Shield of God ~神の盾~
シャドウイージスの居室もやはり広いだけの場所だが、なんとなく荘厳な雰囲気を醸していることは以前述べた。礼拝堂のような空気が、天井の高い部屋へと差す明かりに照らされて清らかに流れている。
通路との境界にドアがある。やがてそのドアを開いて、一人の男が入ってきた。
精悍な顔つきの青年だ。だぶついたパンツを履き、チョッキでたくましい身体を少しだけ覆っている。ターバンを被っていないアラビアンナイトと言えばそれっぽい気もする。
男の目は奥にいる神官を、そしてその隣にいる三つ編の娘を交互に映した。口を開く。
「アイアンウィルの代理で捕虜開放の交渉に来ました」
距離二十メートル。呟きは届かない距離で互いを見据える。シャドウイージスもそれに答えた。
「ご足労です。世間話をするほど口は達者ではありませんので、早速本題に入りましょうか」
「こちらは聞きたいことがあります」
ぴくり……シャドウイージスの目が反応した。対面する男の目は据わったままだ。
「クローラという天才を作り、それをこれからのウィルス対策に役立てるため、アイアンウィルを利用したアンタらの陰謀は聞き及びました」
「……」
「それ自体は、セキュリティシステムの未来を思ってのことだ。やり方は強引でも一定の理解はできます。しかし……」
ディザスターは軽く指を差した。その先にはクローラがいる。
「なぜ、その女に基地の中の一般データーまでを皆殺しにさせたんでしょうか」
女は微動だにしない。神官は十字架を握り締めた。
「悲しいかな、クローラは殺戮用データーです。攻撃を始めたら見境が付かなくなる欠点があります」
「いや……」
男は首を振った。
「知っていてわざと言ってるのかは知らないが、その女はセキュリティエージェントとして、充分な理性があります。指示をしなければ被害が基地に及ぶことはなかった」
「……」
「その女は、立派なエージェントです。アンタが言うような単純な殺戮データーではない」
女は、瞬きもしない。じっ……と一点、言葉を発している男に目を向けているのみだ。
「基地の破壊には明確な指示があった。違いますか」
「……」
彼の声を聞きながら、自分が寄生され操られているという前提の下、シャドウイージスは自分を分析していた。
そして、"思えば"えもいわれぬ感覚であることを知る。
不思議であった。
自分は、自分でありながら、今から発しようとしている言葉は自分のいいたい言葉ではない。
「……我はあなたの素行を知っている。なぜ、アイアンウィルはあなたのような無礼者を使者に遣したのでしょう」
いや、そんなことが言いたいのではない。彼は、自分ではない自分が、まるで自分の意思であるかのように言葉を紡いでいく姿に戦慄した。
「気分が悪いです。用件を済まし、とっとと下がりなさい」
今、そんなことを言ってはいけない。なぜなら、捕虜を多数取られているのはこちらなのだ。彼をすみやかに交渉の席に付かせ、イニシアティブをとっていかなければならない場面なのに……。
一方、ディザスターもこの場をどれくらい持たせるかがカギとなっている。
今、この"礼拝堂"からは死角になっている部分で、ランマルとルーシアがシャドウイージスを解析しようと躍起になっている。彼のすべてが見えなければ彼のどこにエラーがあるのかが分からないので、二人は今、まるで一人の人間の髪の毛一本から組織の一片に至るまで、すべてが説明されている辞典の間違いを探すような作業を必死にしている。
間違いは一つとは限らない。一冊読み終えた時、ようやくその間違いを正す段階に移行できる。
「ふわふわっ!」
「まじめにやってくださいよぉ!!」
「むぅ……」
口を尖らせながらクマをしまって、再び水晶玉に向かうルーシア。ランマルは怒ってはみたが、確かに彼女の解析速度は高い。怒涛の勢いでロールしていくシャドウイージスの情報に、彼女の目はまるで水晶振動子のように激しく揺れ動き、通常はありえない羅列が見つかるたびに、その場所を弾いている。
