Shadow of Red ~赤膚の影~
が、消えない。
「な!?」
その動揺に象徴されるように、生みの親も企図していないことが起きている。
「くっ」
半ば焦り、何度かキーボードを打ち直したが、何度やっても消えない。青筋の立つような必死の上に、クローラの抑揚のない声がのしかかった。
「首領。忘れているの?」
その目には相変わらず何の表情変化もない。たんたんと言葉を発する様が、湯気の出そうな彼のこめかみに冷水を浴びせるようだった。
「わたしを生んだのはあなただけど、ムサシの血も引いているの。手動の削除は、片方だけでは出来ないようになっているのよ」
「……」
彼から血の気が引いていく。そんな事実は知識の外だ。
クローラの共同開発自体は、シャドウイージスが寄生されるよりも前であった。だからクローラを扱うことはできても、彼女を取り巻く環境を知りきっているわけではない。また、調べもしなかった。
「あなたが何者かは知らない。知らないまま、死んで」
「まて、クローラ」
そこで、ようやくディザスターの声がクローラの耳に届く。
「今、世界はそいつを失うわけにはいかねぇ」
世界の警察はアイアンウィルだけでは足りない……彼はそう続けて、
「そいつを、正気に戻すんだ。手伝ってくれ」
「……正気?」
「ランマルが初期化をかける。寄生される前の状態に戻すんだ」
「戻るの?」
「戻さなきゃいけねぇ。それが、世界に対する俺たちセキュリティエージェントの責任だ」
「……」
クローラは改めて身構える。何も答えない。ディザスターもランマルを背に隠し、腰を落とした。
とにかく、ランマルを何とかしなければならない。
焦りにも似た感情を抱く白髪の神官が両手首を合わせ手で円を作った。手の平が光を帯び、粒子の細かい擲弾が多数飛び出す。それらはまるで散弾銃から発せられたかのように放射状に広がり、地上の三人を脅かした。
クローラと、再びランマルを抱いて走るディザスターは互いに逆方向へ走る。相手の意識が分散すれば、当然意識の向かなかったほうは攻撃がしやすい。
シャドウイージスの意識は、これも当然といえば当然だが、ランマルを抱えるディザスターに向いた。
立て続けに発せられる光の帯。慣性を無視した蛇行を重ねてそれを避けきるディザスター。間隙を縫ってホルスターから銃を抜き銃弾を放つ。片手にランマルを抱いたままではどうにも戦いにくいが、この際仕方がない。
銃弾はディザスターだけでなく、クローラからも放たれている。十字に交差するような銃弾の飛来は避けづらく、赤肌の神官も攻撃を中断して回避するしかない。
彼は苦い顔をした。ディザスターもそうだが、クローラも当たり障りのない牽制に終始しているのだ。明らかにランマルの言った「三分」に期待する動きであり、その消極的な動きには隙がない。シャドウイージスを操っている"寄生主"にとっては捉えづらい代物であった。
焦りの募る中で、あれやこれやと思案する"寄生主"。
新たな力をダウンロードすることはたやすい。すべてを開放し戦えば、三分という時間でここを沈黙させることもできよう。
しかし、過度のかさ増しと混乱は、"彼"の寿命を縮めるリスクをはらんでいた。
AIの自己管理は慣習化しているとはいえ、目立った動きをして足がつけば、人間による調査が入る。クローラのような子データーであればともかく、AIエージェント自体が騒ぎを起こすのは不都合でしかない。
"彼"の、本気が出せない理由であった。
"彼"は、依頼でサーバーに侵入し、破壊や情報の抜き出しを行って、対価を得ているという、アンダーグラウンドに身をおく"人間"であった。その方法の一つとして彼が長く研究していたのが、セキュリティシステムに寄生すること。
ハッキングとセキュリティは紙一重なのだ。セキュリティエージェントのトップとして君臨することは、"彼"の仕事にはなにかと都合がよかった。
クローラを扱いサーバーを蹂躙し、アイアンウィルがミストを用いれば言葉巧みにスナイパーを潜伏させ目標を達する。"彼"が放つデーターはセキュリティベースが発したデーターなのだから信用度は高く、まったくもって都合がいい。最終的に偽装を施せば、いかようにも痕跡を消すことはできた。
長く暖めてきたセキュリティシステムの乗っ取り。しかも、親会社に気付かれないようにそれを行えたことは、コンピュータ処理が信用されきった昨今のモラルハザードでもあったのかもしれないが、とにかく実社会がこの寄生に気付かぬうちは、"彼"はいろんな方面から利益を貪ることができる。
だからこそ、今の状況は厄介であった。
ランマルの初期化が成功すれば自分の仕掛けは追い出されてしまう。それを阻止せんと現状発することのできる火力を最大に引き出しても、両エージェント共に非常にすばしっこく捉えきれない。しかし本格的に自分の仕掛けた力を取り込み始めるとセキュリティ会社が勘付いてしまう可能性がある。
