第28話:学園生活④
雲の多い空の下、お昼時から少し経った今は丁度おやつ時だった。女子寮から少し歩いたこの場所で、決められた茶会をするのは学園に入学して何度目か分からない。学園専属の庭師が整えている草花によって心が和らぐはずが、憂鬱な気持ちになるのは茶会が嫌だからだ。正面に座る男の見慣れた顔が驚愕に染まるのを、純は紅茶を飲みながら見た。
「はぁ?!ちょ、な、はぁ?!嘘だろ?!」
「嘘だと思うならそう思えば良いじゃないですか」
エイダンとのお茶会。何を話すことがあるのかと思う通り、回を重ねていくごとにエイダンからの質問も減り、純が口を開く時間も減っていた。時間がもったいないと思うが、紅茶と一緒に並べられる茶菓子はとても美味しい。実際王城で出されている高級品らしく、並ばなければ食べられないものもあると言われれば、手が何度も伸びてしまうのは仕方がないことだ。
「いやいやいやいや…。まだ入学して3か月そこらだ。そーんな短い間にだ!まさか!まさか恋人が!出来るなんて!っ、誰が、信じられるんだよ…!」
先日、ハリソンからの告白を純は受け入れた。話を真剣に聞いていなかった罪悪感もあった。しかしそれだけではない。自分の考えについ首を振った純に、ハリソンが「ぁ、やっぱり、だめ、だよね…。ごめん」と立ち上がったの腕を引いて止める。誰から告白されても良いわけじゃない。無理やり踏み込んでこない、優しくて思いやりのあるハリソンだったから、良いのだ。人を信じられなくなった純にとって、ゆっくり時間をかけても大丈夫だと思える安心出来る人物だった。
エイダンとの定期お茶会が始まってから、彼は会話のネタが無くなったのか純に恋人はいないのかと訪ねて来た。言いふらすつもりはなかったが、今後何度も聞かれるのは面倒だと思って伝えただけだ。
「先に聞いたのはそちらじゃないですか」
「恋人はできたのか?まさかできてないなんてことないよなぁ。一人や二人くらいできたんだろ?」としつこく聞いてきたのはエイダンの方である。
「ぐっ、ぅ、た、しかにそうなんだけどさぁ…」
若いときの経験はあるにこしたことはない、若い頃は沢山遊んでおけと余計なアドバイスまでされた。自分で聞いておいて答えが返ってきたら思ってなかった反応に困るエイダンに、純は伝えても面倒になったなと思う。しかしエイダンの反応を見るに、後で知られるよりはましだったろう。
「私に恋人ができて、何か問題でもあるんですか?」
「いやない。無いけど、…だぁー。…それって好きで付き合うことにしたのか?ちゃんと、恋愛的な意味で、だ」
感情は、今のところない。純も自覚しているから、エイダンの質問に目を反らす。
「好きでもない相手と付き合うのは、やめておいた方が良いと思うぞ」
「どうしてですか。別に今好きじゃないだけで、一緒にいたら好きになるかもしれません」
「そうだな。長い時間をかけて感情を育むことはあるな。でもな、ジュン。俺にはお前が焦ってるように見える」
何を言ってるんだと純は紅茶と一緒に唾を飲み込んだ。
「何に焦ってるのかまでは分からないが…。そんな慌ててまでさ、誰かと関係作ろうとしなくても良いんじゃねぇの?」
紅茶の入ったカップを持つ手が震える。動揺をしている自分を見せないようにカップを皿に戻した。カップと皿がぶつかって、わずかに音が鳴る。見上げたエイダンは、眉を寄せてこちらを見ていて、まるで心配しているように見えた。聞き分けの無い小さな子供に言い聞かせるみたいに、エイダンは優しい言葉を選ぶ。
「お前はこっちに一人で連れてこられて、色々心細いし不安もあるだろうが、そんな急ごしらえの関係はな、あんまり長くは続かない。それに、お前はただでさえ注目を集めやすいんだ。相手がどんだけ良い奴だろうが、三か月は少し早いんじゃねぇかな。もう少し時間をかけて、見極めないと、」
「もう少しって、どれくらいですか」
「え?あ、っと、一年とか?」
「…私が恋人を作るのに、一年も時間をかけなきゃいけないんですか。自由に相手を選ぶこともできないんですか」
「あー、違う。そういうわけじゃ、」
「そうじゃないなら何だって言うんですか!…貴方たちに守られている人間のくせに勝手なことするなよって思うのは分かります。でも、人間関係にまで口出しされるのは、我慢できません」
