第38話:始まりの鐘
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
王城の一室。そこはヨセフに与えられた部屋。まだ学園に入学して一年も経っていないが、彼は既に次期王としての仕事を任されている。学業、皇太子教育、執務。完璧が求められ、それを当然と思いこなすヨセフの睡眠時間は短い。
街の光が落ちて数刻も過ぎた時間に、扉が叩かれることは稀だ。自然と警戒した声音になってしまう。
「どうした」
「夜分遅くに失礼いたします。…その…大事なお客様が、お越しです」
部屋の前に立たせている騎士が珍しく言い淀む。歯切れの悪い理由は、大事なお客様にあると見当をつけて、ヨセフは軽く机の上を片付けてから席を立った。
「ジュン、大丈夫かい」
道中、大事なお客様が純であり、客室に通された話を聞いたヨセフは、少し乱れた髪を整えて扉を開ける。しかし部屋を見ても純が見つからなくて眉を顰めた時、端の方で物音がしたのでついとそちらに目をやった。そこには着替え途中の純が、身を低くして自分の体を隠そうとしていた。
「し、失礼した!」
慌てて扉を閉めたヨセフは、自分が思っていた以上に焦っていたことを知り、息を吐いた。ノックは確かにしたが、部屋の中にいた彼女からの返事を待たずして開けてしまったことを悔いる。
「…外からすまない。まず、確認もせずに部屋を開けてしまったこと、心より謝罪する。本当に申し訳ないことをしたよ。この部屋は君の物だ、好きに使っていいからね。後で使用人を寄越すから、必要な物があれば頼むと良い。…ゆっくり休んでくれ。それでは、」
「あの、」
室内から聞こえた声はとても小さく、耳を澄まさなければ聞こえないほどだ。
「…突然、押しかけて、すみません。…少しで良いので、匿ってもらえないでしょうか。ちゃんと、迷惑が掛からないようにするので」
「勿論。先程も言ったが、この部屋は君の物だ。いくらでも、君の気が済むまで、使ってもらって構わない」
「……お気遣い、ありがとうございます」
「きちんと体を休めて。…失礼するよ」
数秒待っても返事はない。このまま扉前にいる方が彼女も気にするかと、ヨセフは部屋の前から去る。歩きながら、少しだけ見えた純の肌を思い出す。
「ッ、クソッ…」
顔に熱が集まるのを逃そうとするが上手く行かない。しかし、同時に純の青く脅えた表情を思い出す。聞こえた声も、酷く震えていた。頭に登っていた熱が、一気に醒めた心地だ。再度深く息を吐き、純に付けていた監視が戻ってきたため報告を受ける。公爵邸の中には入れなかったようだが、屋敷内の騒ぎ、そして純の有様から大まかなことは分かる。
「グルエフ公爵…。目先の欲に踊らされたようだな」
「陛下から、殿下に一任すると言伝を預かっております」
「騎士を集めグルエフ公爵邸へ向かえ」
「はっ」
指示を出したヨセフは、後ろに立っていたヘザーに驚くことはなかった。眉間に皺を寄せた彼女は、先程純の着替えを覗いてしまったことを責めている。
「…最低です」
「…弁明のしようもない。紳士としてあるまじき行いだったと謝罪するよ。…私にしても意味がないんです、と言いたげだ」
「よくお分かりになられましたね。流石殿下」
白々しく厭味に胸を痛めるふりをして、立ち直ったヨセフは拳を握り締めるヘザーを理解しながら、指示を出す。
「しばらく僕ら、距離を置こうか」
「…まるで恋仲のように言わないでください。納得できません」
「空気を和ませてあげようとしたのに、相変わらずノリが悪いね。彼女が城にいる今、僕と君が一緒にいるところを見られる可能性は高くなる。せっかくの友情にヒビが入るのは、嫌だろう?」
「……………承知いたしました」
渋々頷くヘザーはヨセフの執務室とは逆方向へ歩き出す。寮へ向かい、純の私物を取りに行くつもりなのだろう。健気だなと思いながら執務室へ向かうヨセフ。
「今日は眠れないだろうね…。あぁでも、国から一つの家族がいなくなることに比べたら、大したことではないか」
騎士に夜食を頼んで、部屋に入る。夜明け前に帰って来るであろう伝令を待つ間に、片付く仕事へ手を伸ばした。
一週間後。純は必要最低限の使用人と接することで、何とか体調を回復させた。その間、扉越しにヨセフと会話をする機会は、城に来た時と、昨日の夕方のみ。「もう大丈夫だよ」という謎の言葉を疑いつつ、そろそろ学園に行かなければ授業についていけなくなってしまうからと部屋を出る決意をする。
恐る恐る登校した純は、普段通り過ぎるクラスメイトたちの姿に拍子抜けした。不躾に見るような目も、噂話も何もない。不自然なまでに普段通りの姿。
(…きっと、あの人が何かしたんだろうな)
クラス担当教員から一言、「風邪は大丈夫だったか?」と聞かれただけで、後は講義が始まる。最前に座って教材を準備しながら、いけ好かない笑顔を浮かべる王子様を思い出す。その証拠に、クラスの中にはどこにも、会うことを危惧していたシドニーの姿はなかったのだから。
「当然。だって追放されたんだもん、彼女たちは。ハッ、あれは…新種の子?!」
「つい、ほう…」
裏庭の人気のない場所で昼食を取っていた純。登校途中のジェネヴィーヴが気づいて近づいてきた。既にお腹は満たしてあるらしく、今は新種の蜘蛛を探し回っている。ジェネヴィーヴの追放、という言葉がグルグル頭で回る。どうやら新種ではなかったらしく、落ち込んだ様子のジェネヴィーヴが戻ってくる。
「新種じゃなかったけど…、でもこの子はとても珍しい子!前にも見せたことあると思う?…?何を気にしてるの?」
「え、いや、別に気にしてはない、です」
「でもサンドウィッチ、食べる手が止まってる。それって気にしてるってことじゃないの?」
「…………」
否定の言葉が出なかった。隣に座るジェネヴィーヴは手の甲で蜘蛛を乗せて観察している。
「可哀そうって思った?」
「…いえ。酷いこと、されましたし、可哀そうとか、思わないですけど…」
「自分のせいで、誰かの人生がめちゃくちゃになったのが嫌なんだ?」
覗き込んでくる目は、見慣れない緑色。馬鹿にしているわけではないと理解しているから、胸が痛む。
「そうなのかも、しれません」
いつだって、誰かの人生を狂わせるなんて大それたこと、自分にできるとは思わない。しかし事実起きてしまっている。純の一言で、一動きで、誰かの人生は簡単に変わって、崩れてしまう。ジッと純を見つめた後、ジェネヴィーヴは「ふーん」と呟き視線を蜘蛛に戻す。
「自分をめちゃくちゃにしようとした者さえ、貴方は気に掛けるんだ」
腕を登っていた蜘蛛は、再び手の甲へと戻り、手の平へと移動する。動くたびにジェネヴィーヴに巻き付けられる蜘蛛の糸はそのままに、蜘蛛はどこかへ跳んでいく。
「おかしな子」




