第4話-2・〜戦慄の森
「すごーい」
アリシアが思わず叫ぶ。レイラも目を丸くして辺りを見渡し、クロウは……いつも通りにやけながら家を散策している。
「二人で住むには広すぎますね。すごい、の一言に尽きます」
「こんなお屋敷俺初めて! ねぇ、フツキ嬢あとで探索していい?」
「え、まぁ……お好きにどうぞ」
私には何がすごいのか分からない。だって自分の家だし。一応、大きなお屋敷らしいけど。
見慣れた暗い廊下。等間隔で石壁に取り付けられている薔薇の形のランプ、そして所々大きな絵画や動物の剥製が飾られている。
主に地下は貯蔵庫と他一室、一階はお風呂などの生活空間や叔父さんの部屋、二階は私の部屋や書斎、その他に数えきれないほどの部屋、といっても施錠してある所ばかり、がある。
「客間はえーと、こっち? だったはず」
「自分の家でしょ? 分からないの?」
「自分の部屋と書斎ばっかいたし、行くなって言われて鍵がかかった所がほとんどだったしね」
「行くな? 自分の家なのに?」
やはり喰らいついてくるのはクロウ。
「主に鍵のかかっている場所はね、駄目だったの、ほとんどだけど。だから中に何があるかとか本当に知らないの」
「ふーん」
「今からここでどうする? 最低限の物しかないと思うんだけど」
これ以上分からない事に喰いつかれたくないからすぐに話題を変えた。
クロウはすぐ人の柔な所をつくんだから……。
「お食事に致しませんか?」
アリシアが両手を合わせにこにこしながら言った。
「いい、けど……」
「駄目ですか?」
「貯蔵庫に何も入ってないのよ。だから森に取りに行かなきゃ」
「森へ? ていうかなんで何も入ってないんですか? では今まで一体姫様はどうやって!?」
「叔父さんが消えて食糧尽きてからほとんど何も食べてなかったから……」
「どうして……そんな事続けたら死んじゃうのに?」
アリシアは悲しげに目を細め、私の手を取る。
それは哀れみとかじゃなくて、まるで自分のことのように嘆き悲しんでいる表情だった。
「外に行っては怒られるから。それにもし叔父さんが帰ってきた時、私がいなきゃ心配するでしょう?」
「どうしてそんなに叔父さんに依存するの? 叔父さんだって貴女が餓死した方が悲しむのに?」
「叔父さんが絶対だからよ」
何故だかわからない。自分でも少し驚いちゃったもの。でも口から勝手に零れおちた言葉はそれだった。
自分の感情、いや否定は出来ない。確かに過去の自分は叔父さんだけを信じて生きれば良かったのだから。
「姫様……」
「でももう大丈夫。こんなに可愛いアリシアやかっこいいレイラや優しいクロウがいるんだもん。私ね、皆と居て今すごく楽しいの。ありがとう、心配してくれて」
私はアリシアをぎゅっと右腕だけで抱き締めた。彼女の体はやはり細かったけれど思っていたよりずっと引き締まっていた。
「姫様……」
私はアリシアを離して一度頷く。相変わらず心配そうな表情だ。
「さ、客間よ。汚いと思うけどごめんね。適当に掃除しなくちゃ」
木の扉を開くととりあえず空気が重苦しかった。どんより、なんて言葉がぴったりだ。
天井には豪華なシャンデリア、木が置きっぱなしの暖炉、モカ色のふかふか絨毯に、深紅の大きいC字型ソファー、木目が美しいダイニングテーブルとデスク、少し離れた所に硝子扉の梯子付き本棚と白いシーツの敷いてあるベッドが二つ、但しもれなく全て埃つき。