「ぎゅーーーー」
「とまらないでくださいーーーー!!!」
たまに集中力が切れてぬいぐるみを抱きしめたりしているが、それがあっても彼女の解析能力はランマルの比ではなかった。彼女がロケットなら、ランマルのそれはロバとかラクダであろう。
が、繰り返すがランマルのすごいのは解析の速度ではない。解析を終えてからどう直せばよいのかを判断し、すべてを元の状態に戻すことのできる初期化の能力であり、ここへ来るとロケットは彼のほうであった。
なお、初期化は、"破壊"ではない。クローラの持つ、強制的な能力とは違い、アクセス拒否をされると弾かれてしまうため、対象のデーターにプロテクトなどがかかっているとつらくなる。
クローラの使った"金縛り"の初期化さえ、ブースターが必要だったのだ。今回の初期化もランマル一人の力では足りないかもしれない。
少年の小さな肩にのしかかる重圧。ランマルは、自分の胸元で高鳴る鼓動を、両手で力強く握り締めた。
(サスケさん……)
そんな彼に思い浮かぶのは、パンドラを相手に最期まで戦い抜き力尽きた侍の姿。水干姿の少年は目をつむって、鋼鉄のようだった彼の志を抱き込むように呟いた。
(……僕もエージェントです。立派に……戦ってきますね)
そういう二人を背中に控えている。
初期化は目視が必要なので、解析を終えたランマルが部屋に飛び込んできたあと、初期化が完了するまで彼を死守しなければならない。
ディザスターは人質解放交渉で時間を稼ぎつつ、シャドウイージス、……いやむしろ、その隣にいる三つ編の女との戦闘シミュレーションをしきりに行っていた。
彼女はどう動くのだろう。以前、自分を殺さずに道を戻った時、彼女はいったい何を思ったのだろうか。彼女は今、敵なのか。……それを図るような質問を投げてみて、ちらりとクローラのほうへ視線を送るが、彼女は置物になってしまったかのように止まったままだ。
今はいい。予断が許されないのはランマルが飛び込んできた時だ。男はあらゆる可能性を模索し、空気のすべてに神経を張り巡らせた。
なお、交渉はクローラが焦点となっている。
アイアンウィル側はクローラのすべての性能の開示、アイアンウィルとの戦いにより得られたすべての情報の開示を求めた。
「それをされない場合、人質は解放されないばかりか、クローラの所業をすべて現世界への報告書に上げます」
人間に、ということだ。シャドウイージスの進退問題に発展することは間違いない。
ただそれには、「基地の一般データーを殲滅せよ」という指示がシャドウイージスからあったか、がほしい。クローラが単なるバグと認定されれば責任が追及しきれない可能性がある。
誘導尋問のようなやりとりが長い間続いたが、シャドウイージスはその部分を心得ている。核心に迫る部分をのらりくらりとかわし、容易にイニシアティブをとらせない。
自論と己の正義を雄弁に語り、AIエージェントデーターとしての知能の高さを如何なく発揮しているようではある。
しかし、実際は"本来の"シャドウイージスの意思ではないところであり、彼の心情はまるで、麻痺した腕に無理やりペンを持たされて、その腕を誰かに押さえ込まれてなにかを書かされているようなものだ。
(神よ……)
声にならない呻きが彼の喉を鳴らす。胸の辺りをぶるぶる震わせて……しかし身動き取れない己のふがいなさを思った。
電脳世界におけるハッキングとはそういうものだ。全身に通っているすべての神経につたのように絡みつき、データーを意のままに操ってしまう。しかもそれは正常な稼動範囲で行われるから、実害があるまで気付かないし、本人は良かれと思って間違った行動をしてしまう。
(そういう悪意から世界を護るのが我であるはずなのに……)
それがひたすらに、ひたすらに、ふがいない。




