プロローグ
はじめまして、藤咲魅蘭と申します。通称セプリ、処女作のため至らない点は多々ありますが、私自身が愛情をもって、沢山の方から愛される作品に仕上げていきたいと思います。感想やお気に入り登録是非待っています。では一人の少女とその従者達の甘く、切ない物語の始まりです。
――今日も叔父さんは帰って来なかった。
古びたベッドに腰掛け、青薔薇がびっしり蔓延る窓から外を覗く。そんな毎日の繰り返し。
青薔薇の向こう側はぼんやりと月が浮かび、もうすぐ一日も終わろうとしていた。
私は外の世界を知らない。
この青薔薇の中だけが私の居場所なのだと叔父さんが言っていたから。
外も昔の記憶も自分の生い立ちも何も知らないけど、ずっと一緒に過ごしてきた青薔薇だけは私の唯一のお友達。
だから黒檀のような髪が蔓に絡んでも、白魚のような指が棘で傷ついても決して邪魔なんて思ったことはなかった。
「今夜は月が綺麗」
私の呟きを聞いた青白い三日月がちらりとこちらを見た気がした。それは確かに『死にたい』と叫ぶ私の中のワタシだった。
膝の上にある木箱にそっと触れる。
それはいつかの叔父さんが外に出てはいけない私の為に残してくれた物。でも一度も開けたことはなかった。
『もし僕がいなくなったり、本当に辛くて必要な時に、この箱を開けなさい。誰にも渡してはいけないからね。深月と僕の秘密の宝箱だよ』と言って私にくれた物だから。
そんなに大切な物なの、開けたいけど……でも叔父さんとずっと一緒だから約束を破る心配はないわね、と言った幼い頃の私に叔父さんはゆっくりうなずいたっけ。
ねぇ、どうして帰ってこないの。何処に行っちゃったの。外は怖いから、危ないから、叔父さんが出ちゃ駄目って言ったから、ずっとここで待ってるのに。
「芳也叔父さん……」
私の心も体も、静かに悲鳴をあげていた。たった一人の大事な人を無くした私には何もなくて、たった一つの選択肢だけが残されていた。涙も枯れて、笑みも怒りも何もかも忘れてしまった私はどうする?
私を蝕むのはインクよりも黒い感情、そこに少し悲しみの青い心を添えて。
私はゆっくり木箱に手をかけた。意外とずっしりとした重量、揺さぶっても音はなくて、緩まった留め金がカチャカチャと煩く鳴っただけだった。
息を呑む。手はわずかに汗ばんでいた。口の中が乾いて、苦くなって、心臓の音が嫌に響く。
まだそんな感情など残っていたのか。そう思うと少し笑えた。とても乾いた笑いだった。
「馬鹿みたい」
何がそうなのか分からない。生ぬるい雫がいくつかぽたっと手の甲に落ちたけど汗か涙か分からなかった。何も知りたくなかった。知らなきゃならない気もしたけど、どうでもいい気もした。
目を閉じて、手探りで木箱に触れる。木目に逆らって指をそっと伝わせたら、爪が引っ掛かってすぐ目を開けてしまった。躊躇う必要なんてないわ、と再び自分に言い聞かせる。
ひんやりとした鈍色の留め金に爪をかけた。冷たい手触り。留め金を上向きに外すと静かな部屋にパチン、と解き放たれた音が響いた。
あとは蓋を開けるだけだ。
箱を開けようと蓋に手をかけたその時、突然揺れが襲いかかってきて思わず身を縮める。
凄まじい銃声と犬の鳴き声がすると更に激しく家が揺れ動いた。
な……に? 誰なの?
振動で散った青薔薇の花弁が何片も私のネグリジェの上に舞い落ちている。
外を覗かなきゃ、でも体は言うことを聞かない。恐怖が私を支配していた。息をするのさえ苦しくなって小さな呻き声が漏れる。
――だめよ、逃げなきゃ。
素直にそう思った。下の階ではけたたましい破壊音が響いていて、大勢に侵入されたのが嫌でも勝手に分かってしまう。
私が狙われている、そんな確信はなかった。どこの誰がどうしてここにやって来たのか意味が分からなかった。でも本能が私に「逃げろ」という危険信号を送り続けている。
死にたいんでしょう。何故怖がるの? このまま待っていたら簡単に楽になれるかもしれないわよ。
でも……、でも?
