Tmpfiles ~捨て駒~
その間も、クローラは来襲する。
アイアンウィルの陣営に彼女をしとめる具体策はないが、だからとてユーザーを護らないわけにはいかない。
「死ぬって何だと思う?」
迎撃のために派遣されたエージェントデーターの娘が呟いた。
「ただ消えるってだけよ」
優れた体躯を持つ男が答える。
「俺たちなんていてもいなくても、気にも留められない存在よ。世界に配置されるコマでしかないよ」
データーたちは一定のプログラムが組まれて作成されているわけだから、同じプログラムを組めば同じエージェントができそうなものだが、性能は同じでも容姿や性格はまったく別のものになるという不思議がある。もっともこの世界を覗き見ることのできない人間たちはそのこと自体を知る由もないが。
だからなおさら、いてもいなくても……なのだ。AIが自動作成したデーターなど、言ってみればコンピューター内で自動作成されて消えていくtmpファイルのようなものであった。
「いてもいなくても……ね」
娘は口の中で、切なげな声を鳴らす。
「わちきじゃなかったらダメだ……っていうエージェントになりたかったな……」
「おい、まだ死ぬと決まったわけじゃないだろうよ」
娘は、目をそらす。何もないパイプだけの空間に静寂が生まれ、心情を察した男は静かにその静寂に言葉を載せた。
「……俺も憧れたよ」
だが、あがいてもそのオンリーワンを手に入れることはできなかった。そして今、捨て駒としての死を迎えようとしている。
ダムロアがものの三十秒もたなかったのだ。現状、自分たちが太刀打ちできる相手ではなかった。
さらに今回はクローラがある一定のポイントを通過すると、基地にミストという煙幕がかかる仕組みになっている。アイアンウィルの新技術で、期待通りの働きをすれば殺戮データーは基地には到達できないはずであり、とするとこの二人は、ただひたすらにクローラの情報を得るだけに戦わされることとなる。
「……死ねば(分析の都合上)名前がつく。俺たちは死んで初めて名前がもらえるのよ。それを喜ぼう」
「あちき、牡丹って名前がいいな」
「きっとそうなるさ」
すでに記録は始まっているから、ここでしている会話はセキュリティーベースには送られている。彼女の最期の意向くらい、向こうも聞き入れるだろう。
「しかしアレだよ。消えて名前が残るってのは……」
皮肉だよな。と言いかけ、男は通路の向こう側を睨んだ。……来た。
「さぁ……死んで名前を残すか……」
牡丹という名に憧れる娘は、小さくうなずいた。
クローラは基地に入ると雑兵のようなデーター(これは分析により、ウィルスと判明している)を多数召喚するが、そこに至るまでに、彼女は数名の護衛を連れてくる。
もっとも、その連中はエージェントが護る防衛セッションに至るまでの撃退プログラムでほとんどをかき消すことができる。クローラは月面へと向かうロケットのように、他の者たちを切り離しながら、ほとんどの場合、一人で突入してくるのだ。
男と娘がクローラを見止めた時も彼女は一人だった。男はそのボディスーツを見止めるなり、右腕をばんっと床へ押し当てた。
通路のあらぬ方向から、男のたくましい腕がクローラに伸びる。首根っこを掴んで握りつぶすつもりだ。
しかし、飛ぶように走っていたクローラは空中で飛ぶ方向を変え、わしづかみにしようとしたそれをやり過ごし、そのまま漆黒の矢尻の如く弧を描いて、彼の目の前を覆う。早くも男の死が迫った。
「せぁ!!」
その、振り上がったクローラの右腕の動きを阻んだのは、突如二人の間に割って入った娘だ。
美人ではないがあどけない垂れ目が、一瞬クローラの姿を映し出し、突進にあわせて気合とナイフを突きつける。
「……」
それは一瞬、クローラの胸に吸い込まれたかのように見えた。しかし、クローラは自身が幻影であるかのように、物理法則を無視したステップで自分の勢いを殺し、それをかいくぐって娘を追い越す。刹那で娘は羽交い絞めにされた。
