第22話:入学
サイズがピッタリの制服を身に纏う。なぜ、に関しては既に時間の無駄だからと考えるのを止めた。構造は元の世界で着ていた服と同じだったので、一人でも難なく着ることができた。
本日は入学式。異世界の学校、正しくは学園生活の、始まりの日。
姿見に立つ、前と似ているようで違う制服の自分を前に、純はギュッと胸元を握り締めた。この一か月、朝から晩まで勉強した。基礎的な知識は大分身に付いたと思う。しかし、分からないことはまだまだ多い。元はこの世界の人間じゃないのだ。分からないこと、知らないことが多いのは当たり前のこと。これから学んでいけば良いだけだと思うのに、手の震えが止まらない。
時計を見れば、時刻は既に出発予定時刻を回っている。余裕をもって部屋を出る時間を決めていたので、慌てる必要はない。震えを抑え込み、純は自分の部屋を出た。
図書館や日常的に使う道は慣れたものだ。入学式の会場となる講堂は校舎とはまた別にあるため、迷わないように事前に確認しておいた道を歩く。目の前を通過する柔らかな色に気づいて、純は顔を上げた。どうしてこの世界に、という驚きと疑問が湧く。元の世界で見慣れた桜の木が、入学を祝うための吹雪となっていた。
「っ………」
見惚れていては入学式に遅れてしまうと、離れ難い気持ちを抑えて足を動かした。
それにしても周りに人がいない。街道かと見間違うほど幅の広い道を歩くのは純唯一人だ。道を間違えた、なんてことはないだろうし、もしかして時間を間違えたのかとも思うが、道も時間も昨日何度も確認した。間違えていないだろうと思いつつも、どこかに不安は抱えたまま、講堂につくまでの道のりで誰にも会わなかったことが、一層不安を大きくする。前にも、横にも、後ろにも、誰もいない。いよいよ純は、自分が時間を勘違いしたのかもしれないと思い始めた。
前方にようやく人影を発見する。
「あ、あの…!」
声は届かなったのか、立ち止まることなく建物に消える。なんだか見覚えのある格好だったのだが、なんだったか。しかし純以外にもいるということは、まだ式は始まっていないのかもしれない。
急ぎ足で講堂に向かうと、扉の前に人影を発見する。中から漏れ出る音に、既に式が始まっていることを悟った。やっぱり遅れていたことに、しまった、と焦る純とは反対に、扉前に立っていた二人——兵士のような鎧を身に纏っている——は動揺することなく、扉を開けると恭しく頭を下げた。臨機応変に対応できる彼らに驚いたが、講堂内に足を踏み入れた瞬間、納得する。
「——続きまして、特例者の入場でございます」
会場内で響く声。エコーのかかった声からは機械音は聞こえない。扉が閉ざられるのに押し込まれて、無理やり中へ。たたらを踏む純に、一点の光が当てられる。目も開けていられない眩しさは、まるでスポットライトだ。中央には壇上があり、そこに向かって円形に下がる客席。新入生、そして在校生徒と教師が隙間なく座り、照らされた純を見ていた。
誰が、一体、何のために。
あきらかに純をこの時間に来るよう仕向けた誰かがいる。理由を考えたいが、多くの視線にさらされて体が硬直し、頭も働かなかった。しかし、向けられる奇異の目から分かる、好意よりも割合の多い悪意を受けて、負けん気が出てしまう。
動揺を見せてたまるかと、頭の中はそれだけだった。大きく鳴る心臓も、緊張で不自然になる動きも、全て隠して歩き出す。唾が口の中に溜まって、飲み込みたいけど喉の動きで動揺がバレるのが嫌で耐えていた。自分にとっては確かに分かる体の震えが、どうか見ている人間に伝わらなければ良いなと願う。
通路に教師らしき人がおり、席を案内される。着席すると同時に向けられていた光は消えて、視線も減り、ようやく唾を飲み込むことができた。
落ち着いてくると周りを見る余裕が出てくる。同じ列にジェネヴィーヴ、そして後ろの方にヘザーを発見。また前方にはイノークやバッカスの姿も確認できた。この席順に何かしらの理由があるのだろうか。疑問はすぐに解消される。離れた位置に座っている者から名前を呼ばれ、各クラスが発表される。まとまりを見るに現在近くに座っている者たちが同じクラスになるようだった。
順番が巡って来て、純が座る付近も立ち上がり始める。呼ばれるだけなら良いのだが、起立して何やらある方向にお辞儀をしなければならないことが緊張を高める。校長とか教頭とかが座っているのだろう。タイミングが分からず、いつ呼ばれるか分からない不安が純の心を占めていく。席順で呼ばれるのかと思っていたが違った。両隣の女生徒が呼ばれて、後ろに座る生徒たちも呼ばれたのに純の名前は一向に呼ばれない。忘れられているのか嫌がらせか、呼ばれないなら目立つ必要もないし良いかと思い始めていた。
「次、ジュン・ヴィリアーズ!」
静寂の後、会場にどよめきが広がる。
「ヴィリアーズ…?まさか」
「異世界人だからか…?」
「だとしてもなんという特別扱いか」
しかし、周囲の声は純の耳に入っていなかった。聞こえていないわけではない。
「…ジュン・ヴィリアーズ。出席しているのならば、起立し挨拶を」
促されて立ち上がった純に視線が集まる。ふと視界に入ったのは、一般生徒から離れた位置に座る皇太子ヨセフの姿。光が当たっているのは純なのに、暗い場所にいるヨセフの顔が、こちらを見て笑みを深める男の顔が、良く見えた。
焦りも、不安も、緊張も動揺も恐怖も、感じていなかった。それら全てを上回るほどの怒りが、身を焦がす。
挨拶をしない純に痺れを切らした司会者の言葉を遮った。
「私は、確かに身を寄せる場所も親もいない。この世界のことも分からないことだらけ。たった一人で生きていけるわけもない、齢十六のただの子供だ。でも、だからって、見下したり、雑な扱いされたり、いらなくなったら簡単に捨てられたり、していいわけじゃ、ない!家族がいない可哀そうな奴に名前を付けてやったぞ、だから感謝しろとでも?そんなこと一言も頼んでないから!」
視線の先のヨセフは馬鹿にするような笑みを浮かべており、一層腹が立つ。あの嫌に整った顔に拳を叩きこんでやりたい。いや、いつか絶対に殴ってやる。そして無様に鼻血を出して醜く悶えれば良いのだ。想像して怒りが収まるかと思ったが、今はできない癖にと想像の中のヨセフが言って来たので収まらなかった。
「私は、香月純。ヴィリなんとかみたいな変なのじゃない。香月っていう、家族と繋がる大事な名前があるの。…これ以上、私から何も奪わないで」
静まる会場で、周りは驚くか無反応か不快な顔をするか、何かしら変化を見せたというのに、ヨセフは変わらず笑みを浮かべている。司会者のあちこちへ揺れ動く視線に、彼は仕方がないと肩を僅かに上げて頷いた。
「えっと、えー、それでは、えぇ…ジュ、ジュン・カツキ!」
お辞儀はしない。ただ、皆が見ていた偉そうな人たちがいる方向に体を向けて、席に着く。無礼だと囁く声が聞こえるが、気にしなかった。




