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下書き  作者: 矢久 勝基
三幕 時が尽きるまで
29/30

Time limit ~時間切れまで~

 その時、部屋にパタパタと走ってきた影がある。

 朱の入った茶色のワンピース姿。目の大きな女性が、どこかたどたどしく、でも一生懸命、一直線にランマルのほうへ向かってくる。

 険悪な雰囲気の真ん中をすい……と、無垢な妖精が通ったようで、皆がみな、しばらく彼女の動きを注視するのみとなった。

 彼女は部屋の向こうで、部屋の様子を水晶玉に映していたし、聞いていた。

 戦いとなれば出る幕はないが、とある言葉に引っかかった。それから、ランマルのほうへ一生懸命駆けてきたわけだ。

 ランマルに取り付く。彼は、訳の分からないこの少女が少々苦手だ。年上じみた諭すような声で、

「危ないから隠れててくださ……ぶっ!!」

 突き放そうとしたランマルだが彼女はめげない。有無を言わさずに、自分の首にかけていたクマのぬいぐるみを彼の顔に貼り付けた。

 それで、思い出したかのように血相を変えたのがシャドウイージスである。

 彼は「ああっ!」という、少し間の抜けた声を上げると、両手を、はるか向こうにいる解析エージェントの二人に向けた。

 撃ち出される光弾。アイアンウィルの男が反応している。

「うぉぉぉぉぉ!!!」

 瞬間地面を蹴り、弾丸の如く光弾へ迫り、一度吼えると脚でそれを叩き落した。

「ブッター、ブッター」

「え? なんですかぁ?」

「ふわふわ、ブッター」

「ブッターってなに……わぁ!」

 ルーシアは通じぬとなると無理やりぬいぐるみをランマルの首にかけた。体格自体は、少年のランマルよりも、成人女性であるルーシアのほうが大きい。嫌がるランマルを半ば取り押さえるようにして、彼女はランマルを飾り付けた。

「もぉぉ、いったいなんですかぁ……あれ……?」

「どきなさい!!」

 一人焦っているシャドウイージス。ランマルへ接触しようと必死になり、再びディザスター、クローラとの間に小戦闘が発生していた。

 なりふり構わずランマルへ向かおうとする神官だが、二人が巧みな時間差を用いて断続的に牽制を繰り返すため、思うように前に出られない。

 その間で、ランマルは、気付いてしまった。

「これ……ブースターじゃないですかぁ!!」

 心臓に伝わる躍動感。血が、激しく脈動する様は、まさにブースターが働いていることの証明であった。


 ルーシアは解析エージェントとして、全セキュリティエージェントの中でも最優秀の部類に属している。しかし、その傑作はご存知の通り、人格に難を抱えていた。

 どのようなヒステリーから何が起こるのか予測できないため、万が一の制御のためにブースターが常備されている。特殊な使い道ではあるが、彼女に供給される電力に余裕を持たせ、なだめる働きを期待されていた。

 実際は、懸念されたヒステリーもなかったのだが、なにせカモフラージュのためにクマのぬいぐるみの形をさせてしまったブースターだ。他に使い道もないし、まさかだれもブースターだとは思わないので奪われる心配もなく、何より彼女が気に入って離さないので、結果装着されたままになっていた……というわけだ。

 ランマルが、再び初期化のプロセスに入る。その身体は淡く光り、つむられた瞳から延びる長いまつげが小刻みに揺れた。

「くっ!!」

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるシャドウイージス。

 あの小僧は「ブースターがあれば初期化ができる」と言った。それが例え強がりだとしても、今はそれを計る術がない。

「どきなさい!!」

 "彼"は再び吼えた。構図として神官、五メートル先にディザスターとクローラ、それより十メートル先にランマルとルーシアが配置されている。先ほどの時間と同じなら、三分の間にこの十五メートルの距離を無きものにしなければならない。

 しかし、ここに揺るぎのない事実がある。先ほどの三分間。"彼"は全力で二人を殺しにいった。が、その結果彼らはピンピンしたままこちらを睨んでいる。

 今の実力では逃げきられる……寄生主は長引く戦いの中、沸騰し融解していく集中力の中で、更なる強さを求めた。

 セキュリティ会社に勘付かれるリスクが、認識から遠くなっている。

「いい加減に……」

 "彼"は次々に攻撃的なファイルをダウンロードし、自身に展開していく。その課程で筋肉は膨れ上がり、身体は巨大化し、ついには人の容貌を失っていった。

 甲虫のような硬そうな装甲に包まれた頭から直接二本の長い腕が伸び、その巨躯を四本の脚が支えている化け物……、

「しろぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 その、異様に伸びた両腕を地面に叩きつければ、大地が揺らぎ、天から槍の雨をふらせた。

 二人のトップエージェントは左右に分かれて飛ぶ。しかしそれを追いかける、鞭のようにしなって伸びた"彼"の腕に打ち落とされるクローラ。

 ディザスターは飛びながら銃を乱射するが、確かに命中したはずの弾が、その"怪物"の甲殻に阻まれて弾かれた。長く伸びるもう片方の手がそんな彼の足をつかみ、数度振り回してからぶん投げる。