その埃が叔父さんがいなくなった長い時を思わせる。お掃除はいつも叔父さんとしてたんだから、そうよね、掃除……してなかったわよね。
私は胸に手を当てきゅっと強く結んだ。
「埃は被っているけど素敵なお部屋ですね。お掃除しなきゃいけませんわ」
「ありがとう。そうね……、それに食料も取りにいかなくちゃ。井戸の場所なら把握しているわ。でも腕がこんなだし出来れば男性のどちらかに着いてきてもらいたいんだけど、いい?」
「俺――」
「行きましょうか!」
レイラはクロウの言葉を遮り、その場を後にして私をずるずると引きずっていく。
「えっ、ちょレイラ!?」
「二人、任せましたよ! 掃除もしておいて下さいね」
残る二人に手を振るレイラに私はどんどん引きずられていく。
「え、私あの二人に雑巾とか箒――」
「大丈夫ですって、あの二人だし。あ、僕達の食料もですが馬達の餌や水も取ってきてやらないといけないんです」
「いやそうだけど何もそんなに……」
「いいから」
「クロウと絡みたくなかったの?」
「ちょっと間違ってます」
「じゃあアリシアと喧嘩でもしたの?」
「いやいや、ずれていってますよ理由が!」
「じゃあ……私がクロウと二人だったら危ないから?」
「……」
どうやら図星みたい。そんなに心配なのかなぁ。
「でも森で襲いかかるクロウでもないと思うわ。本当は私に手出ししようとか思ってないみたいだし、そりゃ変わってるけど根は優しいと思うの」
私がそう言った途端レイラはがばっと勢い良く振り返って私の右肩に手を置いた。
「あのですね、フツキ! 貴女はれっきとした女性なんですよ、だからこそ男性との距離感は気を付けなければなりません。男は皆、羊の顔した狼なんです。そうやって油断してるといつ本当に危ない目に遭うか分からないんですよ!?」
「でも、レイラが護ってくれるもん……」
怒られるのが怖くてトーンを控えめにしてそう言うと、レイラは顔を少しだけ赤くし、下を向いてしまった。
「でしょ?」
肩に置かれた手が小さくふるふる震えている。
だ、大丈夫、かな?
「レイ――」
「……もういいです、行きましょう」
あれ、怒らない? 分かってくれたのかな。
彼は私の手を、まるで掴みかかるかのように握ると、急に無口になってしまった。
再びレイラに引きずられて全員の手荷物が置いてある物置に来た。レイラは引き戸を引いて荷物を出すと小さな矢が沢山入ったウエストバッグを腰に巻いた。それから手にしたのは小型のオートマチックな弓、つまりクロスボウだ。銃の引き金みたいなのを何度か引いて動作確認すると、更に荷物からホルダーに入った銃二丁をベルトに、腰の両側に刺さっているダガーの横に、挟んだ。
なるほど多分レイラは両手で武器を扱うのが得意なんだ。
でも様々な色や宝石の付いた指輪が何重にも嵌められた細長い指は美しくて、冷たく残酷な武器を持つなんて考えたくなかった。
命を奪う――。
命は奪われる――。
私が青薔薇だとしたら、私もいつかは奪わなければならないの?
何を護るため、世界?
その為の犠牲者は、誰?
壊されるのは、何?
「待たせてすみません。行きましょうか。フツキははい、この野草用のバスケット持ってて下さいますか?」
にこりと笑う彼の微笑みもこんなに甘いのに苦い。何故? どうして心がうずくの?
