第25話:学園生活
学園生活の始めの一日。
純が部屋の扉を開けたタイミングで隣のヘザーも姿を見せる。向かう場所が同じだから、必然二人は並んで歩いていた。だからといって特別な会話をするわけではない。純は口を開かないし、ヘザーは口を開くも「ぁ、ぇ、っと…」と言葉が続かず、天気や学園生活が楽しみだなどのありきたりな会話をして、後は無言が続いていた。
教室に入った途端、純の目の前に立ちはだかった者がいた。ヨセフよりも落ち着いた艶のある金髪が腰まで靡く女学生と、その後ろに二人。どこかで見たことがある気もするなと思いながら、しかし皆同じような顔をしているので記憶違いかと純は三人をどけて自分の席へ向かおうとした。腕を取られて、引きずられるように廊下へと連れ出されるまでは。
「初めまして。私はシドニー。グルエフ公爵家が娘です。貴女のお名前をお聞きしてもよろしくて?」
「…純、ですけど…」
一緒に登校していたはずのヘザーの姿はどこにもない。面倒な気配を察知して逃げたのか、と恨めしく思うも、気弱そうな彼女が居ても役に立たなさそうだった。彼女たちを躱して教室へ向かおうとしたが、その度に無言で進路を絶たれたので諦めて自己紹介を返す。
「ジュン様。貴女の噂は伺っているわ。とても大変な身の上なのですってね。天涯孤独の少女が、一人で立ち上がり、見知らぬ土地で奮闘する等素晴らしいこと。この国で生まれ、育った私たちには到底理解できぬことでしょう。心細い貴女を想い、私たちが仲良くしてさしあげるわ」
感謝しなさいとでも言いたげな顔に純は思わずため息をつきたくなる。しかし彼女の圧もだが、後ろ二人の眼圧も凄まじい。下手に拒絶してはより面倒なことになるなと、純は「ありがとうございます」と頭を下げた。何やら感謝の度合いが不服だったようで、シドニーは思った反応ではなかったことに驚き、後ろ二人は眉を顰める。彼女たちが何か口を開く前に、純を助ける声がかけられた。
「こんなところで何をしているの?」
「ヨ、ヨセフ、様…!」
王太子であるヨセフだ。シドニーは途端に顔を染め、もじもじと指を絡める。その様は先程の高圧的な態度とは打って変わって見え、まるで恋する乙女だった。
「ぇっと、えっと、ジュン様と、お友達になっておりました!」
「そうなんだ」
「えぇ!お一人では心細いかと思いまして、私たちが一緒に学園生活を友として過ごしましょうって、お誘いを…って、あぁ、申し訳ありません!緊張してよく分からないことを口に…!」
顔を覆うシドニーにヨセフは「構わないよ」と笑った。
「友情の始まりを邪魔してしまうのは心苦しいんだけど、そろそろ朝のホームルーム、始まってしまうよ?」
「あっ、本当ですわね。お教え頂き感謝いたします、ヨセフ様!」
教室へ戻っていくシドニー達を横目に、恩着せがましく「助けてやったんだから感謝しろ」と見てくるヨセフを睨む。その時彼の後ろにエイダンが見えた。昨日話していた護衛をしているのだろう。悪いのはエイダンだと分かっているのに、言い逃げしてしまった手前気まずくて、純は顔を背けて教室へ入った。
オリエンテーションを終えて、早速と授業が始まる。学園生活は純にとって多忙を極めた。一か月学んだとは言っても、独学。基礎知識を知っている状態で始まる授業にとてもじゃないがついていけなかった。日々放課後には図書館に籠り、その日分からなかったことを調べ、且つ課題や次の日の予習をこなしていく。分からないことは積極的に教員に聞きに行って理解を深める、を繰り返せば自然と時間は流れ、周囲からの不躾な視線も気にならなくなった。
「これより、体術・剣術の授業を執り行う!」
選択授業の一つにある体術と剣術の授業。必修ではないため、特に女生徒は参加していない中、純の存在は目立った。皆が腫れもののように扱うので、誰かと組む必要があるとき一人になってしまうことを懸念していたが、意外にもヘザーが授業を取っていたことで問題はなかった。Sクラスの授業ともなると参加するのは王族や準王族、公爵といった高位の生徒ばかり。遠目で気になる異性を一目見ようと見物客がいたが、教員も慣れているのだろう。特に気にせず授業を始める。
