第35話:喧騒⑤
学園にて、ヘザーと顔を合わせることは多い。同じ学年の同じクラスなのだから当然のことだろう。彼女が純を見つけると、席から立ち上がり「あっ…」と声を上げる。聞きたいこと、話したいこと、何かしら用事があるのは明らかであった。今までならめんどうくさいと思いながらも話を自分から促しに行っていたのに、純はヘザーを避けていた。
(話さなきゃいけないのは分かってるのに、今は、顔が見れない)
抗議と抗議の休みの時間。わずかな時間もヘザーと話をするのが気まずく感じたため、教室から出ていた。今回もまた教室を出ようとした純は、扉から入ってくる、遅れてやってきたジェネヴィーヴに気づく。二限どころか既に三限目。今日はいつもより遅いようだ。
「おはよう~!私ってば、朝日と昼日を間違えちゃったの。…?なんだか変な空気ね」
立ち上がり、中途半端に口を開けたヘザーと逃げるように背を向ける純。見慣れぬ二人の様子にジェネヴィーヴは首を傾げる。そうでしょ、と賛同を求めて来たジェネヴィーヴ。
「…そう?別に、いつも通りじゃないですか。私ちょっと用事あるので、そこ退いてください」
「私ったらお手洗いの邪魔をしてしまったみたいね。オッケ!ごめんなさい!」
「あ、あの!」
出て行こうとした純を、ヘザーが呼び止める。教室の視線が集まるのを感じた。
「…用事がありますから」
「あ、ご、ごめん、なさい…」
振り向くことなく答えた後、適当な用事として教員に先程の授業で分からなかった所を聞きに行く。実際には理解できていた場所だが、教員からの追加情報のおかげでより理解することができた。「相変わらず真面目ですね」と褒めてくれる教員に、ヘザーから逃げるためという動機から聞いたので、純粋に喜ぶことができず曖昧に返事をしたのだった。
夜、純は再びシドニーの家に来ている。寮に帰れば必然顔を合わせることになってしまう。避けたい心境から事情を話さずに「泊めて欲しい」と頼むと、シドニーは驚いていた。
「当然一緒に帰るものと思っていたわ」
冗談でもなく本当に驚いているように見えたから、純は思わず笑ってしまう。
「今日もお邪魔します」
「今日だけではなく、何日でも泊って行って。家の者も喜ぶわ」
「そうなの?」
「貴族…と大きく括りたくはないのだけど、癇癪を突然起こしたり、果てには使用人に暴力を振るう者も一定数いるわ。他の家で務めたことのある者だったら尚更、そのような無作法者に耐えた経験がある。ジュンは使用人に対して礼儀正しく、優しい。見送り時のまた来て欲しいという言葉は本心よ」
「元の世界ではお世話してくれる人とかいないのが当たり前だったから、慣れてないだけだよ。それに、自分よりも大人の人たちにあれこれしてもらうの、申し訳ないし。感謝するのは当たり前」
「私は彼らがいるのが当たり前だったから、その感覚は分からないわね。使用人だけではないわ、お母さまも良い子と仰っていたし、お父さまもまだ帰れていないけど、再びジュンに会えるのを楽しみにしていると手紙が届いたの」
「申し訳なさとか、色々消えるわけじゃないけど。歓迎してもらえるのは、嬉しい、かな」
相変わらずグルエフ家は純を快く迎えてくれる。敵意も侮辱も気持ちの悪い感情も向けられることはない。笑顔とほんの少しの同情だけ。過度に干渉せず、程よい距離感で居てくれる彼らに、純は次第に警戒を解いていく。居心地の良さに、気づけば三日も滞在していた。純に与えられた部屋で、シドニーと使用人、合わせて三人。何かあった時の為に部屋の中にいる存在に、まだ慣れていなかった。しかしお風呂上りでパジャマという寛いだ服装のためか、ベッドに倒れ込む純は「はぁ~~」と気の抜けた声を出す。クスクスと笑うシドニー。扉の前で立つ使用人の女性も笑みを深めているのを見て恥ずかしくなり、体を起こすとベッドに腰かけた。
「我が家に随分と馴染んでくれたみたいで嬉しいわ」
「五日も泊ってたら、自然と慣れちゃうよ」
馬車での通学も、見える景色も、新鮮味はなくなった。代わりに得られる穏やかな気持ちは、新鮮味以上に代え難いものだと純は思う。
(でもそろそろ、ちゃんと向き合わなきゃいけない)
ヘザーと話をする。真実を教えてもらわなければならない。明日、絶対に、話をする。考えれば考えるほど明日が鬱になってくる。再度後ろからベッドに倒れ込んだ純は、このまますべて投げ出してしまいたい気持ちになった。
「あー…この家の子になりたい…」
「なればいいじゃない」
「うわ!」
いつの間にか近くにいたシドニーが、上から純の顔を覗き込む。驚いた純を見て笑い、ベッドに腰かけた。二人分の体重を乗せたベッドが軋むが、二人で寝ても十分な大きさがあるため壊れることはない。
