第40話:始まりの鐘③
互いに誤解を解いた純とヘザーは、今までの時間を取り戻すように日々を過ごした。寮に戻りたくない理由がヘザーにあったため戻ろうとも思ったが、シドニーらグルエフ公爵家のこともあるからと王城通いのままだ。ヘザーと皇太子の関係を知ったからか、学園でヨセフに声をかけられることが増えた。
「やぁ」
「…………」
「げ」
うんざり顔の純とはまた違う嫌悪の表情をして見せるヘザーに、ヨセフはどこか凄みのある顔で笑う。
「僕がただ一言、やぁ、と口にしただけで、ウジ虫でも見たかのように顔を歪めるとは。我が幼馴染殿は随分と僕のことを高く買ってくれているらしい」
「勿論のことでございます。幼少の頃より殿下を知る私にとって、殿下は大変器の大きいお方。私の無意味な一音と顔の微々たる表所如きで、懲罰をお与えになる方だとは全くもって思ってはおりません」
「遠回しに罰を与えたら器が小さい男だぞと言いたいんだね。不敬だよ?」
「殿下。それでは殿下が皇太子の身分を傘に、弱き者を無理やり従わせる傲慢な人間であると自己主張しているようになってしまいます。どうか殿下の為にも、御心をお沈め下さいませ…」
「荒神か何かかな。君はどうにも僕をいじめるのが好きらしい」
「殿下には負けますよ」
言い争いをする二人の耳に、近くから小さな笑い声が聞こえた。横を見れば、口元に手を当てた純がクスクスと笑っている。呆けた顔が更に面白くて、ついまた笑いが誘われる。
「フフ、仲が良いんですね」
「よ、「良くないよ」です!」
揃った声に顔を見合わせるヘザーとヨセフ。彼らの昔からの気安い関係を理解するとともに、純はしばらく笑っていた。
ヘザーとの関係修復が為された今、純の中でもう一つ引っ掛かっている人物がいる。ハリソンだ。油や石膏といった独特の匂いに包まれた美術室でしか会えない、恋人。すれ違いからずっと距離を取っていた彼のことを、思い出していた。純の気がかりに気づいたヘザーが心配する。
「大丈夫です。ちょっと…ハリソン先輩のこと、思い出してて。私のことを利用しようと思って近づいてたから、だから遠ざけてたんですけど。今落ち着いて考えられるようになって、私彼に利用されたかなって。先輩のことを知る努力も、ちゃんと話も聞かないまま、裏切られた気になって逃げてしまったんです」
「…ジュンさんは、ど、どうしたいんですか?」
「…話がしたい。色々思うところは、ある、けど」
「い、良いと、お思います。すれ違ったままじゃ、本当の気持ちも分からないです、から。私も、ささ最近、知ったこと、ではあるんですけど」
自分たちのことを指していることに気づいた純は、確かにと笑った。
翌日城の部屋を出る時に、机の中にヘザーから貰ったブレスレットを見つけた純は、自分の腕に付けるのは少し恥ずかしかったのでポケットに入れた。
「き、今日、お話し、するんですか?」
「うん。頑張ってみようと思います」
「ほ、ほ、放課後?」
「はい。きっと美術室にいると思うので」
「お、応援、してます…!」
「なんでロペロスさんの方が力入ってるんですか。逆でしょ」
すみませんと謝罪するヘザー。無意識に緊張していた純は、肩から余計な力が抜けたことに感謝した。しかし、放課後美術室には誰の姿もない。描きかけの絵が一つあるが、布が被せられている状態で置かれているだけだ。ハリソンが遅刻をしていたことは、純の知る限り一度もない。時間を守り、どころか早めに来て、絵と向き合っていた人だった。
「風邪でも引いたのかな…?」
少し肌寒くなってきたこの頃であれば考えられる。
(念のため、先輩のクラスに行ってみよう)
せっかく話そうと思えたこの感情を、後伸ばしにして鎮火させたくはなかった。上級生のクラスに行ったことがなく、再び緊張が現れ始める。下校時刻となり、多くがクラブ活動へ向かっている。それでもまだ残っている生徒もおり、なぜここに?という視線が多方からぶつけられる。
