サイテーな男
――俺は、ウジ虫だった。
ジャンとして生まれた時の俺の頭にあったのは、そんな言葉だった。
ウジ虫でクソ野郎で、最低の男だった。
俺は、そんな自分を変えたかった。
我ながら、異常な子供だったと思う。
でも、”ジャン”の両親はそういった差異を気にするタイプじゃなかった。
大らか……というんだろうか?
おおざっぱという方が正しいような、だけど、懐の大きい人達だった。
ハルトの両親は、そうじゃなかった。
仕事に夢中な父親と、繊細な母親。
優しい母だった。
厳しいけど、褒める所は褒めてくれる父だった。
それでも、どこか空気が薄いような家庭だった。
大声で笑ったら、窒息してしまいそうな。
トーコと出会って、恋愛対象外だったのをどうにか乗り越えてつき合うようになって、俺はようやく気兼ねなく笑えるようになった。
彼女の周りは、酸素で溢れていたから。
俺にとってはトーコしかいなかったけど、なんでか周りはそう思わなかったようで、トーコがいるのに見合いを勧められたり、トーコがいるのに割り込んでくるような女性がいた。
……ユリさんもそうだった。
あの日は、トーコの葬式だった。
警察は容疑者を教えてくれず、俺とトーコの家族は、有り体に言っても絶望のどん底にいた。
「どうしてトーコが、こんな、何回も……っ」
恋人とは言っても、他人の俺には、遺体は見せてもらえなかった。
でも、トーコの家族は、何回も刺された遺体を目にしていた。
トーコの棺桶を何度も振り返り、虚ろな目でおばさんが幾度も繰り返していた。
いつもは温厚なおじさんは、ずっと硬く拳を握りしめていた。
時々、痙攣するように拳が震えていた。
おじさんは、一言も喋らなかった。
時折、じっと壁を見つめて拳を震わせる。
ただ、そんな姿を見せるだけで。
お兄さんは――そう言うと、『俺はお前の兄さんじゃないっ!リア充どっか行け!』と言っていたお兄さんは、
「――殺す。絶対、殺す」
と、会場のパイプ椅子に座り込んで、顔を俯けて、両手を握りしめて呟き続けていた。
お姉さんは、涙で赤く腫れた目元のまま、気丈に葬式を仕切っていた。
「――しっかりしないと。
……私くらい、しっかりしてないと……」
時々、お姉さんの目が涙で潤んだ。
震える口元で、
「ご参列いただいて……」
と、来てくれたトーコの友達に頭を下げていた。
俺は、お姉さんの斜め後ろに立っていた。
おじさんもおばさんもお兄さんも、とても参列客の相手をできるような精神状態ではなかったから、少しでも手伝いたいと思ったのだ。
俺自身は、トーコの遺体を見ても眠っているようにしか見えず、どうしてもまだ現実にいるような気がしないままだった。
トーコの友達が泣いていて、トーコの家族も泣いていて……俺には、それがどうしても現実には思えなかった。
ただ、機械的にお姉さんの手伝いをしていただけだった。
会場がざわめいて、俺は顔を上げた。
喪服の群れの中で、純白のワンピースが翻っていた。
ご丁寧にベールまでかぶったその女性を、俺は知っているはずだったけれど、まるで知らない誰かに見えていた。
「――ハルトさん、こんな所にいらしたの」
フワフワと浮ついた、トーンの高い声が俺に近寄ってきてまとわりついた。
「もう、お式が始まってしまうわ?
分からず屋の女はいなくなったんだから、さぁ早く結婚しましょう?」
俺は、突っ立っていた。
思考が、全く働いていなかった。
「――あなた、どちら様ですか?
トーコのお知り合いですか?
この場に相応しくない方は、どうぞお帰りください」
お姉さんの、憤りを隠した声だけが響いた。
「……うるさい女ね。
あの女の家族?邪魔しないでくださる?
それともあなたも死にたいの?
あの女みたいに?
私だって血は苦手なの。
あんなこともうしたくないのに、迷惑なのよっ」
そう吐き捨てた後、その女性――ユリさんは、手に持った鞄から包丁を出してきた。
俺は、それが何を意味するのか分かってなかったのに、体は勝手に動いていた。
何か叫びながら駆け寄ってくるユリさんが、やけにスローモーションで見えた。
俺の腹を割いたユリさんは、聞き間違いでなければお兄さんに殴り倒されていたようだった。
あんな、『リア充に俺の気持ちが分かってたまるかぁっ!』と背中を丸めていたお兄さんが、
「お前かっ?!
お前がトーコにあんなことしたのかよっ?!
そんでハルトまで……っ!」
と涙声で怒鳴りながら凶器を持った女性に殴りかかっていて、お姉さんは半狂乱で俺の名前を呼んでいて。
俺は、呆然としたまま意識を閉じていった。
くっそ情けねぇ。
ウジ虫でカスだった。
トーコを殺した相手に復讐するどころか、あっさり殺されて、はいお終いなんて。
そもそもトーコが殺されたのも俺のせいだった。
何回も告白を断ったけど、あの人があんなことするなんて――そもそも、自分の知り合いがそんな凶行に及ぶなんて考えもしてなかった。
何が最善だったのか、俺がどう振る舞っていればトーコは殺されなかったのか、ちっこい子供に生まれ変わった頭で考えるようなガキだったけど、そんな俺を両親は”子供らしく”育ててくれた。
「辛気くさい顔で家におられても困るわ。
さ、外行ってキノコでも採ってき!」
とか、
「おっ前……賢いな。
父ちゃんでもそんな計算でけへんぞ。
……な、ほならこのへそくり、あとどんだけ貯めたら100ビルになる?」
とか。
精神は体に引っ張られるって言うけどまさにそれで、俺は子供時代をやり直していた。
いたずらをすると悲しい顔をするハルトの母。
いたずらをすると脳天に拳骨食らわしてくるジャンの母。
大きな口を開けて笑う母に、気づけば拳骨に呻いていた俺も笑っていた。
そんな、大事な家族を盗賊に奪われて、決意したことがある。
強くなってやる。
もう俺の大事な人を誰にも奪われたりしない。
俺の大事な人間を踏みにじろうとする奴らを、踏みにじって潰してやる。
これもまぁ、長ずるにつれ『思春期かよ俺……』と思うような決意ではあったが、原型はずっと俺の中に根付いたままだった。
せめて大事な人は守る。
そのための、力を手に入れる。
そう思って孤児院で体を鍛え始めた時、この世界の”異常”に俺は気づいたのだった。




