第8話:嘆きの森④
あの国から教わったことは、全部が全部無駄ではなかった。
本などで読んだことはあの国が書き換えなどを行ってさえいなければ正しいことである。
魔法を使うために消費する魔力は言わば生命力に繋がっているらしい。
だから自身の魔力が底をついたら、魔法使用者は己の命を守るために体を緊急睡眠状態にする。
もし強制的に魔法を使い続ければどうなるのか。
生命力を魔力代わりにしているのだ。最終的に待っているのは死だけである。
初めての体の崩壊から約六時間後に純は目を覚ました。
太陽が丁度真上に来ていてまぶしい。
今までは魔力の循環といわれても理解することが出来なかったが、今は理解できるし使うことが出来る。
文字通り死に物狂いで魔法を使ったおかげで純は助かった。
今後も崩壊は続くだろうが、自分で治すことが出来ることが分かって良かった。
ただ、魔力量が少ないのならば魔力の回復速度は他の人よりも早いのではないのか?と思っていたのに、教えられた平均回復速度の五時間よりも遅かったことに肩を落とした。
しかしぐずぐずしてはいられない。
寝ている間にかいた汗やついた泥を川で流し、純は隣国へと再び歩き出した。
その夕方。
いつものように夕食と寝る場所を探していた純は、目の前に車二台がギリギリ通れる道を発見した。
この世界には車はない。そして道についている車輪の線は二本。
見たことはないが馬車が通る道なのかもしれない。
「でも“嘆きの森”に馬車が……?」
純の頭には疑問が浮かぶ。
追放される前に言われた嘆きの森の特徴は、とにかく魔物が多いということだ。
瘴気の量が一定値を超えているようで、瘴気をはらうために浄化魔法を使用すればいいのだが、この森はとても広い。数十、もしくは数百の人間の魔力が必要とされる。
だから誰もこの森の浄化が出来ずに魔物の巣窟となっているのだ。
侮辱されながらそのような説明を受けた。そして毎日会う魔物の数に、確かにここは魔物の巣窟と呼ばれてもおかしくはないと思った。
他の場所を知らないから何とも言えないが。
そんな場所にわざわざやってくるのはなぜだろう?
思いつくのは、やはり移動費がかからないから。地図で見たとき、“嘆きの森”を通らずに行こうとするにはかなりの距離が必要に見えた。
それでも納得がいかない。
命の危険を冒してまで通りたくはない。
ならば、通っても平気な何かがあるのか…?
ふと純は薄暗くなっていく周囲の中で、赤い光が見えた。
この森に追放されて始めてこのことだった。
そして恐怖が体に走ったのだ。
(もしかして、追手………?!)
急いでその場を離れる。
生憎今は夕方。いや、もう夜といってもいいだろう。
恐らく純の姿は見えてない。音が聞こえているかもしれないが、それこそ魔物か野生動物か何かと勘違いされただろう。
こんな森の奥深くに人間の少女がいると誰が思う。
かなりの距離を取って、純は木に背を預ける形で座り込んだ。
必死に荒い息を整える。
「ふぅ…………」
落ち着け。大丈夫だ。気づかれていないはず。
ひたすらそう繰り返し、ようやく気分が落ち着いた。
とにかく先ほどまでいた方向は駄目だ。行くことは出来ない。
再び距離を取ろう。そしてご飯を食べて寝よう。
立ち上がり走り出そうとした時、純の耳に誰かの悲鳴が聞こえた。
騎士の声ではない。男ではなく女の声だ。
声の方向へ傾いた体はすぐに止まる。
もしかしたら罠かもと思ったからだ。
純が生きていることを知ったあの国の連中が、あぶり出すために演技をしているかもしれない。
しかし純は走り出した。
もし罠ではなく、本当に命の危機に瀕していたら。そして数日後に自分が見捨てた命が無くなったことを知ったら。
最低だと思う。しかし嫌だと思ったのだ。自分のせいではないが、見捨てたような罪悪感を感じることになりそうなのが。
急いで元の場所に戻っても、それらしきものは見当たらない。
しかし先ほどとは違う車輪の跡があった。何かが通っている。
道を外れないように走っていく。
そして息が切れるほど走った先で人を見つけた。
