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第33話:喧騒③

 本当なら勉強に時間を当てたかったのに、お腹の痛みと気持ちの悪さが続いて休日は治癒魔法を使いながら時間を過ごすことになった。


 寮から学園への道を歩く純。呼び止める声に振り返る。ヘザーだった。先日の光景を思い出した純は体を固くする。


「ちょっ、はぁ、あのっ、おっ、おは、おはなし、がっ、ぜぇ、はぁ、あ、あり、まして…!」


 しかし、走って追いかけて来たのか、話せないほど荒く呼吸を繰り返すヘザーに息を吐いた。


「まずは落ち着いて」

「はっ、はいぃ…」


 近くのベンチに腰を下ろし、ヘザーの息が整うのを待つ。見上げた先にある木には見覚えがあるのだが、なんだったっけと思い出せない頭を捻る。記憶を探っている間に落ち着いたヘザーが「すみません」と頭を下げた。


「ぇと、お引止めして申し訳ないんですけど、その、そんな、た、大した用じゃなくてですね。あ、あんまり期待というか、重く考えないで欲しいというか、そのぉ…」


 いつも通りもじもじと話すヘザーだが、純の顔を見て「ひぃ」と悲鳴を上げる。


「すすすすぐ!すぐです!すぐにおお終わらせますので!」


 ポケットに手を入れては抜き、別の所に手を入れては抜くを繰り返す。ようやく目当ての物が見つかったらしい。嬉しそうな顔で開かれた手には、赤・青・黄・緑・白の宝石が一つに連なったブレスレットが乗せられていた。


「その…今、生徒の間で、に、人気というか、話題のブレスレット、です。ま、街の、ちょっと暗い裏路地にお店があある、んですけど、直接足を運んで買ったら、良いことあるって、その、言われ、てて…」


 宝石自体は大きくなく、しかし光が反射する様は見ていて心躍る。尻すぼみになる声にブレスレットからヘザーに視線を向けると、彼女は顔を真っ赤にして目をぎゅっと閉じていた。


「そ、そ、その、友情が、長続きする、みたいな…。っ~~~す、すみませんっ…!調子に乗ってこんなもの買ってきて、お、お揃いとか、恥ずかしいし迷惑ですよね…!」


 お揃い、にヘザーの腕に目をやれば、同じ光が反射した。


「全っ然っ、捨ててもらっても構わないです…!私が勝手に買って来ただけですし、付ける付けないはご本人の意志が全てですし、うぅ…その、本当に、す、すみません…」


 純が見ているため、ブレスレットの乗った手を引くに引けず、差し出した状態であまりの恥ずかしさにプシューと顔から湯気を出す。ヘザーの様子が変化する様を見ていた純は数回目を瞬かせ、ヘザーを見てはブレスレットを見るを二度ほど繰り返す。


 ヘザーが羞恥心に耐えられなくなる前に、純は手の上に乗るブレスレットを取った。目の前のヘザーが安堵にほっと息を吐く。


「…こういうの、久しぶり」

「こ、こういう、の、ですか?」

「…友達と、おそろいの物をつける、みたいなの」

「おそ、ろい…」

「ありがとう」


 顔を上げた純が見たのは、いつもより大人びた顔で笑うヘザー。


「…私も、こういうのは、初めてなので。受け取ってくださって、ありがとうございます」


 伏目で礼を口にしたヘザーに純は僅かに首を傾げたが、講義が始まるからと手を引かれたので少し躊躇いながらも足を動かした。両者の腕には揃いのブレスレットが付けられていた。


 ブレスレットのことについて、シドニーから何かしら詮索が来るのが面倒だと思っていたが、彼女は午前中は休むと教員から連絡が入った。実家の都合とだけしか教えてもらえず、何かあったのかと不安になる。しかし事件や事故が起こったわけではないと教員が笑ったので、胸を撫でおろした。


(後で話を聞こう。私が力になれることがあるかは、分からないけど)


 シドニーだけではなく、彼女の両親や家の人たちも、皆優しくしてくれた。もし何か困っていることがあるのなら、純ができる範囲で手助けしたい。優しくしてくれた恩をきちんと返したいと純は思った。


 移動教室。シドニーは不在、ジェネヴィーヴは遅刻。ヘザーは教員に呼ばれたらしく、講義が終わるなり教室を出ていった。廊下を一人歩く純の前に立ちふさがる者が一人。


「ジュン・カツィーキ…!」

「…………」


 憎い感情を隠しもせず、睨み付けてくる男。同じ教室にいながら純が一人になるタイミングで突っかかってくる彼に、ため息を吐いてしまう。


「今日こそ貴様を完膚なきまでに叩きのめしてやる!俺と戦え!」

「何度も言ってますけど、今貴方が私と戦っても私が百パー…必ず負けます。貴方が私を見下して、油断していたからあの時は勝っただけで、準備も警戒も万端な貴方に、今の私が勝てるはずないでしょう」

「入学して数か月。俺は更に強くなった。貴様も強くなった!あの時と実力は互いに変化している。成長している!同じく学び、精進した今、再び戦うことで俺は完全に貴様を超える!戦え!」

