第29話:学園生活⑤
学園生活を送りだして始めて、純は街に来ていた。一人ではなく、シドニーと共に。学園内にも学生・教員が共に使える売店はあるが、貴族として身に着けるものも一級品でなければならないと主張するシドニーに引きづられる形で来ていた。学園終わりだったので制服のまま。
「さぁ、ジュン様!参りましょう!」
買い物に目をキラキラさせるシドニーに頷き、純は元の世界の放課後みたいだな、と考えていた。しかし入る店は貴族御用達ばかりで、ただの文房具なのに丸が想定よりいくつも多い。こんなの使うとか怖くて無理だと震える純の横で、シドニーは注文していたのか商品を受け取っていた。聞けばフルオーダーの万年筆。金額は店にあるものより丸が一個増えて更に震えた。純も購入を勧められたが、手持ちの文房具はまだ余裕で使えるし、店の物を買うだけのお金なんて持っていないので丁重に遠慮させてもらった。
シドニーの目的は万年筆と、新しく出来たスイーツ店。予約していたことですぐに店内に案内され、飲み物と一緒にケーキが到着する。恭しく運ばれてきたのはイチジクのケーキ。長方形にスポンジとクリームが重なり、一番上にイチジクのムースとソースがかけられている。ケーキの上に均等に三か所、左からブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリーが置かれ、飾り立てる。完成された見目は崩すのに抵抗を覚えてしまうほどだ。そっとフォークを突き刺して一口。上品なイチジクの甘さ。クリームはもっと重く甘いのかと思ったが、イチジクを邪魔しない軽く僅かな甘さが丁度良い。上に飾られたベリーたちを一緒に食べると酸味が加わり、さっぱりと食べられる。一緒に出て来た紅茶も美味しくてつい頬が緩んだ。店内もウェイトレスも一級品だと一目で分かるので、美味しさに集中しながらいつもより背筋肩肘を張って食べていた。目の前に座り、同じようにケーキを食べるシドニー。
「噂では聞いておりましたが、流石Mrトリーフォノフ。世界を旅した彼の手から生まれるケーキは、それぞれの素材が主張しながらも互いを邪魔しないよう繊細に、組み合わせが良く考えられていて、とても美味しいですわね」
ケーキ一つ口に運ぶ所作さえ非常に上品で、純は今日初めて、シドニーが本当に貴族なのだと改めて認識した。
貴族街と呼ばれるこの辺りは貴族専用の店が立ち並ぶ。人は少なく、純たちと同じ制服を着た学園生か、使用人みたいな服を着た人がちらほら見える程度だ。店内だけではなく店の外観にも力を入れている為、ただ見ているだけでもとても楽しい。幼い頃からよく来ていたシドニーの説明があるおかげで、一層楽しむことができていた。つい目に入ったものを見ていたら、気づけば純の横にシドニーはいない。周りも豪華な店ではなく、歩く人も普通の服を着ている。どうやら貴族街から出てしまい、加えて迷子になってしまったらしい。
学園は王城のすぐ近くに建てられている。城は大きいからすぐに見つけられるため、帰れないことはない。しかし、学園から街まで馬車で数十分。降りた場所からここまで結構な距離があるため、徒歩だと帰宅一時間は確実にかかるだろう。自分の責任なのだが、ため息が出てしまう。うだうだ考えても仕方ない。貴族街の方へ歩いていれば、その内シドニーに会うことができるかもしれないと歩き出そうとした時、純は見覚えのある顔を見つけて足を止める。
「…ロペロス、さん」
フードを被っていてはっきりと言い切れないが、その人物の顔はとてもヘザーに似ていた。しかしいつもの気弱でおどおどした雰囲気ではない、冷たい空気を纏った彼女は怪しげな路地裏へと消える。ふと純は、自分が今立っている場所、通りに見覚えがあった。カールの家にいた時、買い物のために来ていた場所だ。そしてヘザーが入っていった路地裏は、ヨセフと初めて会った場所。
(まさか)
