第3話・旅立ちの朝日
朝日が眩しい。閉じた瞼でもその明るさが分かり、私の頭はだんだん覚醒してきた。
初夏とは言えど少し暑い。包帯を身体中巻いているせいもあるが汗ばんで蒸れそうだった。頭に敷いてあった氷枕もぬるくなり寝心地は最悪。それから喉の乾きと暑苦しさと妙な窮屈感を覚えた。
私は左向きに寝返りを打った、はずだった。右足に何かが絡まる。しかも更に絡み付いてくる。固い。何かの布地だけどシーツとかじゃない。爪先でそれをつーとなぞってみると熱を帯びていた。うーん、ちょうど人肌くらいかなぁ……。ってヒトハダ?
一気に覚醒した私は目を開けた。
「あっは、おはよ」
目を開けるとそこは真っ黒な壁。視線を上にあげていく。銀色のチェーン、髑髏、十字架、細い首筋、大きな口に、綺麗な鼻、真っ黒な瞳と長い睫毛に真っ黒な髪の毛。
昨日の彼はいつの間にか私のベッドに潜り込んでいて、その上私の腰に手を回し、足と足を絡めていた。爪先で触れたのは正しく彼の爪先で無駄に自分から絡みに行ってしまっている。
「どうしたの……?」
「えー、食べちゃおっかなって考えてた」
「私何も食べ物持ってないの、ごめんなさい。ついでに言うと私もお腹空いたわ」
私がそう笑うと彼は何度か目をぱちくりさせて口を開かなかった。
「一階にフルーツがあるはず、貰っ――」
「さっきのは訂正。えぇとね、君ったらすぐ左に寝返りを打とうとするから俺が身を持って防いでたわけ、なんちゃって?」
そうだ、私は左肩を脱臼していたんだった。寝返りを防いでくれていたのはまさしく彼みたい。
「ありがとう、とても助かったわ」
「……どういたしまして」
彼はどこか気まずそうに笑いながら腰と足にはしっかり力をいれていて離してくれそうになかった。
そうだ、レイラは?
右に視線を向けたが既に隣のベッドは藻抜けの殻でタオルケットがくしゃくしゃのままベッドの上に置かれていた。
「ねぇ、暑いわ」
「もう少しだけ」
更に彼は私に頬ずりをしてきた。目と鼻の先に美男子。体がこれでもかと言うくらい熱い。端正すぎる彼の顔を見つめると恥ずかしさで胸が苦しくなるので目だけは瞑り、彼の流れに身を委ねた。
世間ではこの程度のスキンシップは普通なのだろうか? 後でレイラに聞いてみよう。
「お兄さんは甘えん坊なのね」
「男は皆甘えん坊だよ」
「じゃあレイラも?」
「あっは、あいつなんて俺の十倍甘えん坊だよ」
「叔父さんも?」
「まぁ君には甘えないだろうけど」
そうなんだ。
確かに叔父さんにこんなことされたら困っちゃうなぁ。小さい頃から私が甘えん坊でよく困らせてたし……。
叔父さん……、会いたいよ。
「さて起きるか。おはよう、フツキ嬢」
「おはよう……ございます」
そう言うと彼は私の左肩には負担をかけないようにぎゅうっと抱き締めた。どうやら満足したらしい。
駄目だ、頭がくらくらしちゃう。恥ずかしさのせいか初夏のせいかは分からないけど暑い。私が彼の背中に手を回し軽くぽんぽんと叩くと離れてくれた。
「そういえばフツキ嬢にイイ事教えようと思ってさぁ」
「……イイ事?」
彼はベッドから降りて跪くと、クールな笑みを浮かべながら私の瞳をじっと見つめる。
レイラの端麗というか瀟洒な雰囲気には多少劣るが彼は彼で十分妖美であった。彼の瞳は闇の色。ここに星屑達を散りばめることが出来たのならどれだけ美しいか。漆黒の瞳に吸い込まれた私はもう溺れそう。胸がきゅっと苦しくなる。
彼は包帯でぐるぐる巻きの私の手にちゅっとキスをして私をベッドから立たせた。
不思議と恥ずかしくならないキスだった。
彼はそのまま私の手の取ると手慣れた様子でエスコートした。そして連れられたのは私達が出会った場所、そう、あのバルコニーだった。
「な……何? わ、私外は――」
「君、外の世界知らなかったんだよね?」
昔の思い出が幾つもの情景になって浮かび上がる。知らなかった、そう、私は本当に何も知らなかった。
「だって叔父さんが出ちゃ駄目って言ってたもん」
彼は私の顎をくいっと持ち上げて笑った。
顔が一気に赤くなったのが恥ずかしい。彼は面白かったのか、からかうように更に顔を耳元に寄せる。それから私の黒髪を耳に掛けて優しく囁いた。
「ドキドキしてる?」
どうして見目麗しい人が近寄るとこんなに胸がドキドキするのかな? アリシアだったら大丈夫なのに……。
