第10話:嘆きの森⑥
朝。
意識が覚醒した純は起き上がった。そしてすぐ魔物がいないか神経を研ぐ。
しかし周りを見渡してみると、そこは見慣れた森の中ではなく建物――馬車の中。
隣には自分と同じように毛布にくるまって眠るフィーロの姿。
思い出すのは昨日のこと。
この商人一家を、オオカミ型の魔物の群れから生き残るための手助けをしたのだ。
ほっと一息吐いた純は自分の分の毛布を、未だ眠るフィーロにかけて馬車の外に出た。
まだ夜明け前のようだ。
肌寒い空気が純の体に纏わりつく。
焚火は徐々に火力を失い、今にも消えてしまいそうだ。
近くに集めておいた焚火用の木の枝を炎の中に投げて火力をもとに戻してやる。
見張りとして外に出ていたシャロンはジョセフの近くで毛布にくるまって眠っており、ジョセフはコクコクと頭を揺らしていた。
起こすのはなんだか気が引ける。
ふとこんなにゆっくり流れる時間を過ごすのは久しぶりだなと思う。
最近は魔物が現れないか警戒して生活していたからだろう。
死ぬか生きるかの境界線に常に立っているかのようだった。
すりっと自分の腕をさする。
寒いが耐えられないほどじゃない。昨日までの制服はスカートに半袖だったが、今は長袖長ズボン。段違いに暖かい。
はぁと息を吐けば、白い空気が出来上がり空へと昇って消えていく。
チチチッと鳥の鳴き声が聞こえて風がわずかに揺らめく。
空が段々白み始めた。
焚火の威力は昨夜ほどない。
「………静か………」
それからジョセフやシャロンが目を覚ますまでの一時間、純は焚火が弱くなれば枝を入れる作業を繰り返した。
*
純は10日間、この商人一家と過ごした。
純の目的地が帝国であると告げると、途中まで道が一緒だからそこまではとお願いされた。
正直に言うと、10日間は快適なものだった。
もちろん魔物は出たが始めのように多数で囲まれるようなことはなく。
用意された食事に、眠るときには暖かい布団。
あまり話さない純に悪い顔など一切せず、歳が近いフィーロは特に気にかけてくれた。
なんでも、最近歳の近い気の許せる友人が少なくなってきたらしく、純と話せるのが嬉しいらしい。
純もこの世界のことをたくさん聞けるので助かった。
今の流行りやお金の使い方。
この時に魔物から取れていた石――通称魔石が売れるか尋ねてみたところ、きちんと売れるらしい。ただ魔物の強さや個体数によって価値が変わってくるようだ。純が持っていた魔石はジョセフが全て買い取ってくれた。
そして他国の身分制度や、純の目的地である帝国がどんな場所なのかも教えてくれた。
「帝国はね、もちろん畏怖されるような存在なんだけど、規則を守る人には優しい国よ。」
日本でいうところの高校のような学校もあるらしい。
まぁ純が入ることは出来ないだろうけれど。
だが聞いた感じ悪いところではないようだ。
また、フィーロは彼女の踊りを教えた。
曰く、
「私の踊りを教えたいんだけど、ちょっと色々めんどくさいことがあってね~。丁度後継者?になるのかしら。探してたのよ~!」
一目見た時から決めていたらしい。
元々運動神経が悪いわけではないが、ダンスを元の世界でもやったことはない。
自分ではふさわしくないと伝えたが、「平気平気!そんな形式ばった堅苦っしいものじゃないのよ!ね、安心して!」という言葉に押し切られた。
その後「お金も稼げるわよ…」と言われた際には、自分から進んで行うようになったが。
彼女の踊りは、不思議と懐かしいものだった。
だからといって日本の阿波踊りやフォークダンスではないのだが、初めてするその動きは体に馴染むような不思議な感覚。
首をかしげる純に、フィーロは笑って「やっぱり私の目に狂いはなかったわね!」と笑っていた。
10日経つ頃にはフィーロからお褒めの言葉をいただけた。
「よし、あとは日々の練習を欠かさなければ大丈夫よ。もしお金に困ったら、どこかの貴族の前で踊ってみなさい。今の貴方なら大金が易々と手に入るわ。もしかしたら専属の踊り手になってくれ、って依頼が来るかも!たった10日で本当によく頑張ったわね!」
自分の中でも達成感があったから、素直にうれしかった。
それでも、純は彼らを心の底から信頼が出来ない。
「では、ここでお別れですな、ジュン。」
「寂しくなるわ。元気でね。」
「私たちのこと、忘れないで。いつかまた会いましょう。」
泣きそうな顔で抱きしめて、額にキスを落とす彼らに、純は何も返せなかった。
まだ怖い。傷つくのが、嫌だ。
無言の純にも三人は嫌な顔など一切せず、ただ悲し気に笑うだけ。
最後にジョセフは、今までにないくらい真剣な表情で口を開いた。
「ジュン。もし貴方が、この先何らかの危機に瀕することになったら、我らは何を捨て置いても貴方の力になりましょう。どうか、我らの名前を忘れず、困った時は頼ってください。」
そして彼らは、純とは違う道へと向かっていった。
独りになった純は帝国への道を進みつつ考えていた。
なぜあの家族を助けたのかを。
もし彼らが死んで、自分のせいではないが、見捨てたような罪悪感を感じることになりそうなのが嫌なのかと考えた。
しかし、それ以外にもう一つ。
(私を見殺しにした奴らと同類になるのが嫌だったのではないのか。)
その考えが頭に浮かんだ瞬間、自分が体だけではなく心までも汚れてしまっているのだと、思った。




