Hope ~望み~
ミストという名の城壁に包まれていたはずのベースはこの日、壊滅した。
世界を離れ、人間の世界の話をすれば、一企業のシステムや情報がすべて破壊、漏洩し、世界中の新聞を騒がせた。世間ではアイアンウィルを管理運営している会社が糾弾され、立場を危うくしている。
そのような空気はこちらの世界までは伝わらないのだが、ミストという、鉄壁を信じられていたシステムが突破されたことは、アイアンウィル陣営に大きな動揺を与えていた。
「原因を洗え!!!」
いきり立つアイアンウィル。太いシガーを噛み切らん勢いでデーターたちに指示を出す。
外の世界がどうなっているかは知らないが、失態は彼の死活問題だ。存在を消される恐怖に苛まれる彼は、目に血柱が立っている。
「何か分かったか」
戦いを見物してきた自陣のトップエージェントに問う。
「いや、俺には目が動いた……くらいしか……」
貴様の所見は知っている……アイアンウィルは聞いておきながらそういう顔をした。
自陣営のエージェントデーターの戦闘中の機微はすべて報告が上がる仕組みになっている。だから、彼からは新しい情報は得られない。期待はその隣に立っている客将たち。ランマル、ペティル、ルーシア……。
男はそれぞれに目配せをした。険の強い顔は一同を黙らせていたが、一人、おかっぱの女性はおずおずと胸にかかったクマの人形を差し出す。
「ふわふわ……?」
「む……?」
「あ、もしよければふわふわだね、とか、かわいいね、とか言ってやっちゃくれやせんか」
「むぅ……」
女性はどうみても二十代だが、彼を見上げるそのつぶらな瞳だけは赤子のように純粋に輝いている。
しかしアイアンウィルもガンコなもので、ただでは認めず、その大きな手を彼女に伸ばした。
「どれ、よく見せてみなさい」
「……!!」
取られる!……と思ったか、バッと身を翻してクマを隠すルーシア。ペティルは苦笑いである。
「ああ、いいっす。ほっといてください」
しかし、だからこそペティルに発言のキッカケができた。彼は言う。
「ヤツは有視界外からの狙撃を物ともせず、しかもその弾丸をキャッチしてみせやがりやした」
本気の狙撃だった。照準もタイミングも会心の射撃であり、その一撃にはプライドもあった。それをああもたやすく防がれてしまったことは、彼にとって衝撃でしかない。
「速いだけじゃない。正確で、冷静です。当たる気がしやせんでした」
「ふん……」
その情報は、クローラの脅威をなぞったものでしかない。ただ、言ってうなだれた彼にとっては、いわば敗北宣言のようなものであり、自然雰囲気には重みを帯びる。
隣のルーシアはそれを心配したようだ。クマを見せて場を和ませようとする。
「ふわふわ……」
「うんうん、ふわふわだな。誰も怒ってないよ」
ペティルはそんな彼女の頭をなでる。アイアンウィルの目が今度はランマルを映した。
「キミはどうだ」
「きゃは」
この少年は意味不明のリアクションをすると満面の笑みを浮かべ、
「クローラの何が作用して金縛りにあうのかは分かりましたよぉ」
我関せずのルーシアを除く皆の視線がランマルに集まる。
「今の僕じゃムリですけど、ブースターをつければ多分対応できまぁす」
ブースターとはデーターたち個々の持つ能力を一時的に増幅するための機器である。
実は彼らの能力というのは基地自体がもつ演算能力に依存している。この説明だけは実世界から俯瞰した方が説明しやすいのだが、つまりそのサーバーを動かすためのマシンパワーだったりメモリだったり、そもそも電力だったりを心臓や血液として、彼らデーターは生きる。
これはクローラとて同じことであり、データーのもつ固有の指示によりそれらの血液を自動で受け取って活動できる仕組みとなっている。言い換えれば、血液を受け取れない基地の外では表立った活動はできないし、基地自体に電力が供給されていない時は、その基地内では一切の活動ができない。
彼女から基地を護ろうとするエージェントたちがわざわざ基地の直前で彼女を待ち受けるのも、つまりは基地内でしか攻撃ができないからであり、サーバーの電力や演算能力というのは、電脳世界において、絶対の存在なのだ。
ブースターというのはそのベースから受ける恩恵を一時的に増幅する働きがある。
便利ではあるが、パワーもメモリも有限であり、一つ所を増幅すると他が枯渇するという悩みどころもあるため、ブースターは演算能力を管制できる者しか支給ができない。ランマルはつまり、アイアンウィルにブースターを要求した、ということになる。
「ブースターか……」
アイアンウィルが唸る。
よそ者に貸すことはリスクだ。この少年が悪用しなくても奪われる可能性もある。そういう理由から、自陣営のエージェントにも基本的にブースターの使用は認められていないくらいだ。
「……貴様はどうなのだ」
首領の視線は再び褐色肌の青年に向かった。ランマルがブースターを所持するなら番犬は必須であり、序列的には彼がその役目を負うことになる。
「いや、カンベンしてくださいよ……」
彼の態度はあからさまだった。自分ひとりでいられれば身軽に戦えるものを、なぜわざわざ余計な荷物を背負わなければならないのか。
ランマルはそんな彼を横目に映し、少し口を尖らせた。
「言っときますけどぉ、戦場でアレを解析して戦闘状態まで復帰させることができるのは、今のところ僕しかいないと思いますよぉ?」
「思い上がるなよ? 俺らデーターの代えなんていくらでもいるんだよ」
「そんなことないです! 僕は僕一人だし、サスケさんだってサスケさん一人です!」
「自分が世界の中で必要だと思ってる時点でめでてぇよ」
「サスケさんはそうは思ってないんですかぁ?」
「必要ねぇよ。俺が死んだって誰かが俺の役目を果たすだけだ」
そして自分が死んだことによりアイアンウィルが壊滅したとしても、他のセキュリティベースがアイアンウィルの役目を担うだけだ。
「……それだけだ……」
「そんな考え方は悲しすぎますぅ!」
「お前がいると戦えねえんだよ! 俺は何のために造られたと思ってんだ!」
家宝にされて死蔵されるためじゃない。このような子供を護るためでもない。
……戦うために、造られたのだ。
死など恐れない。代わりなどはいくらでもいるし、代わりがいなくたって関係ない。戦士が、戦わせてもらえないとはいかなる屈辱か。
「……貴様はいつからサスケになったのだ」
やりとりをじっと聞いていたアイアンウィルが割って入る。青年は自分の首領をにらみつけた。
「知らねえし、俺はサスケじゃねぇですよ」
「名前がほしいのか」
「いりませんよそんなもん! その他大勢でいいから俺をとっとと戦わせてください!!」
「……」
ほとんど何も物がない部屋でしばらく視線を戦わせる二人。シガーからは独特の香りが生まれ、部屋の嗅覚を支配している。
それ以外は何も感じない空間で、葉巻を口から離した男は言った。
「ランマル君にブースターを貸す。だから貴様は引き続き、彼の護衛を頼む」
「……!!」
褐色肌の男は一瞬大きく息を吸い込んだ。その勢いのまま吐き出せば「いいかげんにしろ」とでも叫んだだろうか。しかし彼はその息をゆっくり鼻から抜き、やや肩をふるわせながら、この場を出て行った。
繰り返すが、三大セキュリティベースのパワーバランスのためにも、彼を失うことはできないという頭が、アイアンウィルにはある。
ランマルにブースターを渡すのは、もちろんクローラ対策でもあったが、あの死にたがりを繫いでおく鎖を欲したという理由が大きい。