Ex:07 無能な勇者と剣王(前世エピソード)
異世界、大和の国。
ここは日本の文化によく似た発展をした、異世界の極東の島国である。
ある日、勇者シンシの宿舎にて。
シンシは、宿舎の裏手でニンジャのミハルから剣の指導を受けていた。
「剣術の初心者が相手の攻撃をさばき続けるのはとても難しいです。最初に一撃を与え、相手がひるんだ隙に全力で逃げることをお勧めします」
そう言って、ミハルは木刀を持ったシンシの手を横から握った。
「中段の構えは剣術の基本です」
シンシの腕にミハルの胸が当たっているがミハルは気にしていないようだった。
ミハルは、少し小柄で進士よりも頭一つ小さい。
目が大きくて小顔な和風美人だ。
ニンジャの修行で鍛えられた手足はすらりと引き締まっている。
ミハルは奥ゆかしく清楚な性格だと思うが,現代人の感覚からすると大胆だったり無防備だったりするのでたまに困る。
「聞いていますかシンシさん?」
ミハルがシンシを見上げていた。
汗ばんだミハルの甘い香りがする。
シンシは、頭を振って煩悩を振り払った。
ちょっと勘違いしそうになったが、ミハルは真面目に剣術を教えてくれているだけなのだ。
「すまない。集中するから続けてくれ」
「もう、仕方ないですね……では」
そのとき、戦巫女のユキナの声が聞こえてきた。
「シンシさん、お客様ですよ」
腰に立派な刀を差した青年がシンシに近づいてきた。
鍛えられた身体で鋭い目つき、今風に言えばワイルド系イケメンだった。
「大和の国の勇者というのはお前か?」
「そうですが、あなたは?」
「俺は、大和の国の剣王でハザマと言う。忍者衆の指南役をやっている。要するにミハルの上司だよ」
横を見ると、ミハルの表情は固い。
突然の上司の訪問に緊張しているのだろうか?
「様子見ですか?ずいぶんと部下思いなんですね」
シンシは漠然と嫌なものを感じていた。
「実はそれだけではない。俺はミハルの婚約者だ」
「ハザマ様、今はその話は」
「勇者よ、ミハルを貸してやるのは今のうちだけだ。優秀な後任をよこすから今すぐにでも返してもらおうと思っている」
ミハルは、俯いて地面をじっと見ていた。
よく見ると握りしめた手がふるふると震えている。
「ミハルさんは、それでいいのかい?」
「私は……もう少しここで働きたいです」
「ニンジャ風情がわがままを言うんじゃない!」
剣王ハザマの怒鳴り声にミハルは息を飲んで身体を固くした。
ニンジャは上司の命令を断ることができない。
「待ってください。そちらの事情はわかりました」
「勇者、ミハルを返す気になったのか?」
「いえ、ミハルさんは弊社の重要なスタッフです。理由なき人事異動は勇者の権限で拒否させてもらいます。彼女がいなくては勇者の業務に支障が出ると申しあげておきましょう」
「な、なんだと?口の減らない勇者め」
シンシは、現代の会社勤めでクレーム対応にも慣れていた。
ミハルは目を見開いてシンシを見つめていた。
「本日のところはお引き取り下さい」
シンシが頭を下げると、剣王ハザマは渋々と帰っていった。
「シンシさん、ありがとうございます」
「あんな対応で良かったのかな? 彼はミハルさんの上司だ。後で迷惑が掛からなければ良いのだけれど」
「うふふ。私がいないと困るのでしょう。私はシンシさんの仕事を全力でお手伝いしますよ。さぁ、剣術稽古の続きをしましょうか」
そう言って,ミハルは嬉しそうに木刀を手渡した。
翌日の午後。
ミハルは、仲間のニンジャの呼び出しを受けていた。
「人手が足りないんだ。今日だけ手伝ってくれ」
「承知しました。夕飯までには済ませましょう」
ミハルは、こう見えて妖刀を扱う手練れのニンジャである。
そして、勇者チームの家事全般を担当していた。
町はずれに出現した魔物の集団は、ニンジャと剣王ハザマの活躍で死者を出すことなく討伐された。
「よーし。任務終了後の慰労会だ。俺のおごりだ。お前ら全員参加するんだぞ」
指揮をとった剣王ハザマが声をかけていた。
「ハザマ様、私は用事がありますので」
「ん?遠慮すんなよミハル。このあいだは熱くなって悪かったな。勇者には俺から連絡をしておくよ。確実にな」
「……わかりました」
ニンジャは上司の命令を断れない。ミハルは渋々頭を下げた。
夕方、勇者シンシの宿舎にて。
シンシは、ユキナと夕ご飯を食べていた。
「夕方にミハルがいないのは珍しいですね」
ユキナがシンシの作ったお味噌汁を一口すすった。
今日の夕食はミハルがいないのでご飯と味噌汁に数種類のお漬物だけだった。
なお、お漬物はミハルの手作りである。とくにぬか漬けが美味い。
「ミハルさんだって、たまには息抜きがしたいだろう。俺は、あの子に迷惑ばかりかけているからな」