席を立った純はエイダンに背を向ける。今日はもう茶会を続けようとは思わなかった。女子寮へ足を向ける純をエイダンは追いかけようとするが、慌てて机にぶつかってしまい、痛みに顔をしかめる。
「違うんだ、ジュン!俺はお前を心配して!」
「……………」
エイダンの言葉はしっかりと聞こえていたが、純は振り返らなかった。何にここまで腹を立てているのかを考えた時、やはり自分の行動を制限されたことに対してだと思う。何をするにも、考えるにも、誰かの許可が必要なんて間違っている。そう思うのに、自分の考えも行動も正しいと思うのに、エイダンの顔が頭から離れなかった。
「えっ!ぁ、お、お付き合い、ですか…」
驚きに大きな声を上げたヘザーは、周囲を見渡して声を抑える。ジェネヴィーヴとヘザーが偶然寮の前にいて、様子が可笑しいと引き留められた純はハリソンと付き合ってることを二人にも伝えた。ジェネヴィーヴはいつも通り蜘蛛を捕まえて観察しており、ヘザーもいつも通り彼女に捕まってしまったらしい。言葉を探すヘザーよりも早く、蜘蛛に夢中で話を聞いていないと思われたジェネヴィーヴが口を開いた。
「それって、恋愛感情?」
「………」
先程のエイダンと同じ質問に、純の体が止まる。顔を見てマズイと思ったヘザーが止めようとするも、ジェネヴィーヴは蜘蛛に視線を向けていて気付かない。
「貴女に優しくしてくれる方への依存じゃないの?」
「…い、ぞん…?…そんな、あるわけない。いぞんとか、私は、」
「この世界にジュンはたった一人。後ろ盾になる家も何もないよね?そんな子供が不純な動機も下心もなく優しくしてくれる人にコロッと流されて心寄せちゃうとか、別に可笑しくない話だと思うね」
純はギュッと手を握り締める。何故皆、純がハリソンと付き合うことに反対するのだろうか。何故、いけないことだと始めから決めつけるのか。怒る純、全く気にせず蜘蛛を愛でるジェネヴィーヴ。二人を交互に見ては更にマズイとヘザーの顔はどんどん青ざめる。
「……何、」
「ぁ、あの!」
純が口を開いた直後、ヘザーの決死の声が響く。声が被ってしまったことに更に青ざめるも、両者の視線が向けられたことでヘザーは何とか空気を変えようと唾を呑んだ。
「て、帝国史によれば、第七代目国王は王妃を六回も変えています。王の心変わりが原因だったのですが、世継ぎは多いことに越したことはないと、次代からは側室の制度が設けられました。貴族は血を大切にしますので、王を真似ておお多くの貴族が側室を娶るように、な、なります。正室側室の差はあったりなかったりしますし、側室の方に愛情が傾く方もいます。この方だと決めて一生の愛を誓っても、その通りにならないことなんか沢山歴史書には掲載されています。男性だけではなく女性も愛人を作って真実の愛を楽しみますし、そういった内容の嗜好品も世に多数で回って愛読されているほどに受け入れられている世の中です」
ハッとヘザーが気づいたときには、純もジェネヴィーヴも驚きに目を開いていた。自分の話に集中しすぎていたヘザーは思考が停止して、その後に何を言おうとしていたか忘れてしまった。
「…………えっと、だから、そのぉ……………れ、恋愛感情がなくても、良いんじゃないかなぁ、と、わ、わたしは、思います…はい…」
風が木を鳴らす音まで聞こえる静けさの中、ヘザーは恥ずかしさに飛んで逃げたくなった。静寂を破ったのは、かすかな笑い声だ。漏れ出てしまったのだろう、かすかな息の振動は純からだった。必死な様子のヘザーについ気が緩んでしまう。それを見たジェネヴィーヴも頬を緩める。
「言われればそうね!私の国でも愛のない結婚はどこにでも転がっているもの。不躾だった。ごめんね、ジュン」
「…私も、カッとなっちゃって、ごめんなさい」
想定とは形は違うも、二人の仲に亀裂が入らなくて良かったとヘザーは息を吐く。
「…そんな顔ができるようになったのなら、良かったです」
「顔?」
「ぇ、あっ、違います!そんな、わ、悪い意味じゃないんです…!良い表情って言うか、こう、優しい感じって言いますか…!」
泣きそうになるヘザーに大丈夫だと伝え、ジェネヴィーヴから蜘蛛の説明を聞いた純は部屋へ戻る。そんな顔とはどんな顔だろうかとほっぺを揉んだ。