「ビルターネン?彼なら休みだよ。実家に呼び戻されているはずさ」
教室を出ようとしていた男子生徒は中にいる他数名の生徒に「そうだよな」と投げかけている。中から同意の声が聞こえて、ほらねと笑った。
「不確かではあるけど、戦に向けて我々は準備をしなければならないからね。ロッケンベノーク近辺の領地はいつ攻め込まれても良いように、武器や人員を蓄えてるって話だ。ビルターネンだけじゃない、多くのクラスメイトが帰省してる。全学年共通の話だろうけどね」
「貴方は…」
「僕はロッケンベノークとは対する位置だから。でも、戦時となれば一兵として出るよ。長子以外は基本皆ね」
ありがとうございますと頭を下げて立ち去る純。気の良い人物だったが、彼も戦となれば戦うらしい。ハリソンも、他の生徒も、そのために帰省している。純のクラスでも数名姿が見えない者たちがいる。彼らもきっとそう。戦争が始まる。理解した時、どこか他人事に思っていた純の胸の辺りで、じわじわと広がるものがあった。思わず眉を顰める。
「…嫌だな、戦争なんて」
ギュッと胸の辺りを握り締め、純は廊下を足早に歩いた。本来であればハリソンと時間をかけて話そうと思っていたが、想定よりも早い戻りとなってしまい、通常であればいるはずの送迎がいない。学園から近いとはいえ、城は広く部屋までは遠い。わざわざ呼びつけるのも面倒だと歩いたが、城の敷地内でも馬車移動の為に正確な距離が分からなかった純は、これほど遠いとは思っておらず早速後悔していた。疲労感に思わず近くの噴水に腰を掛ける。体感1時間は歩いているが、まだ着かない。馬車では15分くらいで学園に着くからそろそろとは思う。しかし城は見えているのに到着しないストレスまでもが純に追い打ちをかける。自分を宥めつつ休む純は、どこからか男女の声がして口を引き結んだ。こんな人気のない場所で、男女で、となれば、思いつくのは恋人たちの逢瀬である。
(気まず…)
見つかれば互いに気を使うことになるのが目に見えている。こんなところでやめて欲しいなとは思うが、他に人目を忍んで会える所が中々ないのかもしれない。完全回復はまだだが、仕方なく立ち去ろうとした純。腰を浮かせたが、ふと声に聞き覚えがあった。耳を澄ませばやはり、ヨセフとヘザーの声だった。純はホッとした。この長い歩き道を何とかしてくれる人物に会うことができたのだから。ようやく徒歩地獄から解放される安心感のまま、2人の声がする方へ向かう。しかし聞こえてきた内容に再び足を止めた。
「———彼女の機嫌を戻せたようだね。一時期どうなることかと思っていたよ」
「ご心配をお掛けしてしまい、申し訳ありません」
「君ならば更なる成果を挙げられると信じているよ。どうか、僕の期待を裏切らないでおくれ」
草陰から見えたのは、ただ立つヨセフと、頭を下げるヘザーだ。しかし学園で見るような、気安い幼馴染の雰囲気はなく、完全な主従関係そのもの。疑念、疑惑。それらが浮かび上がるのを必死に抑え込むが、全て無駄な事であった。
「引き続き、異世界人であるジュンの監視に努めるように」
「ハッ」
「…何、それ」
茂みの奥から聞こえた声と、現れた純の姿。息を呑むヨセフとヘザー。笑みを絶やさぬヨセフの珍しい表情をまじまじと見て心の中で嗤う暇なんかなかった。
「何、それ。監視って、なに?」
「ジュンさん、落ち着いて。話をしましょう」
姿勢を正したヘザーの言葉は滑らかだ。全てが嘘だったと、分かってしまった。近づくヘザーの手から身を避ける。
「…昔馴染みだから、王子様とだけは緊張しないで話せるって設定、もう忘れた?」
「っ!」
「全部…始めから、嘘だったんだ。騙してたんだ、私のこと。出会いから、その後のことまで全部。気遣うような言葉も、態度も、プレゼントも全部!全部、命令だったんだ!」
「ジュン、さん。違うの、違う…。嘘じゃ」
「ないなんて、そんなわけないよね。それともさっきのやり取りは全部演技でした、出し物のために練習してました?」
「……………」