「くそっ!」
まばゆい光が湾曲しながら次々と二人のエージェントを襲うが、まるで柳の葉を揺らすかのように手ごたえがなく、"彼"のイラつきは募る一方だ。
三分。……彼らはしのぎきった。
そしてその五秒四二秒後、甲高い声が戦場を駆ける。
「サスケさん! 下ろして!!」
ディザスターはやや乱暴に少年を振りほどき、自分はすかさず手をクロスさせて三日月形の刃物を縦横無尽に解き放った。
「とまりましたね!!」
シャドウイージスはそれを全方位に放った石のつぶてのような弾で叩き落すと、動きの止まった二人に向けて一際大きな火炎弾を投げつける。が、その直前に、彼は鈍い衝撃を感じた。
「!!」
クローラだ。圧力の高い体当たりが彼をよろめかせ、火炎弾の軌道を狂わせる。
「しまった!!」
左へそれるそれと交差するように、ランマルから送られてくるエネルギー。目視できる周波数ではないが、"彼"が一番恐れていたそれが解き放たれた時、まるで電波の波が火炎弾の脇を舐めて自分に突き刺さったように思えた。
「やった……?」
難しい顔のまま、シャドウイージスを見上げている少年。神官姿のエージェントは何かに討ちぬかれたかのように身動きをとめている。ディザスターはおろか、クローラさえも一度距離をとって、一度彼の行く末を見守っていた。
しかし、それも一瞬である。
「ダメですぅ!! 下がって!!!」
声はランマルの身体ごと、神官の放った衝撃波に吹き飛ばされた。ディザスターもクローラも踏ん張って、ことの無きを得たが、今の一瞬でランマルをサポートするまでには至らなかった。
「大丈夫か!?」
「大丈夫! 転んじゃっただけですぅぅ!! それより!!」
まで叫んだ時、シャドウイージスは、ディザスターの目の前にいた。
神官着の腹はポケットになっていたようで、そこから取り出される鈍器。フレイルといって、錘と棒を輪で繋げて、棒を振り回せば錘に遠心力がつくという武器が、彼の前でうなりをあげる。
が、攻撃速度はクローラ程ではない。半歩かわしたディザスターはやや険しい表情を浮かべた。
「効かねぇか……」
「無駄な試みでしたねぇ」
"彼"にしたら大得意だ。何せ懸念の一つが払拭された。後はここをしのげばよい。
己の得物を握り締めて目の前の男を殺す方法を考えたが、ふと、思考は転換した。
「戦いをやめましょう」
神官は提案する。
「今回のあなた方の乱心には目をつむりましょう。神もそれを望んでいます」
思えば現状維持でよいのだ。ランマルの力が己に及ばないのなら、彼らに対して無理に敵対する理由は"寄生主"にはない。
ここを現状維持でしのいで、新たにアイアンウィルを潰す算段を立てることが最善手と思われた。
「我を殺せばサイバー犯罪は野放しになりますよ。何がしたかったのかは存じませんが、無用な言いがかりはやめて、矛を収めなさい」
「居直りやがった……」
目の前で涼しい顔をして自分を見下ろす神官に対して拳が震えるが、ランマルが通用しないとなるとここを納める術がない。
「まぁ、あなたの乱心のおかげで今回の人質開放の交渉は随分と楽になりそうです」
「……」
まるで、金縛りにあってしまったかのように動かない褐色肌の男を尻目に、シャドウイージスは先ほど投げた十字架の方へ向かう。
「あのぉ」
その背中を、ランマルが呼び止めた。
「今戦うためにいくつかのファイルをインストールをしましたよねぇ? ファイルチェックされる時に不正であることがばれちゃうんじゃないですかぁ?」
「なぁに」
神官は振り向きもしない。
「何をおっしゃっているのか分かりませんが、……例えば定期報告までに一度アンインストールすればいいだけのことではないですか?」
その上で偽装を施せばいい。思った以上に短時間だったし、そこまで大掛かりなインストールを行ったわけではなかったから、証拠を消すのはそれほど難しい作業ではない。
この程度なら逃れられることは、"彼"も承知していた。
十字架を拾い上げ、首にかけたシャドウイージス。振り返った涼しげな表情に、先ほどの激情は寸分もない。ランマルも悔しそうに唇を噛んだ。
「言っときますけどぉ、全然ダメなワケじゃなかったんですよぉ。ブースターさえあれば、僕はあなたを初期化できますからね」
「フフ……」
微笑……それがこらえられないらしい。シャドウイージスは大いに含み笑い、言った。
「神よ。この哀れな子羊をお許しください。クククク……」
それはそうである。前も言ったとおり、ブースターは基地を管理する立場の人間でなければ支給できない。ランマルがこの"神の盾"でブースターを所望するというのはつまり、「あなたを倒すために、あなたを倒す道具を貸してください」と言っているに等しい。