勉強になんだか身が入らず、早めの就寝となった。しかし眠れず、時計を見れば布団に入ってから既に二時間も経過している。このままでは眠れないなと起き上がった純は靴を履いて部屋の外へ出た。夜も遅いので、寮から出て建物を振り返っても光はどこの部屋も付いていない。昼よりは気温が低いが、凍えるような寒さでもないので、純は月明かりを頼りに庭を歩く。建物から少し離れた、開けた場所で足を止めると、手を上げ足を動かし、記憶を頼りに体を動かしていく。眠れない原因の多くは運動不足だ。今日は休日で学校もなく、茶会後は勉強をしていた純は授業がある日よりも体を動かしていない。疲労が足りないから眠れない。だから、動く。かつて嘆きの森で出会った商人一家の一人娘、フィーロから教えてもらった踊りを、忘れないように時折人目に付かない場所で練習していた。
体を動かすことは好きだ。キツイ練習は嫌だけど、程よい運動はストレスの解消にもなるし、良い睡眠に繋がる。それに、こうして動いている間は、余計なことを考えなくて済む。
舞う姿を見るのは地面ごと照らしてくる月だけだと思えば、何も気にすることはなかった。
よく眠れた翌日、純の元に一枚の手紙が届く。内容は、今は使われていない建物を好きに使って良いよ、というものだった。上から目線の言葉通り、差出人は大変気に食わない王太子ヨセフである。腹黒く何を考えているのか分からない彼の思惑に誰が乗るかと思ったが、興味本位で地図に示された場所へ行ってみると、外観は少し古いが、中は綺麗な洋館があった。といっても平屋で、部屋は二つ。一つは休憩室だろう、一人掛けのソファが二つとテーブルが一つ。棚はあるが並べられている本は歴史書が二冊だけ。もう一つの部屋は広いのに物が何も置かれていない。好きに飾って使えという意図なのか、そんなことをしてヨセフにどんな利点があるのかさっぱり分からない。しかし女子寮から徒歩十分ほど離れたこの場所は、周りは木々に囲まれてまるで隠れ場。少し遠いが、誰に見られることもなく勉強することも、くつろぐことも、踊ることもできるのは良いと思った。ヨセフから与えられた場所である、という点を除けばだが。
企みが分からなかったので、一週間から二週間に一度、眠れないときや周りに人の気配も感じたくないときに使うことにした。周期性がないように日を変えて使えば、何か企みがあっても大丈夫だろうと考えたからだ。広々とした室内で踊るのはまるで自分が映画のワンシーンにいるかのようで、思いのほか気に入っている。しかしそれを本人に伝える気はない。教室で毎日会うとは言っても、両者の距離は遠い。上から目線で感謝を求められても困るのでヨセフのことを避けていた純。通りの向こうにヨセフが見えて顔をしかめる。純は職員室へ向かっており、あちらの目的地はまた別のようだ。合流しないことに安心するが、気づかれて声をかけられないよう足早にその場を後にする。視界の端、ヨセフの陰になって見えなかったが、彼の後ろに人影が見えた。もう一人いたのかと気になって視線を向けた先で見えたのは、眼鏡と茶色の髪の少女。思わず足を止めたが、角を曲がった彼らを壁が隠してしまう。
「…………ロペロスさん?」
頭を振ってすぐに否定する。ヘザーとヨセフには接点が何もないし、見えたのは一瞬だけだった。気のせいだ、と自分に言い聞かせて職員室へ足を向ける。
(でも私、ロペロスさんのこと、何も知らない)
何が好きで、誰と友達で、学園がない日に何をしているのかも、何も知らない。でも純は質問の内容は思いついても、質問の仕方が分からない。とても簡単だと知っている。今までの人生で、新しいクラスで、はじめましての人たちと何度も話をしてきた。その時と同じように振る舞い、質問するだけだ。しかし、いざ実行しようと思うと、喉が閉まる。言葉が出てこない。学園に入学して三か月以上。
(今更、すぎる)
時間が経って聞くのが、好きな物、嫌いな物、誰が好きで誰が嫌いで。普通ならとっくの昔に済ませている問答だ。それに、校舎へ向かう道すがら、話そうと頑張るヘザーに純は助け船も出さず、ただ黙していた。そんな自分が今更なんと言って訪ねれば良いのかが、分からなかった。