「大丈夫、演技だなんて、すこっしも、思ってないから」
ヨセフに騙されていたことが、心底腹立つ。彼とは出会ってから今までずっと、騙されてきた。掌の裏で転がされて、気づけば彼が始めに提案してきた城から学園に通うという状況を自ら受け入れてしまっている。
「…まさか、グルエフ公爵も貴方の差し金ですか?」
沈黙していたヨセフはやれやれと手を挙げる。
「全くの無関係だ、とは言い切れないな。彼の養子縁組手続き書に許可を出したのは僕だからね」
「どうして…!あぁなることが分かっていて、それで受け入れたんですか…?!」
「養子縁組には許可を出したが、婚姻手続き書には許可を出していない。あれは公爵…いや今は元か。元公爵が係の者を買収して取り寄せた物。僕としても、彼がああも早く事を起こすとは思っていなかったし、君が傷つく前に助けるつもりだったんだよ。もう少し先の利益を考えられる男だと思っていたけど、いや、計算が狂ってしまった」
「な、にが、計算が、狂ってしまった…?!逃げなければ私は、私は…!」
悍ましい記憶は、思い出したくなくても暗いベッドに寝転がれば自然と瞼の裏に浮かんでくる。あの夜の気持ちの悪い感触も、空気も、音も、全て覚えている。逃げられないように掴まれた力の強さも、吐き気を催す匂いも、全てだ。明かりがなければ眠れない。目を閉じてしまえば、続きが襲い掛かってくる気がするのだ。
「申し訳ないとは思っているんだ。しかし君も君だ。何の相談もなく決められては困るんだよ。今や君は、国にとって貴重な異世界人であり、その毛先から足のつま先に至るまで、貴重な宝なんだ。迂闊にただの家に身を寄せられると、国のバランスが崩壊しかけない」
「わ、たしは、物じゃない…」
「分かっているよ。君は物じゃない。大事な大事なお客人だ」
「私は、ただの人…。国にいるから、家にいるからって、豊かにするような知識も力も影響も、何も持ってない、ただの、人…!所有物なんかじゃ、そんなんじゃ、ない…!」
「分かっているよ。大丈夫、今だって丁重に扱っているだろう?寄り辺の無く、寂しく孤独に打ちひしがれる異世界からのお客人である君を、もてなし、不自由なく暮らせるようにする。君たちを呼んだ僕たちには、その義務がある。君が知識も、力も、影響もなくていい。只人であっても良いんだ。その死が訪れるまで、僕らは君を大切にする。必ず。だからどうか、君も僕らと、僕と共にいてくれないか?きっと、幸せにする」
綺麗な顔、綺麗な体、綺麗な声。魅惑的な言葉を告げるのは麗しき皇子様。シドニーの言う通り、ヨセフは美しい。頭脳も明晰、身体能力も高い。王族という身分に胡坐をかくことなく日々努力をしているからこそ、常に学年の頂点に君臨し続けられる。人望も厚く、皆から信頼されている次期国王。本来であれば、手の届く場所にすら行くことのできない存在なのだろう。彼から差し出された手を取ることさえ烏滸がましく、自然な流れで跪き、その手を取って口づけるのだろう。彼のために行動することは当然で、彼も当然と受け入れる。
純は手を持ち上げた。それはヨセフの手を取ることはなく、通り過ぎ、彼の左頬を強打する。少女の平手打ちなど、強打と言うがそこまでの威力はない。しかし他人から殴られたことのないヨセフは、先程よりも目を大きく見開いたまま固まった。
「そんな言葉で、涙流して喜ぶとでも思ったの?見下さないでよ!馬鹿王子!私は、そっちの思い通りに行く物なんかじゃ、ないんだから!」
我慢していたものが、つい溢れて頬を伝う。泣いてしまったことが悔しくて悔しくて、どうしようもない。呆然としていたヘザーが、純から睨み付けられて肩を震わせる。次は自分の番で、一体何を言われるのかと。純から出たのは、叫び声でも怒号でもなかった。小さな小さな、嘆きの言葉。
「…………信じてたのに…………」
「ジュン、さん」
グイッと涙を拭って走り出す。「待って!」の声に耳も貸さず、先程まで必死に歩いていた城にも背を向けた。