「戦わなくても超えてますから。そこ通してもらっていいですか?」

「俺と戦うと言うのなら退いてやろう」


 埒が明かない会話に、純は思わず額を抑えてしまう。毎度こうなのだ。純が何を言っても聞く耳を持たず、戦闘狂のように戦いを強要してくる。シドニーら友人や教員らが迎えに来たり通りかかったりしなければずっとこのやり取りが続く。しかもイーノクは侯爵家、そして純も異世界人という互いに知名度の高い生徒であるため、注目が集まりやすい。見ていた生徒が野次馬と化し、面白おかしく話のネタにされる。実害はないが、不快だった。いい加減にしろと叫びたくなるのを我慢して、何とか退いてもらおうとした時、「イーノク様」と凛とした声が響く。純の後ろからした声に振り返れば、純より数センチほど高い、スラリとした体形の生徒がいた。整った顔立ち、長く整えられた髪。周囲の人間の反応から、彼女も高位貴族の一人なのだろうかと考える。


「このような所で騒ぎを起こすなど、デルーカ家の者として恥ずかしくはないのですか。お父君が知ればなんと仰るか」

「マ、マイラ…なぜ、ここに…」

「私も学園に身を置くもの。勉学に励むため以外に理由が必要?」


 言い淀むイーノク。いつもは胸も声も張る彼の、縮こまり、言葉を探す姿を始めて見た新鮮さに純は二度瞬きをする。


「体術剣術の成績は優秀。しかし勉学の方は随分と疎かにしている。…そのようなお話を耳にいたしました。次期侯爵たるもの、知性も持たねばならないことなど承知の上でしょう。このような所で遊んでいる暇があるのなら、一つでも多くの外国語なり専門語なりを覚えなさい」


 語気は強くないのに、迫力のある声。圧倒されたイーノクは悔し気に唇を嚙んで頭を下げた。しかし純は「待ってください」とその背を止める。周囲からも視線を感じながら、純は今しかないと口を開いた。


「この世界に来て勉強を始めた私よりも成績の悪い人に構っているほど暇じゃないので、せめて私より勉強で上の順位になってからにしてください。それまでは、声もかけないでください。一々相手してるとせっかくの勉強時間が削られてしまうので」

「クッ…!…!…!!」


 怒りに肩を震わせ、教室の方へ戻っていくイーノク。これでしばらくは声をかけられることはないだろう。彼に言いたかったのもあるが、周りで聞いている野次馬たちも順位が低い者たちは目を反らし、自らの教室へ戻っていく。純も順位を越されないように今以上に勉強しなければならないため、自分の首を絞めてもいるのだが。


「全く…」


 野次馬が解散していく中、純の隣に立つ生徒。呆れの息を吐いた彼女は純の視線を受けて、綺麗なカーテシーで自己紹介を行う。


「ご挨拶遅れまして申し訳ありません。ブールグ家が長女、マイラと申します。学年は一学年上ですので、関わり合いはあまりないかもしれませんが、どうぞお見知りおきを」

「あ、純、です」

「あら…お初にお目にかかります」


 純のことを少なからず知っているのだろう。名前を聞いただけで何かを悟ったらしい彼女は、改めて深くお辞儀した。顔を上げたその目に同情心のようなものを見つけた純は、今までに向けられたことの少ない視線に気まずくなって目を伏せる。


「彼らの様子を見るからに、今後も余計な手出しをしてくる者はいるでしょう。お一人で行動されてはどう的にされるか分かりませんので、どなたかと行動を共にされた方がよろしいかと。…初対面だと言うのに、お節介でしたね」


 真剣な表情から一変、眉を下げて謝罪するマイラ。「つい癖なのです。イーノク様にもよく嫌がられます」と笑う。


「お友達かお知り合いはいらっしゃいますか?可能であれば、互いに信頼できる方が一番よろしいのですが…」

「一応、います」

「まぁ、それは良かった」


 自分の事かのように喜ぶマイラは、「そろそろ講義が始まりますね」と教室の方へ足を向ける。


「もし何かお困りのことがありましたら、いつでも相談に乗りますので」


 ではまた、と去っていく後ろ姿に純はただ返事をすることしか出来なかった。鐘の音が聞こえて、マイラの言う通り講義が始まるからと教室に向かう。周囲にはもう人はいない。移動教室のために使うだけで、教室がある建物から少し距離がある通路だからだ。音楽室や美術室、化学室と言った、講義やクラブで利用することが多い建物の近くであるここには、通路を左に曲がってするに職員室がある。もう五分もすれば講義開始のため、教員に見つかって注意を受けるのは避けたい純は通路から職員室側を覗き込み、人影がないのを確認して横切ろうとする。


「!」


 しかし見えた二つの影に、咄嗟に近くの空き教室に入った。息を殺して通り過ぎるのを待つ。足音は止まったが、通り過ぎることはなく、その場で立ち話を始める二人。


「——こんなところでよろしいのですか?誰かに見られるかもしれません」

「問題ないよ。ここは職員室までの廊下しかなく、あとは横切るだけの通路のみ。それに空き教室もあるけど、」


 開かれた扉の先に、生徒は誰もいない。「こんな時間に学生はいない」と扉を閉められ、咄嗟に教卓の下に隠れた純は早鐘を打つ心臓を何とか抑えつけた。教卓から這い出て、再び聞き耳を立てていることに罪悪感を抱くことはない。それよりも、驚愕が勝っている。


 一方はヨセフ。エイダンら供が側にいないのは、意図的なのか偶然なのか。純が気になるのはもう一人の方だ。


「君を王城に呼び出すのも、今は一苦労だからね。ロペロス」


 背筋を伸ばし、ヨセフに対して恐れを抱いていない姿は、いつものおどおどとした言動からは想像もつかなかった。

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