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間違いで召喚された一般人女子高生はそれでも必死に生き続ける  作者: 三木 べじ子


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第37話:喧騒⑦

 後ろからの叫び声を無視して、純は公爵の部屋の扉から廊下に出る。どうやら監視である兵がいたのは純の部屋の前だけだったようだ。公爵の声が響くと同時に、寝静まっていた屋敷が光を灯して慌ただしく起き始める。走る純は目的の部屋を探す。今までの客室であれば簡単に辿り着いたはずの道が、分からない。案内の道を必死に思い出しながら、純は何度も訪れた部屋の扉を叩いた。部屋の主が出てくるまでに時間がかかった。当然、この時間彼女は寝ていたはずだから仕方のないことだったが、追手を気にする純は通路を何度も見ては追手が迫っていないかを確認していたため、実際の時間よりも長く感じた。扉が開かれた先で、蝋燭の淡い光が純と寝起きの彼女の足元を照らしている。ブランケットを肩にかけたシドニーは、眉を顰めて外を見る。純に気づいて驚きに声を上げようとしたのを押し留め、純は無理やり部屋に入った。


「何があったの?どうしてここに?」


 ようやく一息つける安心感と、しかしまだ追手が完全にいなくなったわけではない恐怖が純の思考を揺らしてくる。不安気なシドニーに早く答えねばならないと焦る。だが息が整わなくて、何度も吸っては吐いてを繰り返すだけだ。シドニーが純の方に手を置いた時、彼女の少し冷えた手が思考を僅かに正常にしてくれた。


(落ち着いて…落ち着いて…)


 自分に言い聞かせるのと同じタイミングで、シドニーも純の肩を撫でる。


「ジュン、何があったの?」

「…さっき部屋にいたら、突然…」


 事実を話そうとした純は、口を噤む。公爵様がシドニーの父親だったことを思い出したのだ。自分の父親が友人に手を出そうとした、なんて話をもし聞いてしまえば、彼女と公爵の関係は崩れてしまう。それだけではない。最悪、この家が壊れてしまう。優しくしてくれたこの家の人たち。公爵と夫人は信用できないが、使用人たちがシドニーまでもが悪いわけではない。話すべきか悩む純。


「ジュン。教えて頂戴?何かあったのでしょう?」

「…でも、傷つけてしまうかも…」

「大丈夫」


 頷くシドニーに促されて純は話した。


「…公爵様が、突然襲ってきたの…。夫人も、公爵様と手を組んで、私を、私を…」


 先程の光景が思い出されて震えだす純を、シドニーが優しく抱きしめる。人のぬくもりに息を吐く。背中をトントンと叩かれる様はまるで幼い子供にするような仕草で気恥ずかしく感じたが、今は受け入れられた。


(こんな時でも冷静に、私を落ち着かせようとしてくれるシドニーは大人だ。私の方が誕生日は早いけど、シドニーがお姉ちゃんの方が合ってるかも)


 純の震えが止まったのをシドニーも理解したのか、ゆっくりと距離を取られる。純の顔を見たシドニーは、安堵の笑みを浮かべていた。


「あぁ、良かった!お父様との性行為に何かしらの不備があったのかもと思ったけれど、そういうわけではないのね!」

「……………え?」

「ただ、初めての行為が怖かった、それだけなのね。良かったわ!」


 シドニーの言葉は、きちんと分かるのに、理解することができない純は「え」と繰り返すことしか出来ない。


「でもお父様ったら、酷いわ。ジュンの気持ちを考えて、ゆっくり優しくしてくださいとお伝えしたのに。こんなに震えて…。怖かったわよね?大丈夫よ、私がお父さまにもう一度お伝えするから。だから次は、きっと優しくして」

「まって!待って…ごめん、よく、分かんないんだけど…」


 純が理解できないように、シドニーも純が何を分からないのかが分からないらしく、首を傾げてこちらを見る。


「シドニーは、公爵様が私を襲うことを、知ってたの…?」

「えぇ」


 返事はとても気軽なもので、次の講義の予習はできているか尋ねた時に返って来る言葉のように、なんてことはないとシドニーは笑う。途端、得体の知れない者に感じて、ようやく止まった震えが再びやってくる。大丈夫かと心配するシドニーを突き飛ばす。転ぶことはなかったが、よろめき数歩後ろに下がったシドニーは驚いていた。「ジュン?」と呼ぶ声さえも聞きたくなくて、耳塞いでしまうのを何とか我慢した。


「どうして…」

「どうして?だって貴女が言ったじゃない。”家族になりたい”って」

「それは、家族の一員になりたいって意味だよ!シドニーと同じ、この家の子どもになりたいって意味だよ!」

「子どもも側室も同じ家族よ?」


 側室、という言葉は、純の記憶が正しければ、第二の妻という意味であるはずだ。


「同じなら、養子でも良いじゃない…!」

「始めは、養子にするはずだったわ。でも事情が変わった」

「事情…?」

「貴女に、月の初めが訪れたのが分かったの。入学してから数か月間一緒にいたから、把握するのは簡単だったわ。子を為せないのは残念だと思い養子にしようとした矢先、貴女に月の初めが訪れたと知った。あの時は嬉しかったわ。だって、側室であれば確実な家族になれるもの。正統なグルエフ公爵の血を継ぐ子が生まれることによって」