「シンシさんって、みんなのことをすごく気にかけれくれているのに、ときどきすごい鈍感ですよね」
「多少は自覚があるが、どういうことだ?」
「シンシさんがいつも自分自身でやっているじゃないですか。あれ無自覚なんですか?」
「余計わからなくなった」
シンシは頭を抱えた。
そのとき、無線通信機からアンネロッテの声が聞こえてきた。
『シンシさん、聞こえますか!ミハルが知らない男と歩いています』
アンネロッテは、無線通信機を受け取ってから積極的に町の巡視・巡回に協力していた。
自分の飛行の才能が活かせる、みんなの役に立つ仕事だと言って進士にとても感謝していた。
「今日は、重要な任務で遅くなると手紙で連絡があったぞ?」
『ミハルさんの様子が変です。酔っぱらっているような。少し具合が悪そうです』
「迎えに行こう。ユキナも手伝ってくれ」
シンシ達は立ち上がった。
夜更け。ある武家屋敷の一室にて。
ミハルが、目を覚ますとそこは和室の一室だった。
ミハルは布団に寝かされていた。
「目が覚めたかミハル」
男の声が聞こえた。
驚いて飛び起きようと思ったが、身体がしびれていて上手く動かすことができなかった。
今夜お酒を口にしていないはずのミハルに対して、何らかの薬物が使用されたことは明白だった。
「は、ハザマ様!?ここはどこですか」
「どこでも良いだろう。今日はお前と二人きりで話をしたくてな」
「ならば、こんなことをしなくても、日を改めて……」
「お前には、ニンジャを引退して俺の嫁になってもらうと思っている」
「今はまだそんなつもりはありません!」
「何故だ?俺はお前を養ってやれるだけの実力がある。お前は、これから俺にだけ尽くせばいいんだ。ニンジャなんて金にもならない汚れ仕事を続ける理由がどこにある?」
「それは……」
剣王ハザマとの婚約が決まった時は、こんなこともあるのだなと思った。
辛く苦しい任務が多いニンジャにとっては玉の輿ともいえる幸運のはずだった。
「仕方ない。こんな手は使いたくは無かったのだが」
そう言って、ハザマはミハルの布団を剥ぎとって馬乗りになった。
「な、なにをするのです!」
ミハルは身体がしびれていて上手く動かすことができない。
「さすがに子供ができればニンジャを続けることはできないだろう?」
「嫌っ!」
ミハルは最後の力を振り絞ってハザマの身体をはねのけた。
周囲に愛用の妖刀は無い。
一回転して自分の手荷物に飛びついた。
護身用の苦無という名の暗器が入っていた。
振り向いて素早く身構えたところで、ハザマに苦無を奪い取られ腕を掴まれて拘束された。
「なかなかやるな」
「まだです!」
ミハルの膝がハザマの急所を狙う。
だが、ハザマも膝を突き上げて防御した。
ミハルの頬を平手で打って床に倒した。
「ははっ、盛り上がってきたな」
ハザマは、獰猛な笑顔でニヤリと笑った。
「助けて……シンシさん」
「やれやれ。今日はお前が誰のものかわからせてやる!」
だが、そのとき精悍な声が響いた。
「そこまでだ!」
ミハルが振り返る。そこにいたのは、勇者シンシの姿だった。
後ろには、戦巫女ユキナと魔法騎士アンネロッテの姿が見えた。
「どうやってこの場所を!?いや、それが勇者の能力ってやつか!」
本当は、先日開発してもらった無線通信機のおかげで間に合ったのだが、シンシは無言で空気を読んだ。
ミハルの手には、通話スイッチの入った無線通信機がある。
ミハルが自分の手荷物に飛びついた本当の理由は、この魔道具を手にいれるためであった。
「大丈夫かミハルさん!」
ミハルの左頬が赤く腫れあがっていた。
肌の白いミハルには、痛々しいほどに目立っていた。
「お前ミハルさんに手を上げたのか!」
「おいおい、ミハルは俺の婚約者だ。ちょっとふざけていただけだ。貴様らは不法侵入だ。部外者はさっさと帰ってもらおうか?」
「今さら、そんな言い逃れができると思うなよ!」
温厚なシンシが珍しく怒っていた。
「へぇ?穏便に済ませてやろうと思ったのに。痛い目を見なければわからないのかな勇者……俺は剣では誰にも負けないぜ」
そう言って、虚空から一振りの刀を取り出した。
「これが、剣王の能力だ。地味だが意外と便利だぜ?」
一方、シンシが構えるのは練習用の木刀だった。
素人が真剣を持って振り回しても自傷して大けがをするのが目に見えていた。
構えは、中段。ミハルに教わった剣術の基本の構えである。
勇者シンシと剣王ハザマが剣を持って対峙している。
「意外とサマになっているじゃないか。構えだけはな?」
「いいからさっさと来い。その自信へし折ってやる!」
進士は、怒りで必死に強がった。
勝算は無いが、ミハルのために意地は通さなければならないと考えていた。
「後悔……するなよ勇者ぁ!」
剣王の一撃は突き。