「我が家の養子。なるといいわ。ジュンだったら大歓迎よ」
「簡単に言わないで。手続きとか、色々大変でしょ?」
「全く大変じゃないわよ。お父様が国王陛下に許可を貰えば良いだけの話だもの。お願いした翌日にはジュンは我がグルエフ家の次女よ」
「でも私、異世界から来てるし」
「異世界からのお客様は丁重にもてなすように言われているわ。それは何故だか分かる?」
質問に体を起こした純。思い出したくない記憶だが、ロッケンベノークで言われたことを記憶の底から引っ張り出した。
「異世界の知識が、国に繫栄をもたらす、から」
「半分正解で半分間違いよ。知識や技術は生活を豊かに、便利に、健やかにしてくれるでしょう。ただ、忘れてはいけないのが、お客様、ということ」
話をするシドニーはさながら教師のように、指を立てて純に教え施す。
「そもそも我が帝国は世界で最も力を持つ大国。異世界の知識はそこまで重要ではない。重要なのは、異世界から渡る際に神から授かったとされる加護」
「加護…」
「異なる世界を繋ぎ、神の加護を得た貴方たちは、神に守られている。神に愛され、恵みを与えられる貴方たちをもてなすことで、国にもその恩恵が与えられると考えられているのよ」
帝国に来て純に使える知識がなくても追い出されなかった理由が分かり納得した。この国の人たちは恩恵とやらを、神とやらを信じているから純を置き、ロッケンベノークは信じていないから追い出したのだろう。しかし純は神という存在を信じていない。いるとしても、良い存在ではないと思っている。国の身勝手で捨てられ、森で命からがら逃げのびた。この国で今生きれているが、日々向けられる不快な視線に安寧の場所はどこにもないのだと突きつけられる。そもそも愛しているというのなら、なぜ体の崩壊なんて事が起こる。なぜ、繋がりを持たなければならないという条件が付けられている。この世界に来る前よりもずっと前から、信仰心など持ち合わせていなかった。
(もし神様がいるなら、私は、もっと…)
過去に思考が飛んでいた純は、シドニーの声にハッとする。
「お客様の要望を、国は無下にはできない。貴女が一言、我が家に入りたいというだけで、グルエフ家の一員に成れるの」
ニコニコと嬉しそうに笑うシドニーを見ていると、それはとても魅力的な話に思えた。
「…シドニーの誕生日って、いつだっけ」
「?再来月の27よ」
「だったら、私の方がお姉ちゃんになるね」
「!!ウフフ!駄目よ、私の方がこの家に長くいるもの!私が姉よ!」
「長さ出されると絶対に敵わないよ!」
「譲らないわ!」
ベッドの上ではしゃぐ少女たちに行儀が悪いと注意する者は誰もいない。扉の前に立つ使用人は、静かに微笑んでいた。
翌日。今日こそはと意気込む純は、突発的にやってくる腹痛に顔をしかめる。
(この前からずっと…。一体何なの…?)
一次的な体調不良かと思っていた。しかし治ったかと思えば再び波のようにやってくる。聖魔法を使うが治ることはなく、今も純を苦しめている。放課後は養子縁組の話をするため、グルエフ公爵が時間を作っている。つまり落ち着いて話せるのは昼休みの今しかない。講義が終わり、席を立つヘザーに声をかけようとした純。
「!」
しかし、下からの違和感に顔を青ざめさせ、教室を出た。心配に駆けつけたシドニーは、お手洗いから出て来た純の背に手を伸ばす。
「ジュン?」
俯いて良く見えないが、腹に当てられている手は震えていた。小さくシドニーの名前が呼ばれる。
「ナプキンって、この世界にある…?」
「ナプ、キン…。ジュン、それって…!」
頷けばシドニーが両手で口を隠したのが分かった。異世界に来てから正確な日数は覚えていないが、学園生活も足せば約五カ月。ずっと来ていなかったことの方が可笑しいのだ。用品があることを教えてもらった純は安心していた。
グルエフ家に帰った二人を出迎えたのはいつもの使用人たちだけである。グルエフ公爵どころか、夫人もいないことに純は不思議に思ったが出迎えできない日もあるだろうし、いつも出迎えてもらうのも申し訳ないと思って気にならなかった。シドニーからグルエフ公爵が書類変更のため城に一時戻ったと聞かされた時も、養子縁組の書類を間違えたのかと思っただけだった。夜になり、シドニーの部屋でくつろぐ。
笑顔のシドニーに、純も自然笑みが零れた。
「ついにジュンが我が家の一員になるなんて、嬉しいわ」
「私も迎え入れてもらえて、嬉しい」
シドニーは喜んでくれたし受け入れてくれたが、公爵や夫人は分からない。本当の所、面倒な子供を引き取ることに良い顔はしないのではと不安に思っていた。しかし朝、夫人は出会うなり純を抱きしめた。