「多分……」
「あっは、でも世界はね、もっとドキドキすることが沢山あるよ?」
「でも外は私には広すぎるの!」
私は彼の体を押し退けて後ずさった。自然と体が震え始める。果てしない、終わりの見えない世界ほど怖いものはないのだ。
「何が……何が言いたいの?」
「じゃあ君こそ何がしたいの? 思わず汚したくなっちゃうくらいその純真な心を持って何の為にここに来たの?」
私は――。何の為――? 何の為って何? あぁ、そうだ、だから私は外に飛び出したんだ。
「私は、生きたいの」
そう言うと彼は片眉をくいっと上げてにやりと笑った。
「それから?」
「知りたいの、叔父さんの行方、私の過去や生い立ち、そして世界」
そう、探さなきゃ、叔父さんを。だって大好きなんだもん。
そう、見つめなきゃ、自分を。だって無くした物を取り戻したいから。
でも違う。本当は――。
「いいえ、違うわ。本当は衝動。あの人が本当に私を救ってくれたから。あの人の瞳が真剣で優しくて、寂しそうだったから」
「それは――紅茶色?」
私は一度だけ頷いた。
あの人の瞳は嘘をつくような瞳じゃなかった。それから、何かを失ったかのように悲しい色が差されていたから。
「やっぱり君って子は……」
彼は私の痩せた肩を優しく撫でた、まるで私を労うかのように。その横顔は寂しげで疲れているようだった。
「世界は俺達にも分からないことばかりだ。でも、それが例え奇跡だとしても、何かを信じないと、生きていけないじゃん、こんなちっぽけな俺達はさ」
「そう……ね」
「だから皆で真実を探しにいくんだ。――世界は奇跡と真実の集まりなんだよ」
そう言って彼は私をバルコニーの外に向かせた。
そこにはじりじりと水平線から昇る煌めく奇跡が満ちていた。
薄紫色の空のお洋服を着た太陽は山のベッドから起き上がり、おはようだなんて言いながらゆっくりとこちらを向く。
「キレイでしょ?」
私は話す言葉も無くただただ朝日を見つめる。
「私、本当は昔から外に出たかった。本ばかり読んで知識だけが増えていく。恋って何? 愛って何? 親って何? 友達って何? 未来って何? いつも疑問を抱えてた。でも聞けなかった。屋敷を飛び出せば何かに出会えると思ってたけど、叔父さんの前ではいい子でいたかったの。叔父さんを傷つけたくなかったの。でも……」
「君は深い青薔薇の中にしかいなかったからね。でもこれからが君のための物語。君の人生はここから始まるんだ。だから――信じてみて。俺達は君を支える為の人間で、君は世界を変える為の人間であることを」
「世界を……変える?」
「そう。君だけが俺達だけの愛しい青薔薇姫。世界を救う、俺達の過去を救うたった一人の聖女様さ」
そう言うと彼は再びバルコニーの柵に乗って立ち上がった。
「あのっ、ちょ」
「クロウ。呼び捨てでいいよ。以後お見知り置きを、フツキ姫様」
「クロウ、どこに行くの?」
「大丈夫、すぐに戻るよ」
クロウが何処かに行くのは寂しい気がした。ちょっとでも長く居たいと思った。
いつの間にかこの人の不思議な魅力の虜になっていたようだ。寂しいけど……我が儘を言いたくない。
「分かったわ。クロウ、ありがとう。……いってらっしゃい、気をつけてね!」
彼は一瞬びっくりしてたようだったけど、小さくありがとう、と呟いて、私の髪を一度撫でた。
途端に突風が葉っぱを巻き上げながら襲いかかってきて私は目を瞑り、腕で顔を隠した。
暗闇の中静かに風が収まり、顔を上げた時には彼の香水のシトラスだけが香っていて、既に彼はいなかった。
「世界を変える……か」
頭の中は疑問符だらけ。だってついこの間やっと外に出たばかりなのに世界を変える? 隠された魔力を持っている青薔薇姫? 未だに信じられない。
「綺麗な朝日……」
気付かなかったけど、私は自然の雄大さだったり美しさに感動する余裕が出来ていた。
クロウのお陰、かな。さりげなく外に連れ出してこうして世界の素晴らしさを教えてくれたんだ。ありがとう、クロウ。
でもここも一応屋内だからなぁ……。やっぱり外を一人で歩くのはちょっと怖いかも。
空が明るくなってきたしそろそろ戻ろう。
私は部屋に入り、食堂へ足を急がせた。そして勢い良くドアを開ける。
「アリシアごめ……」
ゴッ!