「フツキ?」
「あ、ごめん」
「フツキ、いつもぼーっとしてたら――」
「ごめんなさい。行きましょ行きましょ」
私だってたまには深く考え事するよ、でもお説教はごめんだ。
私は溜め息をつくレイラをエントランスまでぐいぐい引っ張った、けれどそこで急に足がすくむ。
ここから先は広い広い世界だからやっぱり……ちょっと怖いよ。
その時突然何かが私の右手を締め付けた。
「レ、イラ?」
その正体は煌びやかな指輪が沢山嵌められた彼の手だった。きつくきつく痛いほど私の手を握りしめている。
「僕がついています。大丈夫、護りますから。行きましょう」
「うん……」
繋いだ手をぎゅっと握り返す。そう、レイラがいたら怖くない。
ドアを開けて一歩踏み出すと新緑の風が清々しい深い森。頭上では茶色い羽をした鳥が飛び立った。更に足を進める。鬱蒼と生い茂る森は優しく私達を見守っているようだ。穏やかな空気が流れている。思っていたより和やかな雰囲気で怖くなかった。
ふとレイラは急に立ち止まり、繋いだ手を離した。矢を一本取り出し、クロスボウに取り付ける。片目を閉じてレンズを覗き込むと狙いを定め、それから十時、仰角六十度の方向に矢先を向けると、躊躇うことなく引き金を引いた。
パァアンッ――!
矢は大きな灰色の鳥の脳天に見事に命中し、それが凄いスピードで地上に落下していったのが見えた。
「フツキ、野草お願い出来ますか? この機会に多少外の世界と触れてみては如何でしょう?」
「うーん……、ちょっと怖いけどじゃあやってみる」
「大丈夫ですよ。では沢山お願いします。あまり離れないで下さいね、怖くなったらいつでも声を掛けて下さい」
レイラはそう言って微笑むと矢をセッティングした。クロスボウを構え、引き金を引く。矢を補充して撃つ。その繰り返し。
レイラも頑張ってるんだ。わ、私も頑張ってみなくちゃ。大丈夫、うん、レイラも側にいるんだから。落ち着いて深呼吸、深呼吸。
一頻り呼吸を整えてからぐるりと辺りを見渡す。どこもかしこも木ばかり。その時一本の木に目がいった。
「……あった」
木の根元に茸発見。これなら食べれそう、というかよく食べてたと思う。茶色くて小さい螺のようなそれにゆっくり手を伸ばす。ほんのり湿り気のある茸独特の感触だ。それから根元を捻ると、いとも簡単に取ることが出来た。
「やったぁ……」
調子が出てきて、生えてた茸を全部もぎ取るとなかなかバスケットが埋まってきた。
よし、頑張るぞ。やれば多少出来るわ、私。次は野草取ろう。
私はレイラからほんの少し離れてきょろきょろと野草を探し回る。こんなにも草花が沢山生えているのに食べたことありそうなものがなかなか無い。
ひたすら探す。無い、無い、無い。何処にも無い。何処? 何処なの、何処に――。
遠くから聞こえる鳥の鳴き声、地に落ちる音。はらはらと羽根が舞う。赤く赤く染まった羽根は土に還った。
「――あれ、ここ?」
ふと我に返る。私、何考えてたっけ? 何かに取り憑かれていたように一人でに歩き回っていた。そうだ、野草を探さなくちゃ! それに、あれ、レイラは?
「レイラ?」
くるっと振り返った次の瞬間、私は視線の先の開けた景色に絶句することになる。
これは――。
轟く轟音。冷たい水飛沫。そう、ここは私が飛び降りた崖だった。
蔓を引き裂いた手の痛み、肩が外れたあの音、けたたましい犬の咆哮、兵士達が一斉に銃を構えた時の背筋に走った悪寒、冷たい水で凍り付きそうになった体。様々な恐怖が私の五感を突き刺す。
地の底に堕ちる感覚。自分が紅い華になる姿を想像したあの時のココロ。
忘れたりなんかしない。叔父さんがぐちゃぐちゃの血飛沫になって消えたあの悪夢――。
私は青薔薇。
堕ちて、
堕ちて、
ひたすら堕ちて、
儚く砕け散る。
怖いの。
知ることも、学ぶことも、裏切ることも、生きることも。
やめてやめてやめて。
誰も私にさわらないで。
『成り損ないの青薔薇に残されたのは朽ちる事……?』
「ううぅっ!」
今までの恐怖を掻き消すように突然耳鳴りが私を襲った。鋭い、鋭い金属音。
「な……に?」
森の木々が一斉にざわめく。
木が、花が、草が、泣いている? 自然が怯えている? どうして?
