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第27話:学園生活③

 シドニーとの仲は良くも悪くもない。


「ジュン様。殿下とどのようなお話をされているのかそろそろ教えていただけますか?可能なら私も一緒にお話がしたいですわ」


 この、ヨセフとの仲を取り持て、という圧さえなければ。聞いてもいないのに聞かされた話によれば、小さい頃、婚約者探しをしていたヨセフと顔を合わせた際に、彼のあまりの美しさに一目惚れしてしまったそうだ。会話をして賢いことを知り、更に好きになってしまったと頬を染めて語るのは構わないのだが、特に交流していない、話すことはないと伝えてもしつこく何度も聞いてくるのは疲れる。ただ、断ったその時はすぐに引いてくれるし、彼女がする話は学園内のゴシップに留まらず、国内外の情勢を教えてくれるので重宝している。


「「「……………」」」


 問題は、シドニー以外の女生徒だった。


 珍しくシドニーが一緒に勉強をしたいと言い出し、純は始めて貴族のサロンに足を踏み入れた。豪華に飾られた室内は、調度品に光が反射して目を攻撃してくる。この中で勉強するより、静かで落ち着いていて目に痛くない図書館の方が集中できると思うのだが、「平民の方々の邪魔はできませんわ」と遠回しに、彼らと一緒に居たくない主張をされたので仕方がない。いつも通り教材を広げる。教え合い、をするわけではない。皆Sクラス、当然だが頭が良かった。自分の学びに重きを置いた勉強会は思っていたよりも心地良く、集中できていた。ふと隣に座る女生徒が動きを止めていることに気づいた純は、何気なく彼女の手元を見る。思うような答えが出なかったらしく、しかし自分の回答のどこで間違えているのかが分からないようだった。純の指が間違えている箇所を示した瞬間、彼女の体が僅かに固まったのが見えた。


「ここの計算式が、多分間違えてます」

「………ご指摘いただき、ありがとうございます」

「いえ」


 入学当初、純の成績はSクラスの中で最も低かった。Aクラスの成績を実際に見たわけではないが、恐らくAクラスでも下位、良くて中位だと、授業の難しさから感じていた。何とか必死に食いつけたのは、負けたくなかったからだ。嫌な視線に加えて、成績が低いと知ると見下すように見てくる。王太子にとって貴重な人物だから攻撃しないだけで、その肩書が無くなればすぐにでも食い尽くされただろう。なにより、良い気のしないヨセフに頼っている状態が腹立たしい。負けないと、ただひたすら勉強した。分からないところは全て教員に訪ねた。うんざりするほど質問する純に良い顔をしない教員もいたが、誰よりも熱心な純を気に入って積極的に教えてくれる教員もいた。努力の甲斐あって、学園入学から3か月。純の成績はSクラスの上位層に食い込み始める。


 学園に通う令嬢の多くは、専門知識を学ぶためではなく将来の伴侶探し・人脈作りに来ている。そのため成績を重視している者は少なく、積極的に学ぶことはしない。己を磨き、会話から親しくなると同時に情報を集める。それが普通で、当たり前のことだった。それでも、王族の加護があるだけの何も持たない異世界人を見下していた彼女たちは、ぽっと現れた純が自分たちより優れていることが耐えられなかったのだろう。Sクラスでのみ定期的に行われる試験結果はクラス全員が確認できるよう教室内に張り出されるのに対して、ダンスや刺繍といった教養科目の試験結果は大々的に知らされることが無い。誇り高く淑やかに、と言われ育ってきている為、自分たちから堂々と公言することもできない。長い年月をかけて淑女教育を受けている自分たちよりも、ただの成績だけで純が上と判断されているのが、彼女たちは許せなかった。


 始めはちょっとした嫌がらせだった。決まってヨセフやシドニーがいないときに、話しかけても無視されたり、陰口を叩かれたり。気になりはしたが、勉強に必死で食いつこうとしていた純は気にしないようにと取った態度が一層、彼女たちの琴線に触れてしまう。物を隠されたり、足をかけられたり、図書館で指定位置になりつつある椅子に画びょうが置かれていたり。流石に危ないから止めて欲しいと伝えたが、自分たちはしていないと逃げられてしまった。それでも教員やシドニーたちに告げ口しなかったのは、3か月という短い期間でも一緒に学生生活を送った彼女たちに情があったからだ。例え口をきいてもらえず、嫌がらせをされていても、友人だと、少なからず思っていたのかもしれない。

 シドニーがいなければ成立しない友人関係ってなによと、今しがた階段から突き落とされて地面に手をつく純は心の中で自嘲する。突き落とされたのが階段の下から3段目だから大怪我にならずに済んでよかった。それでも急なことだったので受け身も取れず、尻と手が痛む。立ち上がろうとすると腕が痛み、思わず顔をしかめた。


「ぁ、わたし…」


 顔を上げた先には、純を突き飛ばした女生徒と、その友人たちが。青い顔から、突き落とすつもりはなかったのかもしれない。少し脅かそうとしただけなのかもしれない。悪意が全くないとは言い切ることはできないけれど、意図して突き落とそうとした割には、周りに人が多すぎた。ざわつく周囲に純は面倒だとため息を吐く。