……。ゴッ……?
嫌な予感がして恐る恐るドアの向こう側を覗いてみた。
そこにはその場でしゃがみこんでいる金髪の女の子――。
「アリシア!」
アリシアは顔を伏せ、額を長い指で押さえていた。
「ごっごめんなさい! 私、向こう側にアリシアがいるだなんて気が付かなくって!」
アリシアは真ん丸でキラキラした目を更にうるうるさせて、上目遣いで見上げた。
かっ……可愛い……。でも余計に罪悪感に苛まれるよ……。
「いいんです! 偶然がたまたま事故に繋がってしまっただけですしっ!」
そう、アリシアがドアを引いたと同時に私が反対側からドアを押したからこんな事になってしまったのだ。
「ほっんとにごめんなさい。い……痛かったでしょ……?」
アリシアは涙目でやんわり笑う。
「大丈夫。それより貴女がいないから心配したの。さ、服を着替えて朝食食べましょう」
彼女は私を手招いて脱衣場に越させた。
「ここに来る患者さん達はアリシアがいなくなったらどうなるの?」
「私の代わりに新しい医者が来ますもの。それにここは小さな村で人があまり来ないから心配しなくても大丈夫ですよ」
「まだ若いのに偉いね、私には絶対に無理だなぁ」
「いえいえ、私は医学しか出来ませんから。これ私の服なので姫様には小さいと思うけど少し我慢して下さいね」
ご丁寧にアリシアに洋服を着せてもらい、三角巾を直してもらった。まだ左腕は使わない方がいいらしい。
真っ白のベアトップのワンピースはちょっと小さいけど動くのが窮屈なほどではなかった。コルセット風で胸元にはリボン、裾には小さくフリルあしらわれていて可愛らしい服だった。丈が短いのは気になるけどそもそもアリシアは150センチ程で私は160センチは越えてるからざっと10センチ差だ。仕方ない。服を貸してもらえるだけで有難いから文句などは全然なかった。
それから二人で食卓についた。食卓にはロールパンとサラダと温かいクラムチャウダーに果物が用意してあって美味しそうなものばかり。
「食べれるだけでいいから食べて下さいね」
「ありがとう、いただきます」
久々の食事だった。私が食べやすそうなものを用意してくれていたみたいだ。何から何まで本当に有難い。一口スープを啜ると予想通りクリーミーですごく絶品だった。
私はふと映像がめくるめくる映る黒い重々しい箱に目がいった。
「これなぁに?」
「フォブですよ」
「初めて見たわ」
「これフォブっていって例えば今ついてるようなニュースを流したり、映像で人々を楽しませたりするんです。簡単に言うと人々が情報を知る手段の一つですね。私のデスクの上に置いてある薄いやつもそう。ここシニマラハ国は科学には強くありませんから科学が非常に発達しているセヒジス国からの輸入品です。でもほとんどの家庭で愛用されていますよ」
アリシアのデスクはあまりよく見たことはないけれど銀色だった気がする。モニターと薄っぺらいタイプライターみたいなのがついていて側には手のひらサイズの空豆型の物体が置いてあった。
……すごい。だってどう見たって百科事典より薄っぺらいもん。あれが百科事典より情報をたくさん流すなんて、世界では……一体何が起きているのだろう。
「ここシニマラハ国は平穏な国ですわ。自然も多くて治安も良好。国王様も立派な方ですよ」
「シニマラハ国に私が住んでいた屋敷はあるの?」
「いいえ。青薔薇屋敷は東の隣国エスティーナ国の郊外にありますわ。比較的シニマラハ国から近い所です。エスティーナ国は魔獣が出やすいのも影響して、非常に軍事力が強い国ですよ」
「そうなの……」
「実はレイラとクロウさんが帰ってきたら、エスティーナ国、つまり青薔薇屋敷に向かいます」
フォークで刺そうとしたプチトマトがお皿の端に飛び、底にフォークが直撃した。耳をつんざくような嫌な音が響いて思わず顔をしかめる。
「今なんて?」
「直に青薔薇屋敷に向かいます」
「どうして?」
嬉しさ半分悲しさ半分。私の実家と言えど、あんな辛い思いをしたのだ。しばらく見たくなかった。
「叔父さん絶対に居ないのにな……」
「どうしてそうおっしゃるの?」
「うーん、第六感かな。何となくだけどきっとそうよ?」
「……貴女様は青薔薇姫ですものね」
どういう意味だろうか?
