第21話:遭遇⑤
入学式までのおよそ1か月を、純は学びに費やした。同じように学園に入学してくる同級生たちは、この世界に生まれ育っているから純との差は歴然。本来ならば小学校、中学校を経て高校へ入学するのを、一足飛びにスキップして高校へ入るようなものだ。差を埋めるべく、少しでも知識を蓄えなければならない。
寮の中だけではなく校舎も好きに動いていい、入っていい、使っていいとの言葉に甘え、時間のほとんどを図書館で過ごした。分からないことの方が多くあったが、調べて考えて、それでも分からないものはノートにまとめて、学園が始まってから教師に訪ねることにしている。
躓いている暇なんかない。少しでも、多く、早く、知識を蓄えて、一人で生きて行けるようにならなければならないのだから。
今日も寮から歩いて、校舎内にある図書館へ向かう。既に二週間が経過し、足取りも迷いがない。見慣れ始めた景色が横を流れる。先日エイダンとのお茶会で「家庭教師を付けようか」と提案されたことを思い出す。一体どこから、そしてどこまで監視しているのかと、鳥肌が立つ。提案は丁重にお断りした。使えるものは使おうと思うが、入学までもう少し。余計な借りは作らない方が良い。
歩く純の耳に、キンッと金属がぶつかる音が聞こえた。日常ではない音に意識を引かれ、視線を向ける。建物を支える支柱。奥に見えたのは、ラフな格好で剣を振る青年だった。敵に見立てた金属製の柱に何度も何度も打ち込む姿に、こんな朝から元気だなと思う。
彼も学園の生徒なのだろうか。しかし純の興味はここまでだ。誰かと仲良くして横のつながりを作るために入学するのではない。何なら人付き合いは、集中して学ぶためには邪魔だ。
深くかかわらないためにも、青年から気づかれる前にここからすぐ離れるべきだ。そして図書館で今日も勉強しよう。決意し踏み出した純は動きを止めることになる。
「なぁ、君!ちょっと!そこの君!おーい!あれ、聞こえてないのか?おーい!そこの、黒髪の君!ちょっと待ってくれないか!」
「……………」
無視もできた。声が聞こえていない体で速足にこの場を駆け抜ければ逃げられただろう。だが聞こえていない可能性があるにもかかわらず、めげずに声をかけて来た青年がどこまでも追ってきそうだったので、対応した方が早いと判断した。
足を止めて振り返ると、汗を拭いながら「良かった」と笑う爽やかな青年が立っていた。身長も体格も純より大きく、よく鍛えていることが分かる。
「なんですか」
言外に用事がないなら話しかけるなと告げた。伝わらなかったのだろう、邪気の無い笑みを浮かべて頭を掻く。
「いや、君と話をしてみたいと思っていたんだ。君、王太子殿下の推薦でこの学園に入学したんだろ?殿下からそれほど評価される人物がこの学園に、しかも同い年にいるだなんて信じられなくて。ぜひ話をしてみたいと思ったんだ!あっ、自己紹介が遅れてすまない。俺はデルーカ侯爵家、次男のイーノクと申す。君は?」
「…純です」
「ジュン。君はその年で一体どのような功績を?未知の魔法を発見した?敵国の武器を分析し無効化に成功した?まさかその細腕で、戦果を挙げたなんてことはないよな。君は一体どんな人物なんだ?」
質問攻めに、純はやはり無視して逃げていれば良かったと後悔する。イノークは悪い人ではないのだろう。しかし、初対面でズケズケと他人の内情に踏み込んでくる、相手の都合を考えないところは、面倒で非常識だ。
何も答えない純にイーノクは首を傾げる。
「まぁ、初対面だ。話しにくいこともあるだろう。俺は現在、騎士見習いをしている。この学園で学び、鍛え、いずれは国王となられる王太子殿下の側で、彼を支え、民を、国を守る立派な騎士になると決めている。幼い頃にそう心に誓った日から、日々鍛錬は欠かしていない!」
爽やかな笑顔のイーノクから、手が差し出される。
「ジュン。国を統治する未来の王の元、この国をより豊かにするために、手を取り、学び、時にはぶつかりながらも成長して、行く行くは共に殿下を支えようじゃないか!なっ!」
自信満々なその手は、取られないことなど一切考えていないのだろうし、事実今まで彼の手を取らない人間はいなかったのだろう。