「泣、かないで……?」
新緑が揺れ、ぐにゃりと風景が曲がる。太陽が異様にぎらぎらして眩しい。緑の色彩が光で消えかかった刹那、重たい何かを引き摺る音がした。
戦慄がはしる。ずるっ、という不気味な音。何かは分からない。後ろ、ずっと後ろに、何かがいる――。こっちを見てる、真っ黒な影が忍び寄ろうとしてる。こんなにも遠くにいるのに、どうしてこんなにも睨み殺されるような気持ちになるの。怖い怖い怖い。あぁ駄目、絶対振り返っちゃ駄目!
「フツキ!」
「いやぁっ!」
差し伸べられた手を条件反射で思い切り叩いた。
「っ……」
「レ……レイラ?」
一瞬、顔を歪めたレイラ。彼の手から一片の深紅の花びらが散り、堕ちて地面に小さな花が開花する。
溢れ出す花、花、華。
「あ、私、そ……んな」
「大丈夫、落ち着いて、フツキ」
「血……が、手から」
途端に暗くなった私の視界。息が出来ないほど強く抱き締められている。
「フツキ」
「レイラっ、わた、し、勝手に体が、動いて――」
あぁ、レイラだ。この爽やかで優しい香り。その香りで包まれた温もりに身を委ねると幾分か心が静まる。
「もう大丈夫。ちゃんと見てなくてすみません。……ここは貴女には辛い場所でしたね」
あぁ彼だ、優しいレイラの声だ。でも怖い。体の震えは未だに収まっていなかった。だって私が本当に怖かったのは場所じゃない。
私はぎゅっと彼の背中に腕を回して強く抱き締める。そして彼の胸板に顔を押し付けて呼吸を整えた。
「違う、違うの……」
「え?」
「怖い……のは場所じゃないの、レイラには……もしかしてレイラには分からないの?」
「……えぇ」
あんなに睨み殺されそうな視線が、私には分かって、彼には分からない、なんて有り得るの――?
彼は私の後頭部をそっと撫でた。優しく、ただ私を思って、その手は撫で続ける。
「フツキ、顔をあげて」
私は戸惑いながら上を向いた。温かな紅茶色の瞳は私の双眸を捉える。そして優しい微笑み。
「レ、イラ……、森が、泣いてる……。怖いって言って泣いてるの。誰かが、何かが、いる、この森にいるっ……」
私は耐えきれず再びレイラの胸板に顔を押し当てた。肩を大きく上下させても息をするのが苦しかった。
まるで誰かに首を閉められた後のよう。酸素を求めて口を大きく開けても依然苦しくて。
「どんなモノか分かりますか?」
「わかんない。怖くて、振り返れなかった。でも、私達をじっと見てた、すごく遠くから。私、私、どうしよう。どうしたらっ――」
「僕が貴女を護ります」
レイラがいつになく真剣で少し苦しげに言ったのは彼の誓いの言葉。
「怖いときはこうやって泣けばいい。僕に頼ればいい。僕にすがればいい。僕が、僕が貴女を必ず護りますから。でしょう?」
私は塞き止めていた物が溢れだした。ぽろぽろと止めどなく涙が溢れる。
「ふっ……うぅ、レイラぁっ!」
力が抜けて腰から落ちそうになったけどレイラはしっかり抱き止めて決して私を離さないように、ただ不安を掻き消すように私の頭を撫でた。
『僕が貴女を必ず護りますから』
その言葉を胸に抱く。まさかすぐにそれが叶わなくなるなんて知りもせずに――。
(あら、たっぷりいたぶってあげるわ!)
戦慄の森。そのままなんて言わないで\(^o^)/とりあえずフツキが感じたことが全面的に出てほしい回です。フツキは相変わらずヘタレ。でも仕方ないです、数年間軟禁でしたからねー。叔父さんもいなくなったし。