第9話:嘆きの森⑤
「はぁ………」
自分の体についた自分の血と魔物の血を、汚れていない川の水で落とす。
怪我を見つけたら細部を治していく。そうすれば魔力の無駄遣いをしないで済むと思ったのだ。
魔力が底をつくギリギリのところで、何とか自分の治療を終えた純。
改めて自分の体を確認してみたが、服がボロボロになってしまった。
魔物に攻撃させて倒すという方法は初めて試してみたが、もし治療が間に合わずに死んでしまっていたらと考えるとぞっとする。
しかし闘い方が増えたのも事実だ。
今まで大切に着ていた制服がボロボロになってしまったのは悲しいことだが、純は川から出て服から可能な限り水分を落とし、あの家族の元へと向かった。
彼らの元にきちんとつくことが出来るのか、あたりが真っ暗のため不安ではあったが、淡い光が見えた。
駆け足で近づけば、男を治療する女と荷物の整理をする娘の姿が。
近くに魔物の姿が無い。倒すことが出来たのだろう。
娘がいち早く純の存在に気付いた。
娘の父と母も気付いたようだが、その目は驚きに見開かれている。
不思議に思いながら純は家族に近づいた。
「けがは、ありませんか?」
自分の口から出た声は、なんだか不思議な感覚をもたらした。
それは人と久しぶりに話すからだろう。
家族は息をのみ、ゆっくりと頭を下げた。
「…………もう駄目だと、皆死ぬと思っていました。助けてくれた貴方に、最高級の感謝を。」
彼らの身を寄せ合い泣き笑いあう姿に、純はようやく安堵の息を吐いた。
*
今は夕飯を食べている。
馬車に入っていたのは商品となるものや、彼らの旅の間の生活必需品。
中に入っていた食材を調理した料理を純は食べているが、久しぶりのまともな食事に手が止まらない。
そんな純をみて笑う彼ら家族は、世界を渡り歩く商人だった。
今回はロッケンベノーク国から買った商品を他国へ運ぶため、嘆きの森を通っていたらしい。
簡単な自己紹介を終え、なぜ護衛を付けないのかとたずねてみると、純が考えた通り旅費の削減のため、そして
「この道には魔物封じの魔法がかけられているのですよ。まぁ、この森の瘴気は強力ですからね、封じの魔法をかけても魔物が全くでないというわけではないのですが、他の場所より魔物が出にくい。私ももう何十年も商人をやっておりますし、この道も何度も何度も通りました。だからこそ大丈夫だと、魔物は多くて一、二匹程度しか現れないだろうと思っていたのですが、いやはや、甘く見ていたようですな!!」
ポコンと自身の腹を揺らしながら、家長であるジョセフ・タータンは笑った。
しかし怪我が痛むのか「アイタタタ…」と苦し気に笑う。そんな彼を叱るのは、妻であるシャロンだ。
「こら、まだ痛むのでしょう?大声を出せば体に響くわ。」
「すまんすまん」
娘のフィーロは踊り子だと話した。
いつもは世界中を一人で渡り歩いて、気の向くままだったり、誰かに頼まれたりしながら踊っているそうだ。
しかし今日は母シャロンの誕生日が数日前だったようで、祝うために家族の元に戻ってきていた。
「お母さんの誕生祝をするために戻ってきたのに、あんな目に合うなんてね。とんだ災難よ。全く。」
フィーロは父の緑の目と母の金髪を受けついた女性で、純は二十代後半かと思っていたが二十三と教えてもらった。
しなやかな体に長く美しい髪。きっと美しく踊るのだろう。
ようやく満腹になり、ほっと息を吐く。
丁度のタイミングで彼らが皿を片付け始めた。手伝おうと思ったが、シャロンが水を宙に出して皿を洗うのを見てやめた。
自分に何かできるとは思えない。
シャロンが水で汚れを落とし、ジョセフとフィーロが風で乾かす。
あっという間に片付いていくのをみて、きっと彼らの中でこの作業は何度も繰り返して来たことなんだと感じた。
純にもあったように。
ぐっと涙をこらえる。
おかしい。追放されたあの日以来、たとえ大量の魔物に囲まれようと、誤って毒のあるものを食べてしまった時も、涙は出てこなかったのに。
きっとこの雰囲気のせいだ。
家族を思い出させる雰囲気のせいだ。
幸いにも純の努力により、彼女の目から涙が出てくることはなかった。
三人は皿を洗い終わってこちらに戻ってきていた。談笑をしているようだ。
だが無理に純を会話の中に入れようとはしない。
純が魔物を殺して彼らの前に現れたあと、ひどく驚いていた三人だったがすぐに慌てたように動き出し、服を用意した。
ボロボロですよ、と差し出した。
そして今に至るまで、純がどうしてこの森にいるのか、どんな人物なのか。
気になるはずなのに、聞かないでいてくれている。
それは単なる優しさなのか、何か企んでいるのか。
純には分からなかった。
ゆらゆらと揺れる炎を見ていると、眠たくなってくる。
お腹がいっぱいだからか?近くに人がいるからか?
信用できない人物の近くで寝てもいいのか?
グラグラと揺れる頭で考えるが、うまく回らない。
純の様子に気付いた三人は「お疲れでしょうから、どうぞお休みになってください。見張りは私とシャロンで行いますので、ご安心を。」と席を立つ。
フィーロは純の腕をそっとつかみ、「こっちおいで」と馬車の中へ誘導した。
中には布団が二組分用意されていた。
フラフラと吸い込まれるように布団に倒れこんでしまう。
徐々に閉じていく瞼の奥で、
「お休み、ジュン。」
優しく毛布を掛けてくれるフィーロの姿が見えた気がした。