急所を避けて、真っ直ぐにシンシの左肩付近を突き刺す軌道をとっていた。
普段のシンシであれば認識すらできずに身体を貫かれる速度であった。
だが、そのときのシンシは自分自身を応援していた。
真剣を持った相手と向き合うことすら怖かったが勇気をだしてやせ我慢をしていた。
その結果、勇者スキルの応援と勇気が自分自身に発動していた。
シンシのステータスが大幅に上昇し、気力と体力が回復していた。
すべてが遅い。シンシの知覚神経だけが加速していた。
実は、シンシはひとつだけ剣の振り方を知っていた。
忘年会の宴会芸として練習した木刀折りという技だった。
そういえば、一緒に練習した古武術の免許皆伝だと言っていた後輩は元気だろうか?あいつの方がよほど勇者らしいのになぁと、ゆっくりと近づいてくる剣王の一撃を眺めていた。
『この技は腕力ではなく、重心の移動を使うんだ』
シンシは後輩の言葉を思い出した。
そして、シンシは木刀で剣王の鋼の刀を断ち切った。
半ばで断たれた剣先が、床に落下する音が無音の室内に響き渡った。
いつの間にか剣王ハザマののど元には、木刀の剣先が突きつけられていた。
「なん……だと?」
予想外の決着に、剣王ハザマをはじめその場の全員が呆然としていた。
勇者シンシは戦闘スキルを一切持たずに召喚されて無能な勇者と呼ばれていたはずだった。
「ま、参った……ミハルはお前にやろう」
剣王ハザマは、剣にだけは嘘をつかないと言って素直に負けを認めた。
「ミハルさんはモノじゃない。だけど、遠慮なく連れて帰る」
そう言って、シンシはふらつくミハルを抱き寄せた。
「勇者、ひとつだけ教えてくれ。あれは何だ?あの技は秘伝のみずちという技だぞ」
「あぁ、あれは……忘年会の宴会芸だ。忘れてくれ」
「あの絶技が宴会芸だと!」
剣王ハザマはシンシの言葉に戦慄した。
その後。
ミハルが拉致された武家屋敷の玄関先にて。
ミハルは、シンシを呆然とした表情で見上げていた。
「大丈夫?ミハルさん、顔が赤いよ」
ミハルは、胸のときめきが止まらなかった。
ミハルは、強くて頼りがいがありそうな男性が好みなのだ。
剣王より強くて、自分の窮地を救ってくれた人。
「もう、ダメです……」
好きになってはいけないのに。
「優しくしないで下さい」
好きになってしまうから。
「無理すんなって。背負って行ってあげるから」
ミハルは、我慢できずにシンシの背中に抱きついた。
「しっかりと掴まってくれよな」
はい。もう、離れられそうにありません。
好きです。
「私の勇者さま……」
ミハルは、シンシの首をぎゅっと抱きしめた。
翌日。
シンシは大和の国のお姫様サクヤに呼び出された。
「剣王ハザマと戦ったそうですね」
「お騒がせして大変申し訳ありません」
サクヤ姫自らのお叱りである。シンシは深く頭を下げた。
「いえ、怒っているわけではありませんから頭を上げてください」
「えっ?では解雇通告ですか?」
「勇者さまを解雇したら大和の国は大変なことになってしまいます。そうではなく、あの一件で忍者衆の御屋形様と剣王の連名で謝罪文が届いています」
「それはどのような内容ですか?」
「今日から、ミハルさんはあなた直属のニンジャとなります。また剣王との婚約を解消するそうです」
「なるほど」
シンシはとりあえず頷いてみた。
「責任をとってくださいね?」
「はっ?なんの事ですか」
「これは、一生ミハルさんの面倒をみろということですよ」
「上司と部下として?」
「どちらかというと夫婦のような関係ですよ」
「マジで?」
「うふふ。シンシ様がこちらの世界にいる間だけで良いのです。大事にしてあげてくださいね」
「はい、それはもちろん。いつも大事にしていますよ」
「夫婦としてですよ?」
「そこはご本人と相談して決めたいと思いますので、一度弊社に持ち帰ってから決定させてもらいます」
そういって、シンシは頭を下げた。
これは、ミハルが勇者直属のニンジャとなったときの話である。
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登場人物紹介
剣王ハザマ
大和の国の剣王ハザマは,鍛え上げられた肉体を持つワイルド系イケメンである。
天性の才能と不断の努力で、負け知らずの剣士である。
虚空から剣を取り出すことができる。
最近、ちょっと調子に乗っていたところを、勇者に自信を打ち砕かれる。
実は、ミハルに一目ぼれして婚約を申し込んだ純情青年。
恋するミハルを勇者に取られそうになったので強引な手段をとってしまった不器用な人。
根は体育会系で「剣には嘘をつかない」が信条の武人である。
ある意味勇者被害者のちょっとかわいそうな人。
剣の修行だけでなく、ふつうの対人関係も学んでほしい。