「ぐぅぅ!!」

 向こうの地面に叩きつけられた彼の呻きを乗り越えるようにして、クローラが踊りこみ、銃の乱射からの蹴りのコンビネーションに入った。

 いくつか叩きつけられる連撃。化け物は「むぅ!」という声を上げたが、別段苦しむこともなく息を吸い込む。胸から盛り上がっている突起物が怪しく光り、針のような鋭い一撃となって彼女の肩を撃ち抜いた。

「おいおい……こんなに変わっちまって初期化なんかできるのかよ」

 まだ、いささかの余裕があるディザスターが、立ち上がって憎まれ口を叩く。

「あと百三十四秒三六……」

 うごめく寄生主が呪詛であるかのように己のタイムリミットを噛み砕いた。視線の先に、少年の小さな身体がまばゆい光を放ち、まるで神のようにたたずんでいる。急がねばならない。

 その灯火ともしびに向けて、ゴムのように伸びる化物のかいな。しかしことごとく空しい。妨害しているのは小ざかしいエージェントデーターどもだ。

「その百三十四秒で俺らを始末してからにしろよ」

 声は上空に舞い上がっていた。身体のいたるところから硝煙があがり、どこが発射台ランチャーかもわからない男のロケット弾が、次々と視界に迫ってくる。

 と……仰ぎ見た"彼"の胸に、吶喊したクローラの飛び蹴りが突き刺さった。

「ぐむぅ……」

 鉄球のような重い一撃だ。胸骨が砕かれるような衝撃に、"彼"の四本足がたたらを踏む。苦し紛れに振り回した腕が彼女を叩き落とさんと乱れ飛ぶが、すでに彼女の身体はそこにはない。

 その必死さに、打ち下ろしの銃弾がいくつも襲いかかる。甲殻の隙間を狙い、放たれたそれは、怪異のの絶叫を誘った。

 エージェントたちは手を休めない。右翼からクローラ、左翼からディザスターが、さらなる追撃に入る。乱れ飛ぶ光弾の中をまるでコマ落ちしたアニメーションのように瞬時に位置を変えながら迅り、肉薄してそれぞれに一撃を振り上げた。

 その行為が、獣の巧妙な誘い込みであることに気付かない。

「ようこそ」

 嗤うシャドウイージス。避けようのない距離までひきつけてからの、ハリネズミのような全包囲攻撃を、"彼"は持っていた。

「やべぇ!!!」

 光のつぶてが視界いっぱいに覆う。二人はまるでその濁流に飲み込まれるかのように一瞬で押し流されていった。


「あと九十八秒九二……」

 "彼"の意識は再びランマルへ。

 今度は遠距離から何とかしようとせず、四本の足で歩を進め始めた。

 四本の足……まるで四本足の蜘蛛の背中に上半身が載っているような奇妙な身体が、音もなく滑るように移動する様はおぞましい。

 ランマルは今、自分では一切動けない。ルーシアは大きな目を見開いてそのバケモノを凝視しているが、睨んでいるというよりは見竦みすくめられている様子である。

 見上げればはるか四メートル頭上から殺気をふりまいているようなバケモノだ。それが目の前に迫ってくるとすれば、縮み上がってしまうのも無理はない。

 しかし、その進路上に、再び立ちふさがる二つの影。寄生主も、動きを止めた。

「あと何秒だよ」

 顎を直すようなそぶりを見せながら苦しそうに呟くディザスター。

「カウントをリンクさせれば八十九秒」

 クローラは無表情のままだが、頬が煤けていて痛々しい。人間達に"災害"と呼ばれた男は、うんざりしたような表情を浮かべた。

「一秒ってのは長ぇもんだな」

「いやになったのなら先に死んで」

「へっ」

 憎まれ口を叩いてくれる。ディザスターは巨大な化け物を見たまま吐き捨てた。

「……お前一人じゃ持ちこたえらんねぇだろうよ」

「大丈夫」

「大丈夫?」

「……真剣に殺していいのならね」

「ああ……」

 うなずいた。

「同感だ」

 足枷であった。

 もともと"手加減をする肉弾戦"というのは非常な困難をはらむ。相手が本気ならなおさらで、相手を傷つけず自分も傷つかずというのは、よほど実力に差がない限り不可能だ。攻撃は最大の防御という言葉に偽りはなく、思う攻撃を封じられた状態では、自分の身を危険に晒す以外の何物でもない。

「あなた、名前は?」

「名前?」

 ふと、クローラの呟いた言葉に彼は驚いた。

 質問の内容も、そんな質問をした相手がクローラであることも、意外であった。

 彼は、怪物を見たまま、口をつぐんで心に問いかける。

 ……名などない。

 誰かに名前をつけてほしかった。名誉ある英雄として……伝説を残すことによって、高貴な名は他人より名づかるものであると信じている。

 が、今はまだ、何をしてもいない。英雄の名を冠する偉業をなしてはいない。無名は当然であり、彼は"名前がないこと"がむしろプライドであった。

 しかし今、何らかの名を答えたい衝動に彼は駆られている。彼女と話せるのはこれで最後かもしれない。

 ……彼女に、名前を告げたい。ディザスター?

 ……いや……

「サスケ……」

「サスケ?」

「ああ、サスケだ」

「わかった。覚えておくわ」

 サスケはうなずく。そこには不思議な充足感がある。

「サスケ……」

「なんだよ」

「……死なないで」

 その言葉を残して、クローラは地面を蹴った。

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