ベビーリーフ
街の中を漆黒の影が通り抜ける。影が早すぎるのか、通行人が鈍いのか、その存在に気づく人はいない。
やがて完全に周りに人影がない場所…郊外の鬱蒼とした木立の中まで来ると、影はその闇を解いた。
一心地ついて手近な木の幹に背をもたれ、肩で大きく息をする。
「なんで兄さんが…」
分かっている。造は協会の職員だ。
協会の中でも、自分のことが問題になっているのだろう。捜査班でも出来て、職員たちがあちこちでダークヒーローのことを調べて回っているのかもしれない。
しかし、いくら何でもよりにもよって…
「兄さんがあそこに…」
しかし幸いなことにまだ調査は初動段階なのだろう。兄はダークヒーローの正体が何なのかさえ気付いていないようだった。
このまま、気付かなければ良いと思う。兄が自分の正体に気づかなければ…そうすれば、今までどおりの仲の良い普通の兄妹で居られる。
こんな暗い感情を持つのは自分だけでいい。こんなもの…あの眩しいくらいに明るくて真っ直ぐな兄には似合わないのから。
大丈夫。絶対に隠し通す。瞑目して静かに、祈るように自分に言い聞かせる。大丈夫。自分ならできる。
祈りを込めた誓いを立てたあと目を開き、奏丹は木の幹から体を話話した。
直ぐに進行方向を定めると、迷うことなく小走り気味に歩き始める。
「学校に戻らなきゃ。荷物、取りに…」
この場所から学校はさほど遠くはない。十分も走れば着くだろう。
彩葉市の郊外にある白陽高校。ここが奏丹の通う高校だ。公立ながら特進科も設けており、学力は低くない。部活動や委員会活動などの生徒主体の活動も盛んだ。
そして、あのファントムインパクトのずっと前…奏丹の祖母が通っていた…(今では珍しく)それくらい古くからある学校でもある。まあ、伝統の分設備が少し古いが端的に言って良い学校である。
その敷地内は広く、主だった棟が4つある。まず、通常授業で使う教室や職員室、保健室等のある本校舎。本校舎の西側に位置する、屋内運動施設と屋上プールを併せた体育棟。そのすぐ隣に、各部活動の部室が集まる部室棟。
そして、本校舎の北側にある特別棟。各委員会で会議を行う会議室や、音楽室や美術室など実技を伴う特別授業で使われる教室が入っている。そこの最上階に、奏丹が長を務める生徒会の活動拠点…生徒会室がある。
その生徒会室の最奥の窓際のデスク(本来は奏丹の事務デスク)で作業を淀みなくこなしながら、生徒会副会長の韮崎耕太はボソリと苛立ちをこぼした。
「会長が…遅い」
クラスは違うが、奏丹と同じ2年生である。特別棟まではほぼ毎日一緒に通っている。何時も。早めに授業が終わった方がどちらかに声をかけに行くようにしているのだが、今日韮崎が授業を終えて声をかけに行くと、そこに奏丹は居なかった。
授業中に腹痛で手洗いに行ったまま帰って来ていないのだという。長い時間帰ってこないというので、クラスでも心配になっていたそうだ。しかし、流石に手洗いというデリケートな場所に無闇に立ち入るのもどうかということで誰も行けていないらしい。勿論、男子である韮崎が女性用に入るわけにもいかない。
その場は納得して、先に生徒会室に行っている旨の伝言をクラスメイトに託し、現在に至る。
やがて韮崎の苛立ちがピークに達し、他のメンバーが戦々恐々とし始めた頃、マグマを冷やす氷が降ってきた。
「皆、遅くなってごめん!」
珍しく奏丹がドアを少し荒っぽく開けて入ってくる。よほど慌てていたのだろう。
氷の登場に、メンバーは皆ホッとした。
「遅い!遅くなるなら連絡の1つくらいしろ!大体腹痛って、身体は大丈夫なのか?!キツいなら忙しいからと言っても無理はせずに…」
途端に韮崎が激しく捲し立てる。普段は大人しいが、一度怒るとマシンガンになる韮崎は、同学年や後輩はもちろん、3年からも恐れられていた。
一方、お説教を受けている奏丹は、目を瞑ってうつむきがちにうんうんと頷くのが精一杯である。
この状態になると奏丹であっても最低10分はかかる。
「全く、大体君は何時も無茶し過ぎなんだよ。もっと周りを頼れ!」
「うん、心配かけてごめんね副会長。ありがとう。でも、何時も頼りにしてるよ?」
「〜〜〜っ‼」
うつむきがち〜からの上目遣い。大体何時もこれで韮崎が折れる。というか堕ちる。とてもチョロい。
「「「副会長、相変わらずチョロっっっ」」」
ひと声いちチラ見。他の面々の心の声は見事にハモっていた。こうして何時も奏丹によって韮崎の噴火は冷やされている。
まあ分かるかとは思うが、主に韮崎が一方的に奏丹に懸想している状態だ。奏丹本人にとって韮崎はまるきり男友達の領域でしかないので、こうした仕草なども無自覚なのが何とも不憫だ。
そして韮崎のそれは見ていてとてもわかりやすいので、周知の事なのだが生徒会メンバーは沈黙を貫いている。その理由は、触らぬ神に祟りなし。これに尽きる。
「もういいっ!君は体調が悪いんだろう?今日はもういいから、早く帰れ!」
「えっでも、仕事が…」
「俺が少しやっておくし、明日もある!それより早く帰って休め。無茶はするなと先程も言ったばかりだろう?」
押し切る形で言いくるめられて、(説教の間床に置いていた)鞄を手をとって持たされる。そしてそのまま手をとって廊下に連れ出される。
「じゃあな。気をつけて帰れよ。」
奏丹は目の前で閉まっていく生徒会室のドアを、黙って見つめるしかできなかった。