が、その時、娘はすでに、身代わりを捨てて、宙を走っている。
クローラが絞め上げた身体は、生気を失った花のようにしおれていた。
この世界……電脳空間に生きる戦士たちの戦いはとにかく速い。
そもそも質量を帯びた物理世界の戦いではないため、陸に空に……彼らの肉弾戦は、現世界での人間たちの戦いよりも遙かに立体的であった。
人間たちの及び知らぬ場所で、多彩かつ複雑な戦術を駆使しながら、彼らは命を燃やしている。
ほんの数ミリ秒、動きを止めたクローラに、再び男の腕が伸びた。蝋人形を殺していた一瞬の隙をついて到達したその腕に、女の細い首をへし折る力がかかる。
「ぐぁぁぁ!!!」
が、悲鳴は男。
クローラは男の手首を右手で掴んでいた。それだけで男の腕はいびつに曲がり、砂のようになって崩れる。
彼女の武器の一つである、データーを枯らす"種"である。悲鳴は数メートル離れた"本体"が上げた。
絶叫に向かって跳ぶ黒い悪魔。後を追う娘は、刃を仕込んだチャクラム(フリスビーのような投げ武器)を発生させてその背中を追わせたが、到達する頃には男は死に、クローラは前回りの受身を取って、チャクラムを回避している。
「……」
牡丹と名付かりたい娘は息を呑んで恐怖した。
クローラは身をかがめたまま、首だけ振り返って彼女を睨んでいる。その眼光に貫かれ、あまりに無力な死が、肌身をすり抜けていく。
今、呼吸をしている自分が、数秒後にはすべての生命活動を終えているなど、考えられない。考えたくない。
名前なんていらない。死にたくない!
気がつけば、彼女はクローラに背を向けて走り出していた。悲鳴を上げて。走り続ければ逃れられると思う一心で……。
クローラはしかし、それを許さなかった。
翌日。
アイアンウィルの元にもう一方からの通信が舞い込んだ。
もう一方とは、もう一方の商売敵であるシャドウイージスから、である。アイアンウィル、ムサシと共に世界三大セキュリティと呼ばれるAIセキュリティシステムの一つだ。
中空に浮かぶスクリーンが映し出すのは赤い肌を持つ白髪の神官。
「こたびは神のお告げにより、あなたに提案を用意いたしました」
葉巻の男はフンと鼻を鳴らし、
「この世界に神も仏もいるものか」
「一族の長がそれだから、こたびのような大惨事に見舞われるのですよ」
「喧嘩を売っているのか」
「滅相もありません」
神官は慌てるそぶりを見せたが、心胆は何を考えているかなどわかったものじゃない……男はシガーを噛み、ライバルでもある男を睨みつけた。
シャドウイージスは慇懃に頭を下げる。
「過ぎた発言でした。謹んでお詫び申し上げます」
「ふん……」
実際は今のやりとりのような上下関係はないのだが、それぞれの性格を表しているものといえるだろう。目を細めたその聖職者は言った。
「クローラの脅威は対岸の火事ではありません。神の導きに従い、今は共闘すべき時かと存じます」
「ふん……」
鼻は鳴らしたものの、相手の平身低頭で険の解けた彼の思考は軟化していた。
実際、悪い誘いではない。そもそもこちらは喉から手が出るほど戦力を欲しているのだ。あのオカマ剣豪と比べてもこちらのエセ神官はいけ好かないが、わざわざ頭を下げているのは向こうである。
「いいだろう。今回の戦闘記録は貴様らの情報集積にも役に立つはずだからな」
虚勢を張るアイアンウィルを見下ろすシャドウイージスは、表情一つ変えずに言う。
「では、適任と思われるエージェントデーターをそちらに送りましょう」
スクリーンから消える神官の姿。彼らはアイアンウィルと並ぶ老舗で、『二強』と謳われたほどの強力なセキュリティエージェント集団だ。"背水の陣"の首領はこの時、仏頂面を決め込みつつも、内心では一種の頼もしさを感じていた。