1 序章
人類が敗北しました。
新しいエピソード「1 序章」が追加されました。
1-1 白上美春
ある日、日本で有数のお嬢様学園の校庭に、絹を裂くような女生徒の悲鳴が響いた。
刃物を持った不審者の男が校内に不法侵入したためである。
不審者の男は、大柄で無精ひげを生やし、薄汚れた作業着を着て不快な臭気を放っていた。
「みんなで俺を、馬鹿にしやがって!」
校庭の一角では、数人の女生徒が不審者の男に壁際に追い詰められていた。
「へへっ、全員美少女ばかりじゃないか」
不審者の男は、にちゃりと笑った。
「だ、誰か助けて……」「いやぁ……」
女生徒たちは、いずれも良家の子女であるため暴力への耐性などはまったく無く、皆ただ震えるばかりであった。
見かねて、少し小柄な女生徒が不審者の前に進み出た。
「あまり、目立ちたくは無かったのですが……」
肩まで伸ばした艶やかな黒髪。大きな目、整った顔立ちに白い肌。
お淑やかで奥ゆかしい純和風の美少女だった。
手には、校内清掃のための使い古した竹ぼうきを持っている。
「そのような行為に意味はありません。もう、やめて下さい」
その女生徒の瞳には、怯えの色は全くなかった。
「な、生意気な!お前に一生残る傷を付けて、俺の顔を忘れられないようにしてやる!」
そう言って、刃渡り三十センチ程の黒塗りのナイフを取り出した。
警察官に見つかると、銃刀法違反で即逮捕されるような凶器である。
周囲で様子を見ていた女生徒たちの悲鳴が上がった。
「泣いて叫べ!」
男が駆け寄ろうとしたとき、女生徒は竹ぼうきを一閃、踏み出した足を竹ぼうきで払いのけた。
男は、無様に転倒して受け身も取れずに顔面を強打した。
女生徒は、しばらくのあいだ隙の無い構えで反撃を警戒していたが、男にまったく動きが無いことに気付いて、はっと姿勢を直し、スカートの裾を手で整えた。
「あ、あまりにも隙だらけだったのでつい。少し、はしたなかったかしら?」
そう言って、頬に手を当てて顔を赤らめた。
その様子を見ていた、周囲の女生徒達が騒いでいる。
「だ、誰ですのあの方?」
「ご存じないんですの?あの方は、成績優秀、スポーツ万能の特待生、三年生の白上美春さんですよ!」
白上美春は、異世界転生者である。
異世界で死亡したのち現代に転生した。
黒目黒髪、小柄で可憐な和風美少女であるが、前世ではレベル150のニンジャであった。
前世では、斥候と回避型攻撃手を担当し、勇者を助け仲間たちと共に魔王城まで到達したが、あと一歩のところで敗北した。
不幸中の幸いに大賢者の作成した転生の秘術が仕込まれた宝珠を体内に取り込んでいたため、多くの記憶と複数の特殊スキルを保持したまま転生することができた。
そしてある日の夕方。
美春は、前世で死に別れ、現世で探し求めた勇者の転生者と遭遇した。
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1-2 大湊進士
美春は、現世で初めて彼を見かけたとき、脳裏に勇者と共に過ごした日々の思い出が、次々に浮かび上がった。
転生の秘術を行使してまで再会したかった相手である。
再会したら駆け寄って抱きついて、朝から晩まで語り合いと考えていたのだが、実際に出会ってみると感動で、まったく身体を動かすことができなかった。
おかげで少し冷静になれた。
美春は、転生の秘術で前世の記憶を持って生まれたが、おそらく彼は何も覚えていない。
ただ、たましいの色とかたちが同じ別人なのだ。
いきなり話しかけたら困惑するだろう。
美春の前世は、レベル150のニンジャである。
要するに、情報収集の専門家でもあった。
美春は、彼の個人情報の調査から始めることにした。
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調査結果
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大湊進士。年齢二十五歳。
彼の前世は、異世界召喚勇者である。
異世界に召喚された進士は、異世界の平和を守るため現地の仲間たちの協力を得て魔王城まで到達したが、あと一歩のところで敗北した。
現在は、ごくごく普通のサラリーマンである。
黒目黒髪。少しやせ型の体形で手足がすらりと長い。
前世と同じく、周囲を気遣い、頼まれると嫌と言えない性格で、困った人は見過ごせない。
会社では、人より多くの仕事を頼まれて、人の仕事まで手伝いを引き受けている。
毎日よれよれのスーツを着て、朝早くに出勤して深夜に帰宅する。
また、土日祝日も出勤していることが多い。
朝食は食べない。昼と夜の食事はカップめん、またはコンビニ弁当。
祖父母から管理を受け継いだ少し古いが大きな一軒家に一人で住んでいる。
家事全般が苦手なのか、必要最小限の家事しかしないので大きな一軒家は埃っぽく、窓も薄汚れていた。
親しい友人や恋人がいる形跡はない。
趣味は無し。たまに自宅にいるときは昼寝していることが多い。
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「これは放ってはおけないわ……」
彼には現世の生活がある。
幸せに暮らしているようであれば、黙って見守ろうと思っていた。
前世と全く同じ性格で『生まれ変わってもそこは変わらないんだなぁ』と嬉しくもなった。
だが、目の下にクマを作りボサボサ髪でゾンビのようにふらふらと深夜まで働く姿を目撃して、ついに我慢ができなくなった。
美春は、勇者の転生者である青年、大湊進士の生活に介入することを決意した。
今こそ、前世で受けたご恩を返すのだ。
そして、前世では伝えることができなかったこの恋心を成就させたいと強く願った。
「もう少しだけ待っていて下さい。わたしが全力でお世話をしに行きますからね」