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ぼくの友だち

作者: 蕾華

 長い長い白い壁の廊下を進んでいくと目的地が見えてくる。引き戸を開けるとぼくの友だちがいる。


「こんにちは!」


 迎えてくれる君はいつも優しく微笑んで、嬉しそうに頭を撫でてくれる。


「今日も来てくれたんだね」

「うん。毎日会いに来るよ!」

「ありがとう」


 君は少しさびしそうに優しく微笑む。

 君はぼくにしか見えないのかな。ずーっと前から知っていたような気がする。とっても暖かい気持ちになれる。いつから友だちになったのかな。良く覚えていない。


「今日も暖かいね。お昼寝するでしょう?」

「うん!」


 ぼくはいつも君に膝枕をしてもらって暖かい日差しの中でお昼寝をする。君の膝は心地よくて、すぐに眠くなってしまう。もっと話していたいけど、今は側に居るのが嬉しい。


「ゆっくり、おやすみ」

「…おやすみ」


 君はゆっくり頭を撫でてくれる。子守唄も絵本も無いけれど、いつもぐっすりと眠ってしまう。明日も暖かいといいな。


「…起きたら居てくれる?」


 いつも起きると君はいない。どこに行ってしまうのだろう。探しても呼んでも見つからない。ぼくは眠いのを我慢して君に声を掛けてみる。

 頭を撫でていた手が止まる。

 ぼくは眠い目を擦りながら、起き上がる。


「どうしたの?」


 君は一点を見つめたまま動かない。まるで人形のように固まってしまっているようだった。


「どうしたの?!」


 ぼくは焦って君の身体を揺する。

 不意に君はぼくの顔を見て、ほっぺたに触れた。温かくて柔らかい手がぼくのほっぺたを包む。


「明日も会えるのではダメ?」


 ぼくの顔を見ながら呟いた君はとても、とても悲しそうに見えた。

 ぼくは何かいけないことをしてしまったのかもしれない。


「明日でいい! 明日会えればいいよ!」

「ありがとう」


 ぼくは君に抱きついて「ごめん」と繰り返し言った。君はただ黙ってぼくの頭を撫でてくれた。


「さあ、お休み」


 君はまたぼくに膝枕をしてくれる。暖かさも心地よさも変わらない。そして、また何かに吸い込まれるように眠くなる。


「おやすみ、また明日…ね」


 君はぼくが眠るのを確認するように顔を見ながら頭を撫でる。顔に当たる髪の毛が少しくすぐったいようだった。


「また明日…」


 窓からの差し込む夕日の明るさに目を覚ますとやっぱり君は居なかった。

 でも、明日会える。それが分かっているから、それでいい。一緒に遊ぶこともできないけれど、それでも君が大好きだから。

 ぼくは誰も居なくなり、夕焼け色に染まる部屋を後にした。


「また明日…ね」




-数ヶ月前-


 6年前、私に待望の赤ん坊が生まれた。かわいい男の子だ。私を見てにこりと笑ってくれる。お乳を与え、片時も離れず、夫が心配するほどにこれでもかと言うほどに愛情を注ぎ込んだ。

 ところが、私のかわいい子が私を見なくなってしまった。目でも見えなくなってしまったのかと思っていたけれど、夫のことはきちんと見ていた。それでも気になって病院に行くことにした。


「大変、申し上げにくいのですが…」

「はい」

「お子様はお母さんを認識できていません」


 よく理解できていなかった。私を「認識」できていない。認識という言葉すら理解できないような感覚さえあるようだった。


「認識? 私を認識できないということですか?」

「いえ、そうではありません。あなたではなく“母親”という存在を認識できていないというべきでしょうか」


 「母親」を「認識」できていない。焦りなどで頭が回っていないわけではなかった。それでも医師が何を伝えたいのか、さっぱり理解できていなかった。


「これは大変、珍しいケースなのですが…」


 医師の言葉が私の頭の中には何も入って来ず、隣で聞いていた夫が教えてくれた。医師が言うには、脳に異常は見受けられないが、ただ“母親”という存在が息子の中には全くなく“私”を認識することはできるけれど“母親”として“私”を認識することはできない、というものだった。つまり「ママ」や「お母さん」という言葉すら存在していないということだった。

 意味が分からず、理解ができない。

 今までずっと一緒に居たのに。


「じゃあ私は一生、息子にママともお母さんとも呼んで貰えないの?!」


 誰も責めることができない。私は夫にしがみついて叫ぶしかなかった。


「…わからない」

「どうすればいいのよ?!」

「…」


 夫と私はただただ泣くしかなかった。


「…私のことはわかるのよね。母親ではないけど」

「そのはずだよ」

「認識されなくても、あの子の側に居たい」

「お前、何を考えているんだ?」


 私はあることを決めた。

 “母親である”私を認識してもらえないのであれば“母親でない”私を認識してもらえばいい。

 それから、私と夫は病院にお願いをして、病室を空けてもらい、入院の手続きを行なった。“母親”を認識できないということ以外は健康体である、息子を入院させたくなかったので、私が入院することにした。病院側も珍しい症例のため、治療の研究も兼ねるというこで許可をしてくれた。

 私は夫の友人として改めて、息子と会うことになった。


「こんにちは」

「…こんにちは」


 夫の後ろに隠れて、モジモジとしながら私の顔を恐る恐る伺っているようだった。

 我が子が私を見てくれている。今すぐにでも抱きしめたい。


「ぼく、私とお友達になってくれないかな?」

「お友だち…?」

「そう、私ずっとここで一人だから寂しいの…。いいかな?」


 私は流行る気持ちを抑えて、一歩前に出れば小さな男の子でも届く距離で、息子と握手をするために手を伸ばす。


「…いいよ」


 息子は夫に背中を押されるように一歩前に出て、小さな手で私の手を握り返した。


「ありがとう」


 翌日から息子が私の病室を訪れるようになった。病室に来てはお昼寝をするばかりで、会話もほとんどない。そしてお昼寝から目を覚ますと私を認識しなくなる。初めての時はとても寂しかったけれど、医師が言うには認識をしていなくても母親に甘えているのかもしれないという見解だった。

 “母親”を認識すると私を認識できなくなる。嬉しいような、寂しいような、複雑な感じがしていた。


「いいのか? 本当にこのままで」

「…いいの」


 夫が私の肩に手を置きながら、心配そうに声をかけてくる。

 息子は私を認識していない。それでも会いたいから、触れていたいから。


「治るかしら」

「分からない。でもいつか治るさ」

「…そうね」


 いつか私を母と「ママ」と呼んでくれる日をずっと待つと決めた日から、私は息子の友達になった。


「もしもだけどさ…」

「ん?」


 夫は少し照れくさそうに左手の人差し指で鼻の頭を搔きながら、私の左手を両手で包み込むように握った。


「もしこれから先、あの子がお前を認識できなかったとしても、また俺と結婚してくれないか?」

「あなた…」

「あの子の母親はお前だから」

「うん、ありがとう」


 夫と私の左薬指の指輪は外していた。また指輪をする日が来るかもしれない。


「明日も暖かいといいね」


 夕焼け色に染まる空を見ながら、明日の天気が晴れることを祈った。





続編を書けたら書きたいと思います。

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