第41話:始まりの鐘④
女子寮近くの茂みでジェネヴィーヴはいつものように探し物をする。昼から夜へ変わる時間帯にしか現れない生き物もいると先日書物で知ってから、ずっと気になっているのだ。
「いるかな~いないかな~いるかな~いないかな~」
声を弾ませ、服や手が汚れるのを厭わず周囲を見渡す。「見つけた!」と僅かに動いた影に飛びついたが、新種の物でも希少の物でも何でもない。残念だと声を漏らす彼女は、後ろに立つ人物に気づいて振り向く。
「あら、そんなに慌ててどうかした?ジュン」
「……………」
口を閉じているが、息が荒れている証拠に純の肩は目に見えて上下している。また額にも汗の粒が見えて、長い距離を走って来たのが察せられた。純を見ている間に手の上で留まってくれていた蜘蛛がどこかへと飛んでいく。もう少し触っていたかったが、諦めて立ち上がる勢いのまま、服や手に着いた汚れを叩き落とす。
純に近づいて、顔が見えづらかったから下から覗きこむ。泣いてはいないようだが、焦点のあっていない黒い目。
「……私に、」
「ん?」
「私に、話しかける理由は何ですか?」
体を起こし、ジェネヴィーヴは少しの逡巡の後ニコッと笑う。
「あの子たちの話を聞いてくれるから!他の方に話しても皆顔を青ざめて逃げちゃうんだ~。聞いてくれる貴方は貴重!やっぱり自分の中だけで解釈を留めておくのは難しいし、誰かに共有したいじゃない?だから!」
「…私じゃなくても、良い…」
「うん!別に、貴方じゃないといけない理由は、今の所ないかな~」
純は手を握り締める。かと思えば、真顔だった口角が上がった。
「だったら、私が異世界人だからとか、黒髪黒目だからとかで、裏切らないし、騙してる心配もない、ですね。あはは。だって、私じゃなくても、良いんですもんね」
「うん」
はは、と笑った純は、目元を拭う。
「…疲れました。利用されるのも、疑うのも、全部。言葉は分かるはずなのに、私の言葉はちゃんと伝わらない。相手の言葉も、理解できるはずなのにできない。まるで、また別の異世界に来ているみたい。…家族に、会いたい。友達に会いたい。いつも食べてたものを、いつも見ていたものを、いつも聞いてたものを、もう一度…。私の願いは、そんなに難しいことなのかな…そんなに叶えられないことなのかな…こっちに連れてこれるなら、戻すことだって、できるんじゃないかな…。体の崩壊とか意味わかんないこと起こるし、誰かと体を繋げないと治せないとか意味分からないし。何その馬鹿みたいなルール。意味わかんない」
何度も何度も目を拭うが、溢れてきてキリがない。手を押し付けたまま、純は長く息を吐いた。
「………もう、いやだ」
「死にたい?」
「…死にたくない。死にたいと思わない。…なのに、生きてるのが辛い。苦しい。死にたいと思いたいほど、息をするのが辛い。誰かに助けて欲しい。こんな意味分からない世界から、救ってほしい。救ってくれるなら誰でも良い。天使でも、悪魔でも、誰でも良い」
森に捨てられた時。体が崩壊した時。襲われた時。騙されていたと知った時。いつだって願っていた。でも、
「でも、そんな誰かは、いないんだよ…」
眠るたびに思う。目が覚めたら自分のベッドの上で、寝ぼけて話すと両親が面白い夢を見ていたんだねと笑う。友人たちと一緒に宿題まだ終わってないとか、国語の小テストどうしようとか、そんなくだらないことを話す。しかし現実は目が覚めても変わらない。水の中で浮かび上がるためにもがいては、体に重しがつけられていて浮上できないように、ずっと苦しいまま。
「生きてるなら、辛くても、しんどくても、生きなきゃいけないのかな…。虫みたいに惨めなままでも、生き続ける必要は、あるのかな…」
ジェネヴィーヴは近くの植木に小さな小さな蜘蛛を見つける。手を差し出せば、飛んで逃げてしまった。
「…あるよ。踏みつぶされれば簡単に死んでしまうモノであっても。でも、どうしても辛いなら、諦めることも別に悪いことじゃないと思うな。そのために、私たちには生まれながらに、死という救いが残されているんだもの」
蜘蛛が飛んで行った方向をしばらく見つめていたジェネヴィーヴ。パチンと軽く手を叩いた彼女は、笑っていた。
「良い話があるの。あ、ちなみになんだけど、お金、ある?」
学園の使われていない空き教室で、バッカスは自身のモノクロを押し上げた。
「先発隊の話でしたら、ワタシも存じてオりますよ。ロッケンベノークとの戦争に先立ち、動向を探る役目を与エられた十数名の兵隊集団、だとか」
「知ってるなら話は早い!ジュンがね、生きる意味が見いだせなくなって、死にたくなったらしいの!それでね、どうせ死ぬなら、役に立って死ぬ方が良いんじゃないかなって思ったんだ!」
「………」
「何やら齟齬がアりそうな表情をジュン様がされてオりますが、イやはや面白い!やはりジュン様に目を付けたワタシのこの目に狂イは無かったようですねェ!」
はしゃぐ2人に挟まれた純。ジェネヴィーヴに肩を揺らされながら、大丈夫かなと心配になる。バッカスが純の手を取った。
「しかし、どうせならばこのワタシに、そのオ命をオ売りになるのは如何でしょウ?ワタシでアればそのオ命、戦によって失われるよりももっと有効的に、使って差し上げますよ?」
「利用されるのは嫌なので。お断りします」
「そうだよ、ジュンの意図をちゃんと汲み取らないと!商売人としてやっていけないよ?」
「アァ、ワタシとしたことが!オ客様のご要望よりもつイ自分の益を考エてしまイました。オ許しくださイませ、ジュン様。貴方様が望まれるのならばこのバッカス、モノでもコトでも何でも揃えて見せましょう。ジュン様のお望みの通り、先発隊への入隊状をご用意させていただきます。して、こちらの対価に、貴方様は何を差し出されますか?」
崩れない笑みと大げさな動作。
(もう、後戻りはできない)
ふ、と息を吐く。
「貴方が望むだけのお金を、差し上げます。請求先は、王城に」
「あっはっは!大人しい子かと思ってたけど、これは認識を改めないとね。まさか王家から巻き上げるなんて…。ふふ!サイコー!国の頂点に君臨する方々をお財布扱いする異世界人、今まで聞いたことがないよ!」
笑いが止まらないのか、もたれ掛かってくるジェネヴィーヴを純は手で押す。
「ちゃんと用意してくださいね。もしできなかったら、貴方は信用できない人だって言いふらしますから」
「オォ、なんとイウことでしょウ。脅されてしまイました。ご安心くださイ、我々商人は信用第一。オ客様とのオ約束を破ることは致しませんので」
数日後、先発隊の服と偽装された身分証が用意された。特に検問に引っかかることもなく、一行は夜の内に王都を出ることとなる。彼らが経ってから数日後、異世界からやって来た少女が行方不明となったことが知らされる。また王城の経理課に、多額の請求書が送られてきたのだった。