「私は、体が弱く、子は成せないと言われていたの。奇跡的にシドニーを授かって、幸せだった。でもずっと、あの子に無理をさせているのではないかと、不安に思っていたの…。ありがとう、ジュンさん。私の不安を取り除いてくれて。あの子の家族になってくれて。我が家に幸せを運んでくれて、本当に、本当に、嬉しいわ」
体から伝わる香りに少しクラクラしながらも、純は細い体を抱きしめ返した。シドニーが夜に知らせていたため、公爵からも喜びの手紙が届いており、純は不安に思う必要はないのだと力を抜くことができたのだ。
「書類手続き、今日するって話だったけど、公爵様遅いね。何かあったのかな?」
「書類変更に手間取っているのでしょうね。大丈夫、ジュンが家族になるのが早くなるか遅くなるかの違いよ。気にせず待ちましょう!」
その日のシドニーはいつもよりも機嫌が良く見えた。嬉しく思ってくれることに純も嬉しくなったし、傍から見れば純も同じように知らずはしゃいでいるのかもしれないと思った。しばらく話していた二人だが、扉の音が鳴り会話が止む。
「お休みの時間でございます」
報せに来てくれた使用人に部屋まで案内してもらうのだ。純の扱いはまだお客であり、対してシドニーはこの家の人間。グルエフ家の人間からすれば小さいこの家で、客人との部屋は結構離れていた。迷子になるといけないからと付けられたが、今ではすっかりシドニーの部屋までの道は覚えてしまっている。立ち上がり部屋を出ようとした純は、入って来た使用人がシドニーに「準備は滞りなく」と小さな声で告げているのが聞こえて、首を傾げた。しかし訪ねるよりも早く、ニコニコのシドニーが見送りをする。
「おやすみ。良い夢を」
「うん、おやすみ。良い夢を」
暗い廊下を蠟燭の火を頼りに歩く。こういう時、魔法は意外にも便利なものではないなと思う。自分が持つ属性の魔法しか使えないため、火を起こす、光を出すなどの魔法を皆が皆使えるわけではない。魔法を使うために消費している魔力を、何か物を媒介にして、皆が蝋燭ではなく火を出せるようになればいいのに、と考えていた純は、いつもと違う道に足を止める。気づいた使用人が振り返って、どうしたのかと伺い見てくるが純の顔を見て合点がいったようだった。
「ご説明を怠ってしまい、申し訳ありません。本日よりジュン様のお部屋が変更となりましたので、そちらの方へご案内させていただいておりました」
「別の部屋?どうして…」
「グルエフ家の方を、いつまでも客室に寝泊まりさせるのは正しくないことでございますので」
笑う使用人に、詰めていた息を吐く。客室は十分すぎる部屋だった。広さもゆったり生活できるほどであり、清潔感は常に保たれ、調度品の質も良い。良いホテルに泊まっている気分だった。それ以上の部屋はないだろうと思っていたが、案内された部屋は贅沢。この一言に尽きる。シドニーの部屋よりも、広さと豪華さを持つ部屋に驚きを隠せない純だったが、使用人は落ち着いて「こちらがジュン様のお部屋でございます」ともう一度繰り返した。これが個人の一室とは思えず、つい視線があちこちに向いてしまう。お風呂を見ても前より二倍は大きくなっていた。先程シドニーが耳打ちされていた準備とは、このことだったのか。一点、客室にはなかった扉を見つける。
「何の部屋ですか?」
「あれは…別のお部屋に続いております。しかし、今日はもう遅いでしょうから、後ほどのお楽しみにされては如何でしょう」
綺麗な笑顔で言われれば、今開けるのは無粋だろうと、やってくる機会を心待ちにすることにした。
「ごゆっくり、お楽しみくださいませ」
深く下げられる頭、伏せられた顔。いつもと違う就寝の言葉。わずかに覗いた同情の瞳が気になりつつも、純ははしゃいでいる自分に向けられたのだろうと恥ずかしく思いながら眠る準備に入る。
「…流石に、ベッドの上に薔薇の花弁は、やり過ぎじゃない…?」
若干引きながらもそれだけ迎え入れてくれているのだと嬉しくなる。どうやって眠れば良いのか悩みながら、大きな大きなベッドに寝ころび、夢の世界へ沈んでいったのだった。
違和感を覚えたのは、眠りについてからどれほど経ったくらいか。なんだか体が重く、熱く感じた純は目を開けた。見えるのは、枕と天蓋から伸びるカーテン。そしてその奥で輝く月明かり。いつもと何も違わない。そう思った純の耳に、熱く荒い息がかかる。
「?!」
飛び起きれば、上に乗っていた人物がバランスを崩して倒れたのが見えた。その人物を知っていたからこそ、純は驚き、それ以上に恐怖に体が震えた。




