第36話:喧騒⑥
震える体を毛布で隠す。しかし声の震えまでもを隠す事はできなかった。
「な、にを、してるんですか…公爵様…!」
寝巻に身を包んだ公爵は、月光の中で口元を歪めていた。バスローブに身を包んだ公爵はいつものような穏やかな雰囲気はどこにもなく、荒い呼吸、血走った目が別人のように思わせる。再度体を寄せてくる公爵から距離を取れば、興奮していた彼は眉を顰める。
「なんで貴方が不思議そうに…混乱してるのはこっちです」
「そう怖がらないでください…。貴女様がそのように望まれるなら、私はジュン様のお考えに沿うよう、務めさせていただきますので」
いつも通りの優しい口調に、訳の分からない言葉が純をより混乱させた。
「何を…。私が、この状況を望んでいると、本気で思ってるんですか…?」
「寝巻を身に着け、無防備に、薔薇の花の上で眠る姿は大変美しい。何より、この部屋で私を待っていたことが何よりの証拠ではありませんか」
距離を取ろうにも、壁に背が付く。手汗の滲む大人の男の手が、純の手と肩に触れる。枕で公爵の体から身を守るが、鼻息が触れて鳥肌が立った。ハリソンと付き合っていたとき、純はほとんど触れあっていない。体の崩壊の時に触れられたくらいだ。他人を信用できない純に取って、触れられる行為は心地の良いものではない。ハリソンも進んで触れてくることはなかった。
「貴女様のように、聡明で、清らかで、瑞々しい若さを持つお方を迎えられるなど、これほど嬉しいことはありません…。あぁ、水をはじく肌も、潤む瞳も、全てが私の物かと思うと…!」
逃げる暇もなく、枕ごと抱きしめられる。独特な匂い、耳にかかる息、ジワリと伝わってくる熱。あまりの恐怖に声が出ない。枕を力いっぱい押し返すのに、相手は少しも動かない。逆に抱きしめられる力が強められた。
「花の香…。薔薇とは違う優しい香りは、貴女様自身の匂いか…。フフ、ご安心くださいませ。貴女様が私をお求めくださっていることはしかと理解しております。これほどまでに、喜びに体を震えさせて…」
部屋が暗いから、顔色までは見えないのだろう。力が緩められて純の顔を見ても、公爵は嬉しそうに笑うばかり。
「大丈夫。とびきりお優しく、触れて差し上げますから」
「っ…!!!」
目を閉じて近づいてくる公爵の顔を、純は枕で思い切り殴りつける。突然の出来事に「は、え、へぇ?」と理解できていない様子の公爵をベッド上に放置して、純は逃げ出す。しかし恐怖が体を蝕んで、ベッドから降りることができても足が覚束ない。前に進めない焦りがより、純の足を止める。足が動かないと思った純は手で地を這ってでも前に進む。扉前に来たと思った時、後ろから足を掴まれる。
「はぁ、ふぅ、ジュン様、少々、お遊びがすぎますなぁ」
「は、放して…!放してください…!」
「始めては怖いものでしょう。逃げたくなる気持ちも分かりますとも」
「わ、わたしは、私は、全部無理なんです!」
「えぇ、えぇ。分かっております。貴女様の不安は全て、私が受け入れます。ですから貴女様も、私を受け入れてください」
逃げる体を閉じ込めるように、公爵は純の上から覆いかぶさる。全身の毛が逆立ったと思うほどに、寒気と熱気が体を襲う。先程と違って身動きも取れないほど体重をかけられ、両手を拘束されている。どれだけ暴れても意味はない。
「いやだ…いやだ…!」
「あぁ、メイドから聞いていた通り、月明かりでも良く分かるきめ細かい肌…。はぁ、艶のある黒髪が乱れ、肌に張り付く様は何とも触れてはいけない禁域に踏み込んだ背徳感を感じるのでしょうなぁ~…」
項を嗅がれ、水気のある不快な何かが触れた瞬間に、我慢していたものが弾けた感覚があった。夢中になっていた公爵の拘束が僅かに緩み、捻った純の手が公爵の横腹に入る。呻く公爵を押しのけて扉に手を伸ばすが、足を再度掴まれて扉を一度叩くだけでまた地面に手を付くことになる。
「流石にこう何度も逃げられては、しつこいですよ…。貴女様が望まれたことなのだから、大人しく受け入れなさい!」
背後から抱きしめられる。必死に抗う純。引きづられる体に、もう無理かと諦めかけたが、突如扉が開いた。立っていたのは兵だった。「如何なさいましたか?」と中を伺う彼が開けた扉に公爵が当たり、純は拘束を解かれることになった。蹲る公爵、慌てる兵。扉から逃げようとした純を、兵が進んで止める。
「退いてください!」
「なりません」
「どうしてですか!襲われてるんですよ?!」
「…それが、務めだからです。部屋から出さぬようにと、奥様のご指示でもあります」
「夫人も、共犯…?」
呆然とする暇はないと純は兵を一度睨み付けると、もう一つの扉へ走る。後でのお楽しみだと言われた部屋に踏み入れれば、純のいた部屋よりも豪華な部屋。執務机に客をもてなすローテーブルとソファ。並ぶ資料に誰かの仕事部屋かと思ったが、壁側に公爵の外套を見つけて、ここが公爵の私室であると理解した。
「何が、お楽しみ…!」