「……こ、わい、よ」
自分でも聞き取れないくらい小さな声だった。ふるふると震えて、涙と一緒に零れ落ちる言の葉。
誰にも知られたくなかった気持ち。隠していたかった心。怖いと言って遠ざけていたものは、本当は得たかったものだ。どこかで分かっていたはずなのに。
このまま死ぬ運命なのかもしれない、でもやっぱり私――。
私はベッドの上で窓を覆う青薔薇の蔓を掻き分けた。青臭い匂いが鼻につく中、青薔薇の芳香が時折漂う。いくら蔓を毟ってもなかなか外は見えなくて、気付くと手には細かい切り傷がたくさん出来ていた。息をするのも忘れてひたすら蔓を毟ったけど痛みなんてなかった。
これは多分私が自分で生み出した檻なんだ、私にしか解けない呪縛なんだ。何もかもを受け付けないで、世界をひたすら押し潰して、自分が色んなことを求めていたのさえ知らない振りをして創り上げていたんだ。
叔父さんを傷付けることはしたくなかったの。
でも本当は私、生きていたかったの。
でも本当は私、外に行きたかったの。
「出して……、お願い、出して!」
いつの間にかすぐ傍まで音が迫っていた。が、渾身の力でぐっと蔓を引っ張ると、突然先程までの青々しさが嘘みたくに消えて、魔法で枯らされたようにパキパキと音を立てながら粉々になってしまった。
何事……?
だが今はそんなことを気にしている場合でない。
これが私の選択、後悔なんてないわ。
背後でドアが破られる音がしたと同時に私は大きく口を開けた窓から身をのりだし、飛び降りた――。
†
「痛っ……!」
鈍い音が耳元で響いたのは気のせいではなかった。打ち所が悪かった左肩が動かなくなってる。もしかすると折れているかもしれない。頭も打ったせいか吐き気がして背筋に悪寒が走る。足の切り傷はそこまで大したことはないようだ。今回は草花のクッションがあったから良かったもののこれがただの地面だったら、と思うと身震いした。
真夜中の暗さに目が慣れて改めて辺りを見渡してみる。
"外"という世界はとてつもなく広かった、それこそ怖いくらいに。
森の木はずっと高くから私を見下ろしていて、月は私を嘲笑っているかのよう。生ぬるい風は身体中にまとわりついて離れてくれないし、木々の隙間をぬう地平線に終わりを見つけることは出来ない。
世界は想像を絶する無極さを揮い、私に襲いかかろうとしていた。
怖い――。こんなにも広い世界で私は何処へ行けばいいの?
思わず顔を伏せようとすると指先に何かが触れた。
「あ……」
それは飛び降りた時に唯一もって出た木箱、ではなくその中身だった。落ちた勢いで飛び出してしまったようだ。私はそれを手に取りじっと見入る。そしてひびが入ってしまった木箱に再び戻した。
今の私には必要はないものだ。でも叔父さんがくれた大事な物。大きな木箱を持ち上げて、しっかりと抱き締める。
私は何の為にここに来たの? 止まっていていいの? だって一番怖いのは――。
刹那、犬の咆哮が近くで聞こえてきて、ふと我に返る。のんびりしている場合じゃない。身体中の痛みを堪えてゆっくり立ち上がり、土埃を払った。
私をどうしたいのよ。
心の中で叫んでみたけれど木霊みたいに自分に返ってきただけで虚しさに蝕まれただけだった。
ともかくどこかへ行こう、怖がってなんかいられない。
今止まったらきっと私は私でなくなる――。そんな気がして。
一歩踏み出す。行く当てもないまま。
大丈夫。まだ私は進める。
何かから解き放たれたかのように、私は一気に駆け出した。運動なんてしていなかった私の体は言うことを聞かない。何度も何度も転んで擦り剥く度に真っ赤な血が垂れたがそんな事構っていられる状況ではない。
鬱蒼と茂る森は不気味な表情で私の進んだ道を次々と呑み込んでいく。耳元で響くのは風を裂く音と自分の荒い吐息だけ。足が地面についている感覚が薄れてきて、暑いのか寒いのかさえよく分からなくなっていた。
その時、獣道が急に広く開けて周りの木の数が減り始めた。
森の出口だ!
少しばかり開けた空が木々の網目から覗いた。月明かりに照らされた出口はもうすぐそこだ。
私は一気に走るスピードを上げる。
あと数メートル。あそこまで行けば、私は――。
そう思った途端、爪先にぶつけたような痛みが走り、体が宙に浮いた。眼前にせまる地面。受け身など取る暇もなく私の体は思い切り――。
「あっ……うぁあぁぁ!」
地面に叩き付けられ、重症である左肩を強打した。言葉に出来ないほどの鋭い痛みが襲いかかり、滝のように身体中から脂汗が流れ落ちた。
気付かれたかも、どうしよう、早く行かなきゃ。
「$¥※◎▼△!」
そう思った途端、軍服の男達がこちらに駆けてきた。私は痛みに耐えながら、直ぐ様彼らに背を向けて走り出す。
早く早く早く! 動いて、お願い!