少し遠くを見つめるアリシアに私は小さく首を傾げた。
「実は探してた物があるんです、貴女のお屋敷に。だから皆で取りに行くの」
「探し物って?」
「それは……」
アリシアはパンをちぎって口ごもった。気まずそうに目をそらす。
「大事なものなの?」
「えぇ、とっても」
「怖くない?」
「少しだけ怖いですわ。でも、大丈夫」
「もしかしてレイラから口止めされてる?」
アリシアは苦笑いして、首を縦に振った。
「はい。実はレイラだけでなくクロウさんからも」
皆だけで秘密を共有するなんてずるいわ。私だって仲間に入れて欲しいのに。
「フツキ姫様、レイラもクロウさんも貴女のことを心配なさっているんですよ。ちょっぴり危険なんです、今回の探し物は。何かあってからじゃ遅いから貴女を護るための秘密。だからそんなに口唇を尖らせないで。綺麗なお顔が台無しですわ」
「アリシアの方が可愛いわ」
そう言うと何が面白かったのかアリシアは声を出して笑った。
「まぁ、姫様は十分綺麗ですよ! 童顔の私からしたら羨ましい限りですわ。私の方がお姉さんなのに」
「え?」
「姫様、今十五でしょ? 私は十六ですもの」
アリシアはどう見ても、どう頑張っても、私と同い年にしか見えない。私が大人びている可能性もあるかもしれないけど、少なくとも一昔前の私より幼い顔つきだ。それに体つきも……。
「ごめんね、年下だと思ってた」
「うふふ、そう言われるのは慣れっこですわ。だから姫様が羨ましいんです、私。少しくるってしてるおしゃれな黒髪に雪みたいに白い肌、姫林檎みたいな赤くて小さな口唇に青薔薇を溶かして作った硝子玉のような瞳、物凄く艶やかですもの」
「そうかなぁ。やっぱりアリシアの方が可愛いわ。キラキラしてて明るくて可愛い笑顔は私には出来ないもの」
「姫様は肉付きが良くなれば今よりもっと可憐になりますわ。だからたくさん食べて下さい」
「うん」
ちょっとは自信持っていいのかな。叔父さんはいつだって私を綺麗だって言うから信用してなかったんだけど。
私はカットメロンをフォークで刺し大口を開けて頬張った。アリシアはスープを一口啜ると懐かしむように私を見つめて、口を開いた。
「姫様、覚えておいて下さい。レイラは何時でも、何処でも、何時までも、永遠に、貴女を護ります。彼の愛は天よりも高く深海のよりも深い。例え、姫様が――」
それを遮るかのようにある一つのニュースが私達の耳に飛び込んだ。
『次のニュースです。先程、エスティーナ国郊外において、銃で撃たれたり、刃物で切られた軍人十七名が魔法で拘束された状態で発見されました』
映し出されたのは私とレイラが出会ったあの滝壺と少し血濡れた叢。
『全員負傷、うち六名が意識不明の重体だそうで、全員が襲われた記憶が無いという奇怪なことが起きているそうです。エスティーナ国軍は軍人の回復次第、事件の詳細を調査するとのことです』
嫌な予感――。
「レイラって銃や魔法や刃物使える?」
「えぇ……」
アリシアは引きつりながらひたすらパンをちぎっていた。粉がいっぱい床にこぼれているんだけど言った方がいいのかな……。
それにしてもレイラ恐るべし。私を気絶させて十七人も一人で相手したの? しかも軍人を?
