どうしよう。
試しに検索エンジンに入れてみる。
"自殺 方法"
いのちSOS、手段別にみた自殺、電話相談……
やはり上記に挙げた以外の方法はなかなか出てこない。
それに、やはり自殺を考える人は何かとても大きな苦しみを味わっている人が多いからだと、検索結果から伺える。
一生の苦しみ < 一瞬の苦しみ
この式が覆されない限り、人生に絶望した人が自ら命を絶つ連鎖を断ち切ることは不可能だと感じた。
きっと僕みたいな人は少数派だろう。
退屈な人生、死がなんなのかこの身をもって知りたい。
これが、今僕が死にたどり着きたい理由だ。
おそらく人生に絶望した人は、また新たな希望を見出すことができたならば、死を踏みとどまることが出来るだろう。
だから、もし今人生に絶望している人は新しいことを始めてみるのも一つの手かもしれない。
今の絶望から逃げる、それも良いよね。
逃げは悪いことじゃない。
逃げることができるひとは、強いひとだ。
しかし、人生に絶望した訳ではない僕に、これは当てはまらない。
逃げるものがないからだ。
それに、日に日に死への関心が高まってしまっている僕は、もう後戻りできないだろう。
そんなことを考えながら検索結果を眺めていた。
そして、気になるワードがひとつ。
───低体温死───
きっと低体温症で死ぬ、ということだろう。
調べてみると、苦痛もなく、かなりの高致死率らしい。
とてもいいじゃないか。
苦痛がないなら万々歳だ。
それに、部屋をキンキンに冷やして死ねば、発見時に死体が腐敗しきっている、ということも少なそうだ。
よし、これにしよう。
次の死に方が決定した。
なんだかとてもわくわくしてきた。
次こそは死ねるかもしれない。
しかし、Aはきっとまた止めにくるはずだ。
もし止めにこなくても、その時は僕が死ぬのを成功させることが出来るので、僕が損をすることは無い。
止めに来たらAにA自身のことを聞く。
来なかったら僕は僕の死を成功させることができる。
僕はスマホをベッドに放り投げ、横になり天を仰いだ。
さあ、決行はいつにしよう。
そんなことを考えながら、僕はゆっくりと目を閉じた。