汗が一筋、二筋と流れ落ち、目に入ってしみる。腕も満足に振れなくて、よろめきながらも足だけは必死に動かす。
もうすぐ。もうすぐだから……頑張って私!
私は森を抜ける最後の一歩を踏み出した。
「えっ」
う……そでしょ。開けた出口のその先――目の前に広がったのは崖、そこから冷たい水飛沫をあげながら流れ落ちる滝。崖下では滝壺の水面に三日月が揺らめいていて、天と地が逆転しているみたいだった。
もうこれ以上進めない。聞き取りづらい言葉を話す男達の声と犬の鳴き声が聞こえる。振り返るとあと数十メートルの所に彼らはいた。
「∴※$★○!」
もう動けない……。全身が痛み、吐き気が私に襲いかかる。
死ぬ運命なのかな、私。死ぬなら、やっぱりお家で死なせてほしかったかも。
いつしか『生きたい』という欲望で私の頭の中は一杯だった。
私はそっと箱に目を落とす。走馬灯が駆け巡る。いつも優しく抱きしめてくれる叔父さんが大好きだった。愛をたくさんくれた人だった。数日間家を空けると言って出たのに、ずっと帰ってこなかった叔父さん。探しにも行かず、言い付けを言い訳にして甘えてたかな。
ごめんね、叔父さん。こんな私でごめんなさい。
私は意を決して目を閉じる。
どうせ死ぬなら――。
私はまるで死人が息を引き取るかのように体から力を抜いた。それは思っていたよりすごく楽。体の重心が後ろに傾き、崖の下へ、滝の中へ落ちていく。
そうやって私は最後に、慌てふためいている軍人達を見送った。
堕ちる、堕ちる……。
これは夢?
そう、堕ちる夢。
果てのない暗闇に真っ逆さまに堕ちる夢。
何かが触れて私は目を開けた。
叔父さん……?
そこには優しい叔父さんの顔があった。
「私を迎えに来てくれたの?」
叔父さんはふっと柔らかく笑うと、少し骨ばった大きな手で堕ちる私の顔をそっと包んだ。
あぁ、やっぱり私を迎えに来たのね。叔父さん、貴方は死んでいるの?
その時、堕ちる私の上から硝子細工の幾輪もの青薔薇が淡い光を発しながら、ゆっくりと速度を落とし舞い降りてきた。今にも溶け出しそうな青色はどことなく私の瞳の色に似ていて、家を覆ったあの青薔薇にも似ていた。
「綺麗……」
一輪手に取ろうとした刹那、私の回りで全てが静止する。
「深月――」
叔父さんに呼ばれた途端、青薔薇達は砕け散って赤い血滴に変わった。
それから目の前の叔父さんは見たことないような気味悪い笑みを浮かべると、一瞬にして顔の皮膚がズルッと剥がれ落ち、肉と骨が剥き出しの"決してヒトではないモノ"に成り果てた。
肉が引きちぎられる不快な水音と骨が砕ける乾いた音が耳に付く。崩れていくモノ。塊。
こんなの叔父さんじゃない――。
それからドロドロで細かくなった肉片は一斉に飛び散った。
辺り一面が赤く濁った霧に覆われたおぞましい光景。体がどんどん血で、肉で濡れて湿っていく。
「叔父さん――!」
涙が止まらなくなる。怖くて、不安で、叔父さんの末路を見た気がして、自分もこうなる気がして。
「助けて! いやいやいやっ、いやぁぁぁっ」
私の体は加速度を増して真っ暗闇の中を堕ちていったけれど、見えないはずの底から光が漏れているような気がした。真っ白くて、きらきらしている眩しい光。目を閉じたけど、その光は余計輝いているように感じられた。
なんだろう、と思ったけど疲労からか瞼が閉じていくのを我慢できなくなって、だんだん意識を手放していく。
何かが、誰かがきっと私を優しく迎えてくれる、そんな気がして私はただひたすら堕ちていった――。
【フツキ】
当物語の主人公つまり青薔薇姫。本当は深月と書くけど他の登場人物に合わせて基本カタカナ表記。黒い長髪で下の方だけ巻き気味の天然パーマ。前髪はぱっつん気味で向かって左側で分けてます(ここ大事)。綺麗な青色の瞳。白い肌に赤い口唇。本人は意識していないがそれなりに優艶な美少女。性格は基本大人しく、素直さとピュアさだけが取り柄ではあるがいざというときの行動力と魔力はすごい。そしてすごくマイペース。ちなみに十五歳。小さい頃の記憶は全く無いけど父母代わりに育ててくれた叔父を慕っている。趣味は読書だったり。