サンダルウッド
両親のことで、彼女が未だに覚えていることは少ない。
何しろ、両親が揃って他界したのは彼女がまだ4歳の時だ。物心つく前の、記憶が一番あやふやになる時期である。ほとんど覚えていなくても無理はない。
両親は共に世界的な製薬会社の研究員で、休みは滅多にない。たまの休みには、家族4人で揃ってピクニックや遊園地や水族館等に出掛けていた。二人共、とても朗らかで明るい人柄だったように記憶している。
仲の良い家族だった。
ただそれだけしか記憶にない。両親が何処の出身でどの学校に通っていたか、どのようにして出会って自分や兄が生まれて来たのか…。あるいは好きな物·嫌いな物、特技や趣味等、普通であれば知ってるような事を、彼女は覚えていない。
知りたくなって、兄に聞いてみたこともあった。その時は後者はわかったが、前者は分からなかった。話の途中から、兄が泣きそうな顔をしていたのに気がついて、聞くのを止めたのだ。
そうだ。両親を亡くした時は兄もまだ子供で、それでも一生懸命に自分の世話を焼いてくれていたのだ。
辛い事なんて、思い出さなくてもいい。思い出させなくてもいい。
兄と二人、助け合いながら生活すること十年ほど。
その頃、奏丹は中学2年生になっていて、学校では剣道部に入って生徒会副会長もしていた。立派な思春期で、色々な事が気になる年頃である。
ふと、両親のことが気になって、自分で調べて見ることにした。
あと数年すれば13回忌になるが、自分は両親の事をあまり知らない。かと言って、兄には聞けない。あんな顔はもうさせたくないと思った。
だから奏丹は兄が仕事で居ない間に、仏間の押し入れにしまってある両親の遺品を見てみることにしたのだ。
今までなんとなく気が引けてしまって見ることもなかったが…。
そしてある日、押し入れを開けて両親の遺品を見た。
アクセサリーやアルバムや学校の卒業証書に文集、どれも生前の両親を知る貴重な物だった。
一通り見終えてそひとごこちつき、それらを元の収納ボックスに戻そうとしたとき、収納ボックスの底に仕舞われている寄木細工の箱が目に入った。
ちょうど、文箱くらいの大きさだろうか。箱の横側には引き出しが付いている。開けてみるが、中には何も入っていない。
何の変哲もない寄木細工の箱。たが、奏丹はそれが異様に気になった。言い知れない焦燥感とそれに付属する好奇心に、どうしようもなく突き動かされて、他の遺品は収納ボックスに入れて押し入れに戻したが、その寄木細工の箱だけは自分の部屋に持ち帰った。
それは難解なパズルだった。
夕飯の後に何時もとっている勉強の時間、その時間を使って寄木細工の仕掛けを解こうとした。
通常、土産物屋等で売られている寄木細工の仕掛け箱であれば、難しくとも二十手ほどの工程で解けるのだが、この箱は特殊なものらしく、何十手もの工程を要するようだった。あちらが動いたと思えばこちらが動かなくなり、ずらしてはまた戻して…を繰り返す。
日々の勉強と並行して解いていたのもあり、結局完全に解けるまでに三週間ほどかかってしまった。
箱を完全に開けるまでの行程は五十手もあった。やっとの思いでそこまで辿り着き、最後のピースになっている木片を押し込むと、カチリと音がして箱が開いた。
開いたのは2重底になっていた下の部分だ。複雑な行程の寄木細工の箱に入れるくらいだ。よほど重要なものが入っているのだろう。
奏丹は緊張と好奇心でどくどくと早鐘をうつ胸をおさえながら、箱に手をかける。ゆっくりと慎重に恐る恐る開いてみると、納められていたのは一通の手紙と少し大きめの鈴と組紐。
鈴は…まあ、一見何の変哲もないただの鈴なので、一旦置いておくことにした。それよりも気になるのは手紙の方だ。
両親の遺書は、予め会社の弁護士に預けられていたものがあったのだが…それは表向きのもので、もしかすると此方が本当の遺書なのではなかろうか?奏丹にはそんな気がしてならない。慎重に封を切って中身を取り出し、内容を確認する。
両親の遺した本当の遺書。そこに記されていたのは、確かに世界の真実の1つだった。
その日も、午後の平穏を破って街角に怪人が現れた。怪人は人々を襲い、街を破壊していく。
今回の怪人はどうやらかなりの強敵だ。身の丈は五メートルほどあり、両腕の先は巨大な鎌のようになっている。鎌を避けて後ろに回り込めば、そこには長い尾があり、怪人の後方で猛威をふるっている。
これまで現れた怪人の中で間違いなく最強の部類に入るだろう。
正直、如何なヒーローでも束にならねば勝ち目がないと思われた。
そんな怪人が現れたと連絡を受けたヒーロー達は、慌てて現場に向かう。しかし、彼等が到着した頃には既に長い尾と片腕は無力化された後で、あと一歩でトドメ…という場面になっていた。
怪人と向かいあって武器を構えていたのは真っ黒な女性のヒーロー。彼女が今手にしているのは、柄も刀身も黒い長槍。頭上で両手を使って回転させてから右腕で振り下ろし、血払いをする。
驚くべきは、息も絶え絶えという怪人を前に、彼女は呼気の一つすら乱してはいないという点。それを目の当たりにして、ヒーロー達は驚愕と戦慄を同時に感じた。
破壊された街、横たわる死体と、動く事ができずに呻く多数の負傷者。僅か数十分でこの惨憺たる光景をつくり上げた元凶である強大な怪人。その怪人を持ってしても足元にも及ばぬ漆黒。
ヒーロー達は、ただただその場に立ち尽くすしかなかった。