「これは、一体何事です」


 凛とした声が階段上から聞こえる。いつもの穏やかな表情ではない、冷たい目で眼下の様子を見ていたシドニーは、倒れている純に気づいて僅かに目の端が動いた。しかし声を荒げることはない。顔を青くして、体まで震える女生徒たちの隣を静かに通り過ぎ、純の側に汚れていない綺麗な膝を付く。


「お怪我は?」

「…ないですよ。突き落とされたとかじゃなくて、私が、階段から足を踏み外しただけです」


 立ち上がろうとしたが上手く行かない。やはり打ちどころが悪かったようで、一旦保健室で腕を見てもらった方が良いかもしれない。その様子を見ていたシドニーは息を吐いて手を差し伸べる。


「…分かりました。ジュン様がそう仰るのなら、その通りなのでしょう」


 一先ず腕の手当を、と地面に落ちた教材を拾って、保健室へと誘導してくるシドニー。ちらと見えた彼女たちは、涙を流してその場に崩れ落ちていた。


 翌日。教室に件の女生徒たちはいなかった。担任が言うのは家の都合により自主退学をしたとのこと。どんな思惑が働き、実際に誰が関わったのかなんか、純には分からないし誰も答えてくれないだろう。

 いつもよりも少し悲し気なシドニーの様子が、現実味を感じさせる。


「ジュン様…。この度は、申し訳ありません。近くにいながら彼女たちの行動を把握しきれておりませんでした…。まさか、ヨセフ様が気にかけていらっしゃる貴女様に傷つけるなんて、思いもしてなくて…。…友人である彼女たちが、傷つけるなんて、どうして…」


 思わずその背に手を伸ばす。「ジュン様はお優しいのですね」と眉を下げるシドニー。そんなんじゃないと、否定の言葉は心の中で留まった。


 事件が起きたことで、純は今日、体の崩壊が起こることを忘れていた。周期は大体一週間から二週間の間。毎回苦しいが、いつ来るか何となく感覚がつかめてきたので、最近は以前よりも楽に治療ができていた。考え事をしていた純は美術室に向かう途中、始まった崩壊に膝を付いて吐血した。あぁ、そういえば、そろそろだったっけ、と頭は冷静だったが、久しぶりの酷い苦痛に手と足が震える。早く、修理しなければ。内側の欠陥や肉が引き連れる音が嫌に耳に響くのを聞きながら、何とか聖魔法で治そうとする。


(早く、早くしなきゃ、こんなところ誰かに見つかったら、攻撃されたら、敵わない…)


「ジュン?!そんなとこで何して、って、大丈夫?!」


 伸びて来た手を純は咄嗟に叩いて「さ、わらないで!」と叫んでいた。相手がハリソンだと気づいて、彼の傷ついた表情を見た瞬間、やってしまったと思う。しかし状況が悪く、そのわずかな間にも崩壊は進んで行く。

 再び呻く純の背に、ハリソンは手を伸ばせない。恐る恐る伸ばされるも、触れない彼の手。しかし純を心から心配するハリソンを前に、必死に体を修復していく。その間ハリソンは何も言うことはなかった。体の崩壊を何とか凌いで息を吐く純を、ハリソンは肩を抱きながら美術室へ連れて行く。椅子に腰かけた純の前に、いつの間にかお茶が用意されていた。美術室でいつも飲むものだ。息を吐く純とは逆に、前に座るハリソンは下を向いて顔が見えない。先程叩いてしまったことを気にしているのかもしれないと、純が謝罪をする前に、ハリソンは勢いよく立ち上がった。驚く純の横に座り直したハリソンは、何やら決意をしている。


「…僕は、君のことをよく知らない。知ってるのは学園の皆が知ってる程度のことくらいだ。知りたいと、思うけど、それ以上に君を傷つけてしまうのが怖い。君に嫌われるのが怖いんだ。でも、昨日の事件を聞いて、さっき苦しんでいるのを見て、僕は君を守りたいと思った。…ジュン。僕は、君が好きだ。どうか、君を守らせて欲しい」


 純は驚いた。ハリソンからの告白に驚いたんじゃない。「好きだ」と目の前の人間から明確に好意を伝えられたというのに、頭の中では別のことを考えていたからだ。

 自分の言動の何が、彼女たちの逆鱗に触れてしまったのか分からなくて、そのことをずっとグルグル考えている。間違えたところを指摘したからか、良い成績を取ったからか。

 日が差し込む美術室で、香るのは絵の具の匂いだけではない。いつもより近い距離で純の横に座る彼の香水だろうか。静かな教室で響くのは、時計の音と、外から聞こえる生徒たちの声。そしてどちらかのか分からないほどの小さな呼吸音。ハリソンから向けられる眼差しを受けながら、自分は最低だと思いつつも純は考えることを止められない。


(もしも)


 ほんの少しだけでも気遣うことができていたなら、優しい言葉をかけられただろうか。周りを見ることができていたなら、微妙な表情の変化に気づけていただろうか。今とは別の結末があったのだろうか。考えて、首を振る。行動の意図を知ることも、過去を変えることもできない。だって純が今後彼女たちと話すことは、きっともうできないのだから。

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