見間違いだと純は思う。でも見間違いだと言い切れないのは、先日ヨセフと一緒に歩いているのを見たからなのか。あれこそ見間違いだ。信じられないなら確かめれば良いだけだという囁きに突き動かされるまま、路地裏の方へ足を進める。なぜ、ヘザーがこんなところにいるのか。それも、王太子ヨセフがいた路地裏に、どうして。偶然か、嫌そもそもヘザーじゃない可能性の方が大きい。パッとフードの下が少し見えただけで、しかも遠目に見ただけで、ヘザーだと判断するのは難しい。分かっているのに、心臓が嫌に音を立てて不安を掻き立てる。
(まさか、ロペロスさんは、)
「オや!その高貴なオ姿はもしや、ジュン様ではアりませんか?」
名前を呼ばれて思わず足を止めたことを純はすぐさま後悔した。勿論、声の主が面倒臭い相手だと気づいたからだ。声の方向は左横。まだギリギリ姿が見えていないなら、回れ右して貴族街の方向に走れば、面倒の相手をしなくても良いのでは、と考えている間に、長い足で距離を縮められて前に立たれてしまう。
「オォ!やはり!ワタシの目に間違イはアりませんでした!」
モノクロをわざとらしく鳴らして近づけられる顔から、遠慮なく遠ざかる。「悲しイです…」と眉を下げるが、目の前の男は悲しさなんて全く感じていない。
「なんでここに」
純の問い、ではなく憎々し気な呟きに下げていた眉をすぐに上げ、喜びに顔を一杯にしたのを見れば分かる。
「アァ、ワタシに興味を抱イてイただけるとは!このバッカス、努力が報われたよウで大変ウれしく思イます!」
バッカスはクラスが別の為、入学後も純を見つければ声をかけ、見つけずとも追いかけては声をかけ、他の生徒に品を売っている最中でも声をかけて来た。諦めの悪さを努力と呼ぶのなら、そうなのだろう。付きまとわれる人間の迷惑を勘定に入れろと言いたくなるが。
「商人として市場調査は必要不可欠。皆様が何を求め、何に手を伸ばすのか。売り方買イ方全て知るため、こウして赴イてイる次第でござイます。これも一重に皆様の為。皆様により良イ商品をご案内し、ご購入してイただくため!」
「…自分の利益しか考えてない癖に」
「オォ!それは違イます!違イますよ!皆様の利益の先に、ワタシの利益がアるのでーす」
胡散臭い笑みを絶やさない男の言葉なんか信用できない。これ以上話してはいつものようにバッカスによるバッカスの売り込みが始まるので、早めに撤退するのが吉だ。
「ところでジュン様は、何かオ探しだったのでは?」
「貴方には関係ない話です」
「そんな悲しイこと言わなイでくださイよ。ワタシは商人。売れるモノは何でも揃エてオ見せイたします。宝石や服に限らず。人も噂も、アァ、そウ、例エば。大切なご友人の秘密、とか」
「!」
モノクロの奥で、茶色の瞳が弧を描く。夕方時、日が落ち始めて周囲がオレンジに染まっていく。影を背負う男の前で、純は反応してしまったことを後悔した。しかし、知りたいと、情報が欲しいと思うのも、事実だった。
「…知ってるの?」
「それはオ取引が成立した後に、分かること。ですが、貴方がオ望みのモノ、コト、全てそろエて見せましょウ。アァ、もちろん、対価はイただきますけどね」
いつもの定型文。対価は非常に分かりやすいもの、つまりはお金だ。大金を積めば、彼はなんでも教えてくれる。何でも持って来てくれる。しかし純に、自由に使えるお金などない。ならば差し出せるものは、純自身だ。
(お金はない、でも知りたい。知るには、対価を…情報に見合ったものを渡さなきゃいけない。誰かの秘密を知るための対価に、私という価値は、見合っている…)
「ワタシが世界中駆けまわって揃エるほどに、貴方の価値は限りなく高イ。この世界で非常に希少な、異界からのオ客人ですから」
急かすことなくゆっくりでありながら、逃がす気のない意図を含んだ「如何イたしますか」の問いに、純は手を強く握り締めた。