 呆然とする純に何を思ったか、シドニーは笑みを深めて距離を詰める。


「それにね、良いことは他にもあるの。まずは先日も話した神の恩恵ね。我が領地が潤うことは勿論、異世界人である貴女を迎え入れた瞬間から、我が家は他のどの爵位、家柄を持つ貴族よりも大きな地位を得ることになるわ。そして跡取り問題の解決。今この家には私しか直系が存在しない。分家から養子を貰うにも若すぎるわ争いが起こるわで問題がいくつもあったわ。でも、ジュン、貴女が跡継ぎを産めば、直系が生まれ、無駄な争いを避けることができる。ね?良いことばかりでしょ!」

「でも、全部グルエフ公爵家にとっての良いことで、シドニーにとって良いことはないよね?」


 公爵家に養子になると決めてから、何度もグルエフという名前の練習をした。ジュン・グルエフと書く練習も、滑らかに名前を言う練習もした。

 たずねる純に、シドニーは頬を染める。


「いいえ!いいえ!実はね、私にも良いことがあるの!更なる地位は王家にも匹敵するほど。そして跡継ぎ問題がなければ、私は無理に婿養子を取る必要がなくなるの。今まではいち公爵家として、王家との婚姻は権力の偏りが生じてしまうからと婚約の打診は拒否をされ、でも将来王となられる方を婿養子になんてできないと半ば諦めていた…その念願に、ようやく、手が届くの!あぁ、王子様!私の、私だけの、王子様!貴方と結ばれるなんて、まるで夢のようです…!」


 恋に浮かれる少女は、美しく、残酷だ。


「シドニー…シドニー…私と貴女は、と、友達、よね?」

「えぇ、勿論よ!私、貴女とお友達になれて、本当に良かったと思ってるわ!」


 邪気の無い笑みに、純粋な気持ちからの言葉だと分かったからこそ、純は涙が出てくるのを止められなかった。かつてシドニーが口にした下心が、ただただ真実であっただけの話だ。泣く純に慌てるシドニー。


「ジュンにも良いことは沢山あるわ。貴女が願っていた通り、家族になれる。確実な、血によって繋がる強固な関係よ。莫大な資産も望めば多くが貴女のもの。一生を遊び、笑い、好きに暮らせるだけのお金が手に入るわ。今ならお母様が公爵夫人の業務をこなしてくださるから、貴女は伸び伸びと生きることができる。お母様もまだお若いから、引継ぎをする頃には跡取りである貴女の子供が十分に成長して、貴女が業務をする必要はないんじゃないかしら。ね、とってもいいことばかりでしょう?」


 伸ばされた手を叩く。痛みに顔を歪めて目を見開き、純を見るシドニー。


「優しさも、思いやりも、全部、全部全部全部全部、利益の為だけに。家が大きくなるから、跡取りが産めるから、王子様と結婚できるから、良いことがあるから。その中に一つも、私だから迎え入れたいって、私が何も持たなくても迎え入れたいって、気持ちは、ないんだね。公爵も、夫人も、使用人も、兵も、貴女も。皆、私じゃなくて、異世界人が、良いんだね」


 先程よりも強く、シドニーを突き飛ばす。なぜ、と問う瞳を、思いっきり睨み付けた。


「何が、良いことばかりでしょう…?気持ち悪いおじさんに体勝手に触られて、拘束されることなんか、気色悪い以外の何でもない事だよ!確実な血ってなによ!結局、子どもが生まれたって私に血が流れるわけないし!伸び伸びって、子ども産むこと強要してる癖に!跡取りの男の子生まれるまで産ませるつもりなのバレバレだし!っ…!良いことなんか、一個もない!!!」


 ズズッと鼻を吸い、目元を無理やり擦る。溢れて止まらない涙の理由は、怒りだ。


「…友達だって、思ってた。優しさを、信じてた。でも、違った。…いや、結局、私も一緒か。利益があったから、お互いに”友達ごっこ”してただけか」


 もう顔も見たくなくて、純は部屋を飛び出す。部屋の主は最後にどんな顔をしていたのかと考えながら走り出した。「どこへ逃げた」「早く見つけろ」「主様の前に連れて行くんだ」どこからか聞こえてくる声。安堵するはずの明かりが捕まるかもしれない焦りを抱かせる。隠れて進んで開けた道に出た純は、どこへ向かうか視線を巡らせる。一瞬、城や学園とは逆の方、カールの家がある方へ足が向かう。しかしすぐに足は止まった。彼の家を出てから純は一度も手紙も何も連絡しなかった。


(…今更、どんな顔して会えばいいの)


 身勝手なことを考えた自分を責め、彼の家に背を向ける。人目を気にすれば動きにくい服だが、夜の道で全力疾走する少女を気に留める者など誰もいない。

 走れば走るほど、周りの目は気にならなくなった。代わりに拭っても意味がないほど泣けてくる。声も火明かりもどんどん遠ざかる。涙だけではなく、髪の毛もボサボサで、必死の形相で走る少女など、声をかけることもしないだろう。

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