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それから毎日、朝から晩まで買った本を読み、疑問点や重要点をノートに書き取るという日々が続いた。
札幌堂古書店にも、足繁く通った。
本を読み切ればまた新たな本を探しに古書店に顔を出すという、無限ループ的生活。
そんな繰り返しの毎日を送る和宏を、季節は待ってはくれない。
初めて古本屋に顔を出した十二月の初冬から三か月が経ち、今は二月、正真正銘の厳冬期だった。思うように進まない一人の男の人生の間近で街の季節は順調に進み、今では一メートル以上の高さで道路脇に堆く雪が積もっている。
しかし、和宏の人生が全く前進していないという訳ではなかった。僅かではあるが進捗はあったのだ。アイヌ語地名に関する取組である。
この間に彼が学んだこと――それは、地名解釈においては土地の形状や生息する動物、生活に役立つ植物の分布状況などが大きく絡んでいるということだった。特に川という地形と地名の結びつきは強いと感じていた。
考えてみればそれは至極当然のことだった。
人が生きることにおいて、何は無くともまずは『水』が必要なのだから。
基礎レベルだが、地名によく出てくるアイヌ語の単語も憶えた。
幾つかの地名においては、口に出して読んだだけでその意味がある程度分かるようにもなった。例えば、札幌はsat‐poro(‐pet)で「乾いた 大きな(川)」という意味だし、苫小牧はto‐mak‐oma‐iで「沼の 背後に ある もの」といった具合だ。苫小牧の最後のiは直訳すれば「もの」だが、地名においてそれは、川を表していることが多いことも知った。
やはり、川とアイヌ語地名の結びつきは強いのだ。
ここに至って、和宏は当初からの疑問だった「ヤリキレナイ川」の看板に書かれた地名考証について個人的に再検討してみることにした。地名解説の専門的な書物も幾つか当ってみたものの、直接的にヤリキレナイ川の意味について書かれた本を見つけることはできなかったからだ。
「まずはヤンケ・ナイについて検討してみよう。
アイヌ語表記ならyanke‐nay。yankeは『陸に上がる』という意味の自動詞yanの他動詞形だから、『陸に上げる』という意味になるはず。nayは『川』という意味の一般的な名詞だ。だとすれば、yanke‐nayは『陸に上げた川』とか『高い所にある川』とかいう意味にでもなりそうなのに、どうしてそれが『魚の住まない川』になるんだろう……。
よく解らないな。『(川にいる魚を獲って)陸揚げする川』ってこと? なら、逆に魚がたくさんいるってことじゃないか。もしかして、陸揚げをし過ぎて魚がいなくなってしまったって意味なのか?」
それはまるで、巨大迷路に迷い込んだときのような状況だった。
理解を深めたはずが、増々意味が分からなくなる。
「ならば次に、川の看板に書かれていたもう一つの説、イヤル・キナイについて考えてみるか……。
どっちかっていうと、こっちの方が意味不明だな。大体、キナイって何? そんな単語は少なくとも他の地名にはないぞ。
川は普通『nay』だから、看板の表記がイヤルキ・ナイの書き間違えだとして、『片割れ』などという意味でイヤルキなんていう言葉が使われている例は、俺が探した限り、どの文献にも見当たらない」
薄暗い部屋で一人、譫言のように呟いていた和宏が突如、奇声をあげた。
その目には、薄暗い部屋を照らすほどの希望の光が宿っていた。
「そうか! もしかしたら、イヤルキはイ・ヤラケが訛ったものなのかもしれない……。
『それ』という意味になる三人称目的格接頭語のiと、『擦り切らす』という意味の他動詞yarkeで、『それを擦り切らしている川』って意味になるのかも!」
だが一瞬現れた光明も、立ち消えのように細くなっていった。
「だけど『擦り切らした川』って、どういう意味なんだろう。護岸されてしまっているので今の川の姿がが昔と変化してしまった可能性もあるけど、実際に川を見た様子では何処も擦り切れたというような感じはないよね……。