急にアリシアは立ち上がり小さな長方形の物体を手に取ると赤い大きめのボタンを押した。するとプツンという音と共にフォブのモニターは何も映し出さなくなった。
え、何事? ……これが遠隔操作ってやつ?
「大変なことになりました、急がなければなりませんわ。軍隊の追っ手が来るかもしれません。レイラはもう……やりすぎなんだから!」
アリシアはパンを頬張り、スープを一気に飲み干すと空いたお皿を全てキッチンへ持っていきスポンジで手早く洗った。私も急いでオレンジや林檎を詰め込み、お皿を持っていく。
遠隔操作の件については今は保留にしておこう、聞ける雰囲気じゃない。
「ご馳走様でした。アリシア、手伝わせて」
「いえ、もう終わりますから。馬車が来たようですわ。これを被せて、はい、大事な物」
いつの間にか大きな荷物を持ったアリシアは私の肩にラメ入りの桜色のストールを被せると銃の入った木箱を手渡した。
外から動物が鳴く声がする。レイラ達が何かに乗ってきたのかな。あの鳴き声は確か……馬?
「長旅になりますわ。皆帰る場所はないけれど、進む道は確かにあるのですから」
私は頷くとアリシアと笑い合って手をつないだ。
そうレイラもアリシアもクロウも私も今は帰る場所なんてないのだ。朝日が照らす方向に進めばいい。今はきっと、それが私達の進む道――。
外に出ると思っていたよりは涼しかった。朝日は眩しくて、煌めいている。奇跡――、私にとってそれは正しく奇跡だった。
最後に一度振りかえる。
短い間だったけれどありがとう、アリシアの診療所さん。
ベージュ色の壁に質素な立て看板、茶色の屋根には二羽の小鳥が止まっていた。それはまるで私達を見送るかのように囀ずっていたのだった。
心の中で十分にお別れを告げてやっと私は前を向いた。
「あれ?」
「どうしました?」
「あの茶色い動物……もしかして馬?」
「えぇ、そ――」
「馬だぁっ!」
私は挿し絵でしか見たことない動物を見て胸が踊るような気分になった。茶色い毛並み、私よりもとても大きくて、大きな瞳はつぶらだ。
「可愛い!」
私は駆けて、ぎゅっと馬に抱きつくと、馬は何も言わず黙って前を向いていた。野生を彷彿させる臭いは決していい香りではなかったけれど、この愛らしさの前ではどうでも良かった。
「アリシア! 私馬に乗りたい」
「いや、無理でしょ姫様」
「だって昔のお伽噺話でも皆馬に乗ってるわ?」
「これは馬車ですもの! 私達は後ろの荷台で」
「でも……」
「じゃあ腕が治ったら、僕と一緒に馬に乗って散歩に行きませんか?」
聞き覚えのある優しい声色に胸が高鳴って、思わず振り返る。
「レイラ! おかえりなさい!」
優しい紅茶色の双眸が私を捉え、三日月型を描いた。
「ただいま。元気そうで何よりです」
彼はゆっくりと手を差し出すと、小首を傾げて私を見つめる。
「今度馬に乗って何処か一緒に出掛けましょう。だから今日は馬は我慢して下さいますか、お姫様?」
「約束ね」
「はい、もちろん」
私はその手に自分の右手を乗せて、皆で声を出して笑いあった。
大丈夫。皆がいれば、怖くない。広い世界を共に歩く仲間がいるから。どれだけ終わりがなくても、きっと、きっと辛くない。
何かが始まり何かが終わる瞬間ね。
この旅はきっと何かの警鐘。
恐ろしく凍てついてしまいそうな何かの開幕。
気付いてる?
いいえ、気付いてない。
いいえ、気付かせないで。
今はまだ気付きたくなんかないの。
青薔薇が朽ち果て醜くなるまでは。
だからせめてこのままで。
私らしく自分であるがままに――。
【クロウ】
主要キャラの一人。黒薔薇の従者。十九歳。飄々とした性格で掴み所がなく変態(のフリ?)。口癖は「あっは」で様々な笑みを浮かべる。はね気味黒髪に切れ長の黒目。青薔薇のついたシルクハットに黒タートルネックと黒ズボンに黒い羽と黒いチェックのストールを重ねて腰に巻くという本当に全身黒ずくめな人。魔法を操れるが、ある程度本気出すと大鎌で戦う。自称レイラとは古くからの親友。何かとレイラの弱みを握っている。