純がこの授業を取ったのは、この世界を生き抜くために、少しでも実践的な技術を身に着けたいと思ったからだ。嘆きの森でのような出来事が頻発されては堪らないが、魔物だけではなく、人も危険な現状、己の身を守れる術はあるに越したことはない。入学式だけではない。始まって数日、嫌な視線はいつも向けられていた。嘗め回すような、気持ちの悪い視線だ。彼らの視線が、品定めをするような目が、嫌な記憶を引き起こす。追い払うようにギュッと目を瞑っていた純は、腕に何かが触れて慌てて身を引いた。
「ぁ、す、すみません!許可もなく、ふ、触れて、しまって…!」
「あ、いや。私も、ごめんなさい」
勢いよく頭を下げるヘザー。どうやら触れたのは彼女の手だったようだ。しかも何やら用事があるようで、どうしたのかと訪ねるよりも早く、純の名前が呼ばれる。
「ジュン・カツィーキ!俺と手合わせ願おう!」
教員を挟んで向かいに、イーノクが立っている。こちらを見る彼の手には、先が潰れた剣が握られている。説明を聞いていなかったが、何となく理解できた純は指名を断ろうとした。しかしまさかの教師が許可を出したのだった。周りがどよめく中、純はイーノクの視線に気づき、受けることにする。
「あんな細いのに、なぜ手合わせなんか受けたんだ…?」
「いくら授業形式が打ち合いや組合といった実践形式が多いとは言え、男と女ではそもそもの性差が…」
「イーノク様どのような意図をもって、このようなことを…?」
渡されたのはイーノクが持つ物と同じ、先が潰れた剣。ずっしりと重く、重心が前方の方にあり、持ち上げるのも一苦労だ。イーノクが片手で構えるのに対して純は両手で持ち上げる。構えもなっていない彼女の姿に、勝敗が目に見えた手合わせに周囲は微妙な顔をしていた。
教員の「始め!」の声に、一歩を踏み出したのは純だった。先制攻撃と打ち込むと、あっけなく剣の平で受け止められてしまう。
キィ…ン
響いた金属音、そして振動が腕に伝わり、体が震えた気がした。まさか実物の剣がこれほど重く、振りにくいものだったとは。素早く自分の方に剣を引いて次の攻撃に入りたいのに、もたついてしまう。構え直した純が打ち込むよりも早く、イーノクが打ち込んできたことで押されて倒れ込む。歯噛みしたイーノクは、「立て!」と叫んだ。立ち上がった純とイーノクの手合わせは、見ている者が思わず顔を背けたくなるほどに一方的なものだった。純が何度も弾かれて、時には剣の平が腹に当たって倒れ込んで、泥まみれ砂まみれになっても、イーノクは攻撃の手を止めなかったし、教員も止めなかった。流石に見ていられないと生徒が訴えかけて、ようやく「止め!」と声がかかる。
地べたに這いつくばって息を整えようと空気を吸い込む純は、見下ろすイーノクに気づいて顔を上げる。見えた彼の眼は、血走ってた。何故、と小さな呟きが聞こえる。
「何故、何故、これほど弱く、何の力も技も持たない者を、殿下は気になさるのだ…!」
嫌悪、憤怒、嫉妬。視線の意図に気づいていたから、純は手合わせを受けた。かつての遭遇で、彼に投げた言葉には過分に私情が入っており、申し訳ないと心のどこかで思っていた。だから、彼の感情が少しでも、和らいでくれたらと思った。そして純の事なんか気にせず、今後は一切関わって来ないで欲しいと思っていた。
彼の荒い息は、体を動かしたからなのか、それとも怒りなのか。一先ず気に入らない純をボコボコにして気が済んだだろうと、息を整えようとしていたところで、教員が再び口を開く。
「では次。実戦形式だ。剣の型も、武器も道具も何でも使っていい。とにかく、相手を制圧することだけを考えろ。目の前の敵を、討て」