「結構です。そもそも私があの人からこの学園へ推薦してもらったのは、私が異世界人であり、より監視を簡単にするため。そのために、国が所有する学園に入学させた。私もこの世界に来たばかりで常識を知りません。お互いに利害があったからこそ、私は今この学園にいるんです。貴方のような崇高な志もなければ、夢もない。ただ生きていくために必要だから、そのために必要な知識を手に入れようとしているだけ」
受け入れられなかったことに呆然としていたイーノクは、純が「もう良いですか」と背を向けて歩こうとするのを慌てて止めた。
「も、目的や、この学園に入学してきた理由は分かった。でも、王太子殿下と話をして、あの気高い思想に触れただろう?君も共に国を支えたいと思っただろう?」
「いえ、みじんも。感謝はしてますが、騙し討ちのようなことをされました。腹が立って、ついあの顔を殴りたくなるほど、好きではありません。そんなあの人を支えて国を豊かにしたいとか…そもそも私この世界の人間じゃないですし、全く思いません」
言い切って、純はしまったと思った。ヨセフを尊敬、崇拝しているとまで言えるほどの熱量を抱えるイーノクに、嫌いだの全く思わないだのの全否定は良くなかった。ちら、と表情を伺えば、先程以上に受け入れられなかったらしい。一点を見て固まっている。
「あぁ~…。まぁ、そういうことなので」
失礼します、とだけ伝えて、足早にその場を離れる。やはり厄介そうな人物は対応するよりも逃げた方が早い。しかし逃げる場合には、相手より足が速くなければならない大前提を純は忘れていた。
「待ってくださイよ~。お話しましょ~、異世界人の方~」
「……………」
昼食後、図書館へ戻る途中の道で、怪しげな男が声をかけて来た。どこからどう見ても厄介な人物だと判断した純は「失礼します」と頭を下げ、その場をすぐ後にする。しかし男はしつこかった。どこまでも追いかけて、早歩きになろうと小走りになろうと普通に走ろうと、ずっと後をついてくる。うるさい男を図書館に入れるわけには行かないからと遠回りをしたが、図書館に逃げ込んで「不審者です」と突き出した方が良かったかもしれない。
息切れする純とは反対に、男は顔色一つ変えない。ニコニコと笑みを絶やさない姿は、王太子であるヨセフを思い出させる。ヨセフが輝かしい中にある仄暗い笑みならば、目の前の男は怪しさ満点の笑顔だった。
諦めた純は足を止め、息を整えて男に向き合う。
「オォ!よウやく話を聞イてくれるんですね!嬉しイです!」
「………一体どのようなご用件で?」
全く、これっぽっちも、聞きたいとは思っていないと言葉にも顔にも出したが、男は分かった上で話を進めた。
「まずは自己紹介から。ワタシ、バッカス・マルティネスと申します。しがない商人をしてオりますが、この度は後学のため、この学園に入学イたしました。遠イ国の王子という地位を持ってイますが、気にせず、オ気軽に、オ尋ねくださイ。世界中を見て来たワタシでアれば、貴方がお望みのモノ、コト、全てそろえて見せましょう。アァ、もちろん、対価はイただきますけどね」
大げさな身振り手振りで話すその口調も内容も、詐欺師のよう。モノクロをわざとらしく鳴らして近づけられる顔から遠ざかる。
「売り込み?でしたら他を当たってください。生憎お金は持ってないので」
「アァ、違イます!押売りでも勧誘でも鼠講でもアりません!本日ワタシ、貴方に取引をお持ちしたのですよ」
遠ざかってはまた近づいてくるバッカス。取引と言われても純は何もピンと来ない。お金どころか何も持っていない。あるのはただ、異世界から召喚された一般人という肩書きだけ。臓器でも売れと言われるのか。警戒を強める純に、バッカスは「そんなに脅エなイでくださイ」と笑う。
「異世界人は、人と繋がりを持たなければ体内が崩壊を始め、死に至る」
「!」
「とイウ噂を耳にしたのですが、その反応。やはり正しイのですね」
純の脳裏に浮かぶのは、ロッケンベノークでの出来事。酷い頭痛、媚びた女がもたれ掛かる男、厭らしい者たちの目と笑い声。
「突如異なる世界に放り出されて、誰かの助けなくては簡単に生きることもできなイなど、なんとオ可哀そうなことでしょウか。話を聞イて、そしてこの学園に貴方がイると知って、居てもたってもイられなくなったのです。行動原理は至って簡単。ただ、助けたイ」