すぐに草陰に身を隠す。
罠ではない。あの国の人間は誰もいない。
結構な大きさの馬車だった。見えている人間は3人。
腹回りが膨れているぽっちゃりとした体形の男性。男性と同じ年くらいのスラッとした女性。そして若い娘。恐らく彼らは家族だ。
身を寄せ合う彼らは安全な状態ではない。
荷馬車を囲むようにオオカミ型の魔物から囲まれていて、男性の腹からは出血が見られた。
奥さんだろう。
女性が「あなた!しっかりして、あなた!」と叫んでいる。
「すまない、シャロン、フィーロ。私が、しっかりしていれば………。」
「だめよ、あなた!しっかり!」
「っ、お父さん!お母さん!私だけじゃ長くは止められないわ!」
きっと彼らの命はこのままでは長くない。
もって数分といったところだ。
娘が魔法を使って魔物の動きを食い止めているようだが、顔色からしてそろそろ底をつきそうなのだろう。
純は思う。
私は助けなければならないのか?と。
純が死にかけていた時、誰も助けに来てはくれなかった。
結果として生きてはいるが、死んでいた可能性の方が高い。
運がなければ簡単に死んでいたはずだ。
だからと言って彼らが悪いわけではないが、助けなければならない理由にはならない。
よって純は彼らを助ける必要はない。
しかし。
純は近くにあった石を思いっきり魔物に向かって投げた。
何度も何度も何度も繰り返したおかげで命中率は格段に上がった。
全ての魔物が、というわけではないが、数匹の意識がこちらに向く。
続けて違う魔物にも石を投げた。
魔物の数は全部で12匹。
2匹以外の意識がすべて純に向く。
草陰から立ち上がる。
魔物たちの目を見た純はすぐさま走り出した。
後ろから魔物の鳴き声が聞こえる。
足音も多い。
どれくらいの魔物が後ろにいるのか気になる。2匹以外の意識がこちらに向いたからと言って、正確ではない。残った魔物もいるはず。
しかし振り返ればすぐに殺される。
純と魔物の足の速さなど歴然の差だからだ。
それでも中々捕まらないのは森が入り組んでいるから。
川へ走っている純は、正直焦っていた。
以前多数の魔物に囲まれたときは川で体を洗い終わった時だった。
その時も危機感を感じたが、川の深さは結構ある。そうそう殺されることはないと安心していたところもあった。
純は極力川の側を離れないようにしている。
水分を失ってしまうのが怖かったし、なにより川に沿って行けば人里が見つかるかもしれないからだ。
ただ川は完全に安全とは言い切れない。
他の生き物にとっても同じ水場である。
だから程よい距離を保ちながら、行動をしていた。
しかし今日は前回と状況が違う。
川からかなり離れた距離から、前回よりも多い魔物に追われている。
早く早くと川へ走り、森の中にはあまり入ってこない光が、月の光が水に反射してキラキラと輝くのが遠くに見えた。
(いける!)
森の木々を抜けた先で、ようやくまともな月の光を浴びた純だったが、目の前には回り込むように魔物が数匹。
後ろにもすぐに魔物が追いつく。
絶体絶命とはまさにこのこと。
いい加減嫌気がさしてくる。ため息を吐きたい。
それでもあの家族を助けると決めたのは自分だ。
この状況を抜ける方法は一つ。
純は走る。
前方で待ち構える魔物の群れに向かって。
怖い。怖い。怖くないわけがない。
だが少しでも生き延びるには、こうするしかない。
牙が純の体に食い込む。
「ぅわあああああ!!っ、うぅ!!」
腕に、足に、腹に。
重くなっていく体を引きずって、前進することだけは止めない。
血が出ていく。
ボタボタと出ていく。と同時に魔法で少し治す。
目の端にかみついてこようとする魔物が見えた。
腕にかみつく魔物ごと持ち上げ、殴った。
自分にこんな力があったとは。少し笑えてくる。
ザブンッと川に入り込めば、こちらのものだ。
足にかみついていた魔物は反対の足で押さえつける。腹にかみついていた魔物は石で殴る。
そうして飛び掛かってくる魔物を次々に殺していく。
川の辺りが魔物の血で黒く濁ったころ、ようやく純を殺そうとしてくる魔物はいなくなった。