もしかして、川の流れが途中で擦り切れたように無くなってしまっている、『尻切れ川』ってことなのかな。だとすれば、一度水が無くなった川の水がどこかでまた湧き出して、二つでひとつの川の片割れってことで意味がつながるかも」
地名研究においては、語感による無理矢理な意味の当て嵌めは素人研究者の陥りやすい間違いなのだった。
和宏は、自分が今、そこに嵌りかけているのに気付く。
(まだまだ長いトンネルから抜けられそうにないな――)
そんな思いが彼の脳裏を掠めたときだった。
名前の由来として偶にある、伝説や言い伝えから名づけられた地名や川のことを思い出したのだ。
ウェン・ベツ『wen‐pet』やウェン・ナイ『wen‐nay』は、直訳すればどちらも『悪い川』だ。そういう名前の川は道内に幾つもあって、それぞれがどう悪いかは川によってバラバラなのだが、例えば水質が悪くて飲めないとか、あるとき大雨で出水して人が死んだとか、川に対する注意喚起という意味でアイヌの人々が『悪い川』と言い伝えているのである。
ならば、ヤリキレナイ川周辺ではどうなのか。
そんな伝承や言い伝えがあるのかと調べてみると、ネット情報ではあるものの、果たしてそれに近いものがあった。
【ヤリキレナイ川の水源は上流にある池で、かつてはかなり冷たい湧水の池だった】
【約五キロメートルと短い川だが、明治時代など、かつてはよく氾濫した。度々被害に遭った住民が「これではやりきれない」と呟いたことから、この川をヤリキレナイと呼ぶようになった】
はっとなった、和宏。
「冷たい水をアイヌ語でいえば、ヤム・ワッカ『yam‐wakka』だ。他の地域にも『冷たい水の川』という意味のヤム・ワッカ・ナイという川があるくらいだから、アイヌ語地名としておかしな表現ではないな……。
そうか、あの川は冷泉が水源のために魚が住めない位の冷たい水が流れるヤム・ワッカ・ナイだったんだ! それなら看板に書かれていた意味も判る。
以上を総合すると――」
鼻息も荒く、浮かんだ考えをノートに書き出してゆく。
【ヤム・ワッカ・ナイ『yam‐wakka‐nay』(冷水川) → ヤムッカナイ → ヤムカナイ → ヤンケナイ → ヤリキレナイ(開拓者の呟きから)】
ヤム・ワッカ・ナイからヤリキレナイへと移ってゆく変遷は、確かに想像による部分もある。もしかしたら、これも素人研究者の陥った間違いなのかもしれない。
だが、これまでの検討をまとめればこういう結論になるのだ。
要するに、冷たい水の川という意味だった川が本州から入植してきた人々のやり切れない気持ちと結合し、今の『ヤリキレナイ川』という川名になった――。
和宏は、なんだか心が満たされた気分になった。
勿論この解釈が正解かどうかは分からない。だが、もうこれ以上、川の名前の由来の真相には近づけない気がしたからだ。
同時に、満たされた心にぽっかりと穴が開いたような空しさも感じた。
これが正しい考えだったとしても、それを証明する術はないからだ。
川の名を命名したアイヌを含め、過去の人々は既にこの世に無い。現代の著名な学者でさえ、和宏の推察を否定も肯定もできないのだ。
開いていたノートを閉じ、書斎机の席を立つ。
和宏は、リビングの窓際へとゆっくり歩いていった。そして、かつては妻の麻帆が毎日開け閉めしていた厚手のカーテンを開けた。途端、窓ガラスの外側世界から飛び込んで来たのは、雪明かりのようなぼんやりと白い夜明けの光の束だった。闇慣れした彼の目は、容易にはその明るさに慣れてくれなかった。
が、そのとき和宏を襲ったのは、光だけではなかった。
カーテンに積もっていた何ヵ月分かの塵や埃――これらがぶわりと舞い上がり、和宏を激しく咳込ませたのだ。
暫くして、咳の止まった和宏が窓の外を眺めながら言う。
「春の来ない冬は無い……そうだよな、麻帆」
当然、それに答える者はこの部屋にはいない。
ようやく外の明るさに慣れた和宏の目に、指先ほどもある大きなぼた雪が街中に舞っているのが見えた。
もうすぐこの街に春がやって来るのは、確実だった。