第12話:帝国②
冷たい空気。誰かの話し声。激しい頭痛。
ぼんやりとした意識を強制的に目覚めさせたのは冷水だった。
バシャっとかかった水が、目の前で滴となって落ちていく。
「よくこんな状態で悠々と眠ってられるなぁ。なぁ、悪魔。」
顔を上げてみるとそこには、三人の男がいた。
鎧を付けているから兵士だろうか?
ぐるりと周囲の状況を見てみると、そこは牢だった。
懐かしい……なんて灌漑深いものは一切沸かないが、ドッケンベノーク国の牢よりも大きく頑丈な作りであることは分かった。
腕は上から垂らされた鎖に拘束。つまり吊るされている状態である。
さらには足にまで重りとなる鎖を付けられている。
純はただの人間の女の子なのだが、悪魔と思っているのならこれくらいの拘束は当たり前なのかもしれない。
「何を見ている。」
慎重な、純の動きを一切見落とさないという表情から、彼らの緊張が伝わってくる。
「何も。」それだけを告げた自分の声が酷くかすれていることに純は驚いた。
そこまでの時間は過ぎていないはずだが、気絶した後に何かされたのだろうか?
しかし今はそんなことを考えている暇はない。
(何とかしてここから逃げなければ。)
不思議なことは、腕に付けられた鎖がゆるゆるであるということだ。
恐らく強く引っ張れば簡単に離すことが出来る。それは足も同様であった。
靴が取られて裸足ではあるが、逃げられないわけではない。
つまるところ、まずは目の前にいる兵たちをどうにかしなければならないのだ。
「なぜあの森にいた。何が目的だ。何を企んでいた。」
だが純は何も答えない。
「私は人間だ。」と訴えても、彼らは信じてくれないだろうから。
「答えろ!!」
睨み合うだけの静かな空気が流れるが、それを破ったのは一人の男。
牢の外に突然現れたその男は、目の前にいる三人よりも強く気品のある人物だった。
純の視線に気づいた三人はぱっと後ろを振り向き、慌てて頭を下げる。
「副長!お疲れ様です!」
副長と呼ばれた男は「お疲れ」とだけ言い、開いていた牢の中に入ってきた。
「あの、どうされましたか?」
何か問題でもあったのかと不安がる部下を安心させるように、副長は笑う。
「今日は俺も夜勤だったからな。疲れてるだろう部下を労うため……と、例の悪魔ってのがどんなのか見てみようと思ってさ。いや、団長にも見て来いって言われてんだけど。まぁ半分興味だな。」
じっと純を見つめるその瞳は、笑っていても優し気なものなどではない。観察対象もしくは殺処理対象に向けるそれであった。
知らないうちに溜まっていた唾を飲み込む。
「へー、これが悪魔……普通の女の子に見えるけどなぁ…。」
三人が鎧を付けているのに対し、副長は鎧を身に着けておらず、腰に剣が刺さっているだけの状態だ。
本当にただ見に来ただけなのだろう。
伸ばされた手が純の頬に触れる。
寒気がした。
この手に命を握られていると、自分が妙な動きをしようものなら一瞬で死ぬ状況だと。
「……体温は、低めだな。まぁ地下だしな。普通の人間でもこれくらいなもんか?」
三人の兵たちがハラハラとした顔で伺うが、副長の手は止まらない。
頬から耳、髪、そして首。
ドクドクと、緊張で鳴る心臓の音がうるさい。
「心臓の音は少し早い、か。あれ、悪魔って心臓あったか?」
やがて離れていく手に心底ほっとした。
だが、瞬時に抜かれた剣の切っ先をが目の前に現れたことで、その安堵は再び緊張と恐怖に変わる。なぜ。
彼の発言からして、純に人間という可能性を見出していたのに。
「人間……らしきところは多々あるが、どれも悪魔が作りだすことができることは分かっている。瞳の色も、体温も、心臓の音も。状況に合わせてそれらを変えることも、慣れている悪魔にしてみればお手の物だろう。つまりはお前が悪魔であるという証拠も、人間であるという証拠もないというわけだ。」
首に当たる冷ややかな感触。
全ての神経が集中している。
「だが、一つ確かなことがあるんだ。それはな、悪魔の心臓は黒いということだ。」
はっと驚き見た副長の顔は、真剣。
理解した。これは嘘ではない。事実だ。
震える。目の前の恐怖に震える。
「まぁそもそも、黒髪なんて魔族くらいだから人間の可能性は限りなく低いけどな。さぁ、今ならまだ、軽い罰で許してやる。言え。お前の目的はなんだ。」
純は反射的に人間なのだと訴えようとした。
泣き喚いて、助けてと何度もお願いしようと思った。
やめたのは、副長の目を見て、どんなことを言おうとやはり無駄だと思ったからだ。
どうする。どうすれば助かる。
嘆願するだけでは助からない。でも何もしなくてもいずれ心臓を抉られる。
どれだけ考えても、捕まり殺される未来しか思い浮かばない。
それでも諦めきれない純は周囲を見渡す。何か助けになるものはないか、と。
「…何も答えない、か。仕方がない。お前が選んだ未来だ。悪魔。」
チャッ。剣を握り直した音が響く。
もう殺される。いや、まだだ。まだ、死なない。
しかし、突如純の体がピタリと止まる。
石のように動かなくなった純を四人は怪訝そうに見つめ、「っゴホッ」と吐き出された血に、慄いた。
(あぁ、なんてついていないんだろう。)
今になって体の崩壊が始まるとは。