イーノクも、周囲の学生も、皆が首を傾げる。対して純は教員の意図を理解して、嫌な顔をする。批判の声が上がる。これ以上は意味がないことだ。弱者をいたぶって楽しんでいるのか。しかし教員は反応せず、手合わせが始まるのを待っていた。教員の言う通りにするのは癪だが、しなければしないで後々めんどくさいだろうと純は立ち上がる。滴る汗が邪魔だと拭えば、動揺しながらもイーノクが剣を構えていた。
「…始め!」
余裕でイーノクが勝つだろうと、周囲も、彼自身も、そう思っていた。だって純は剣を構えてすらいない。身長が合わず、剣先は地面で引きづられている。先程の試合を見ているからこそ、どうやって純が勝てるのだと、誰もが思っていた。
「くっ?!」
視線から突如純が消える。傍から見ていればただ屈んだだけだ。しかし長身のイーノクは、一瞬視界から外れた純に動揺して、混乱した。次の瞬間、視界に何かが投げ込まれる。それは足元の砂だった。目・鼻・口に入った砂に咳き込み、目も開けられない。このまま接近されるのはマズイと剣を振るう。キンッと何かが当たった音がして、イーノクはにやりと口を歪めた。音的に純が使っていた練習用の剣。この位置、距離ならば、先程の手合わせで見た純が移動できる距離など限られている。砂を用いて目くらましなど、卑怯なことをしたところで天と地ほどある実力差など埋まらない。彼女はやはり、性根の腐った人間なのだ。
「君のような人間は、殿下に相応しくない!俺の方が、よほど…!」
遠くで声が聞こえた瞬間、イーノクは何かに足を取られて顔面から地面に伏していた。
「?!?!?!」
理解できない中、項にひんやりとしたものが当てられる。触れた感覚から、鋭利なものだと理解できて息を呑んだ。
「動かないでください。動けば、危ないですよ」
「なっ…!」
上に乗られているだけならすぐに反撃ができた。しかし当てられた武器と、そして腕の関節にかかっている足。ミシミシと自分の体が軋む音に、イーノクは思わず「負けた!」と叫び、教員が「止め!」と試合の終了を告げた。
緩んでいく拘束の下、イーノクは呼吸を繰り返しながら信じられない思いだった。
「ど、どうして…。だって、君の剣は、そこに…!」
「目を開けて見て見れば良い」
砂を流そうと涙が出て、徐々に良くなる視界の先に、確かに剣がある。地に突き刺さった、剣が。そして純が地に投げたのは、鋭利でも何でもない、ただの掌大の石だった。騙されたのだと気づいたイーノクは、声が出なかった。見ていた学生たちから卑怯だと言う声が上がる。
「なんでも良いと、始めに行ったことを忘れたか。実践で必要なものは素晴らしい剣技もだがな、その時に使えるもので確実に相手を制圧することもまた、必要なことだ。デルーカの剣術は幼い頃から修練に励んでいるだけあり、素晴らしいものだった。しかし突発的な事に対処するのは不得手だな。対してカツキは、剣術はからっきしだが、臨機応変な対応力は素晴らしい。実践で身に着けたとしか思えない動きだった。双方、優れている点もあれば欠けている点もある。この授業では剣術及び体術について、既に身についているものをより伸ばし、欠けているものは使えるように磨いていく!皆、精進するようにな」
呆然と這いつくばるままのイーノクに、純は手を伸ばすが取られることはない。ため息を吐いた純に、ようやく意識を戻した彼は、その目で鋭く睨み付けた。
「…もう一度、となれば私は当然負けるでしょう。貴方はとても強いですから。あんなに重い剣を振れるだけじゃなく、相手を見て攻撃できる余裕まであるなんて、凄いと思います」
教員に保健室への許可を取ろうと歩き出す純の背から、イーノクは目を反らさなかった。握る手が震える。砂と共に掌に食い込む爪の痛みも感じないほど、悔しかった。悔しくて悔しくて溜まらなかった。
「ジュン…。ジュン・カツィーキ…!いつか君を、いや、貴様を、超えてやる…!超えて、追い越して、完膚なきまでに、叩き潰してやる…!」
保健室へと歩いていた純は、イーノクの叫びなど露知らず。ただ、あの教員はエイデンかヨセフから、純が嘆きの森から生きのびた話を聞いて知ってたんだろうなと考えて、痛む体を摩った。