荒くなる呼吸は止めようとすればするほど止まらなかった。痛みも苦しみも飢えも悲しみも、思い出したくないのにあった事実は映像として頭の中で次々と流れて、純を苦しめる。
「貴方がもし、誰とも繋がりを持ってイなイのでアれば、ワタシがお相手致しますよ」
「…は…」
「ワタシと繋がれば、貴方は体が崩壊することもなく、普通に生活をすることができます。ほんの少しの痛み、疼き、かゆみでも、生活に支障をきたすと言ウのに、体の崩壊が今後ずっと続くのはイかほどの苦痛、そしてストレスを貴方に与エるでしょウか。ワタシは貴方に苦しんで欲しくなイのです。ぜひ、貴方を救ウ手助けをさせてくださイ!あぁ、勿論、対価はイただきます。ワタシの国はまだまだ未成熟。異世界の知識は大なり小なり役に立つでしょウ。貴方は体の崩壊を解消し、ワタシは知識をイただく。お互イに利益のアるオ話し、これこそ、素晴らしイオ取引!そウ、思イますでしょウ?」
気持ち悪いほどの白い肌。茶の髪の毛が視界を揺らし、モノクロの奥の瞳はずっと、不気味に笑っている。
純は息を吐き、何とか頭痛を耐えると図書館への道を歩き出す。
取引というから一体何だと思えば、所詮目の前の男も、自分の利益しか考えていない人間だったのだ。純のためだと繰り返しては、対価を望む。何が可哀そうだ。何が手助けをしたいか。
(でも、それは普通のことだ)
異世界だから、そこに住む人間は元の世界の人間とは違う生き物、なんてことはない。自己中心的な人もいれば、誰かに手を差し伸べる人もいる。それでも、誰でも必ず自分のことを第一に考える。自分もそうだと純は思い、心が軽くなるような気がした。
異世界人だからと過度に警戒することも、過度に自分より上の存在だと思う必要はない。彼らは皆純と同じ、出血や飢えで死ぬ人間に過ぎないのだから。
少しずつ、頭痛が消えていく。バッカスは横に引っ付いて諦めない。
「どウしたのです?オ取引は?まさかオ受けしなイとでも?なんと勿体なイ。これほど利益のアるオ話はそウアりませんよ!ワタシは立場も知名度もアりますし、なにより誠実なのです。契約は必ず遂行イたします。裏切るとイった不正は商人の沽券にもかかわりますので、決して、」
「別に、繋がりなんて必要ない」
思わぬ言葉に驚いたからか、バッカスの貼り付けられた笑みは消えていた。
「知らない貴方に助けてもらう必要も、ない」
「ア、ワタシが信用できなイのですね。それは仕方のなイこと。ですが時間が経てばオのずと、ワタシが信用に足る者でアるとすぐ理解できます。わざわざ時間をかけるのは、勿体なイのでは?」
どうせ学園が始まればバレることだと、純は手に魔力を流す。ほんのり白く光るのは、聖魔法の証だ。
「この通り、私は自分で崩壊を治せます。貴方と繋がりを持つ必要も、助けてもらう必要も、ないんですよ」
「確かにご自身で治せるかもしれません。ですがやはり、崩壊が続くのは辛イのでは?」
「大した辛さじゃないです。崩壊なんて大げさな言葉を使われてますけど、実際はちょっとお腹痛いとか、頭痛いとか、その程度です。なので、必要ありません」
知らないことは罪ではない。しかし、知識がなければ、簡単に騙されてしまう。
純の言葉を信じたバッカスは「…分かりました」と頷いた。彼の目を見るに、まだ諦めていないことは分かったが、純は背を向けて歩き出す。目的地は図書館ではなく寮だ。走って、話をして、身体的にも精神的にも疲れてしまった。今日はもう休みたい。
「ワタシと貴方に欠けてイるものは、時間ですね。貴方の信用を得るため、時間をかける必要がアるのに、つイ逸る気持ちのまま動イてしまイました。商人としてアるまじき失態。信用に足る者だと思ってイただけるよう、努めてまイります」
努めなくても良いと心底思いながら、足早にその場から立ち去る。もうこれ以上、絡まれたくはない。
「これからもどうぞ、よしなに」
今後もバッカスから絡まれることを考えてうんざりする純は、物陰から向けられる視線には気づかなかった。
そして時間はあっという間に流れ、入学式をむかえる。




