イオラとハルア、魔物退治へ
◇
「行ってきます!」
「……いってきます!」
元気よくイオラが家を出ると、ハルアも後ろを追うように飛び出してきた。その様子はまるで、親鳥に必死について行くヒナ鳥のようだ。
「ハルア、別にちょっと見てくるだけだから、来なくてもいんだぜ」
「だめ、お母さんに目を離すなって言われたし」
「あはは……」
イオラは思わず苦笑する。
「イオくん、その……さっきはごめんね、お母さん隣のヴィボーラスさん家のことになるといつも、あぁなの」
「別に気にしてないけど。お隣と仲良しなんだなって」
イオラは鳶色の瞳を細めると、白い歯を見せて微笑んだ。ハルアはその顔を見てホッとしたように瞳を瞬かせる。
けれどすぐにフルフルと首を振り、恐る恐る後ろを確かめるように振り返る。もちろんそこには恐ろしいハルア母の姿はない。
「それ、お母さんに言うと本気で怒るわよ」
「あ……気をつける」
二人は軽く笑いあうと、畑の間を通る道を並んで歩き始めた。
今日はとても良く晴れていて、ティバラギー村の風景がよく見渡せる。
畑の脇に咲く赤や黄色の小花を眺めながら視線を転じてゆくと、風に揺れる麦穂とじゃがいもの若葉が茂る畑が延々と続いている。
なだらかな傾斜のある農地には麦やジャガイモ、さまざまな野菜の植えられた畑が、まるでパッチワークのように広がっていた。
遥か北の彼方に淡く霞んで見えるのは、険しいファルキソス山脈だ。
このあたりはすべてハルアの家のジャガイモと野菜の畑だが、夏に差し掛かった今はお金になるものから随時出荷している最中だ。実りの時期を迎えた小麦は隣家のもので、ハルアの家では伝統的にジャガイモと野菜を育てているという。
暫く歩いてゆくと、ハルアの家の畑と隣家の畑の境界に一本立て札があった。
『←ヴィボーラス家/ジキノーア・フユクール家→』
目的地はすぐ隣のヴィボーラス家、ジキノーアはハルアの家のことだ。
見晴らしのいい場所で立ち止まり一度振り返ると、ジャガイモ畑の遥か向こうに、尖った茅葺屋根の可愛らしい平屋の家が見えた。あれがハルアの家で、今はイオラの仮の住まいでもある。
これから向かう方向を眺めると、赤い焼き瓦の立派な家が見える。それが、魔物退治の依頼主でもある目的地のヴィボーラス家だ。
歩いて15分ほどの距離でも「隣」というわけだ。
「隣の家って言っても、結構離れてるよなぁ……」
「うん。お届け物をしに行くのもけっこう大変なの」
――家の畑に魔物「らしき」ものが出たから見に来てほしい。
そう言われたのは一昨日のことだ。
最近は魔物の数も減り、このあたりに命を脅かすほどの危険な魔物が出たという話は聞いていない。
となれば、土地の淀みに溜まった「瘴気」から生まれる低級なヤツだろう。いわゆる『湧いて出て来る』ような雑魚のような魔物の可能性が高い。
けれど、退治するとなれば、当然平服のまま行くわけにも行かない。
イオラは平服のシャツと、丈夫な布のズボンの上に愛用の『革の部分鎧』を身に着けている。
胸と腹、肩と首筋、そして肘から手の甲、膝と脛を守るように、ベルトと紐で縛り付けて使うタイプ。硬い革を縫い合わせて作られた鎧は、防具といったほうがしっくりくるだろう。
剣を相手にすると貫通される危険があるが、野生の魔物の牙やツメによる肉を切り裂くような攻撃によるダメージからは、十分に体を防御してくれる。
二年以上も使っているので、あちこち傷ついてはいるが手入れは怠っていないのが見て取れる。鎧の表面についた傷はどれもイオラにとっては命がけの冒険の記録であり、思い出深いものだ。
身につけている武器は、刃渡り80センチメルテほどの片手・両手持ち兼用の『バスタード・ソード』。革製の鞘にはベルトがついているので肩から背負い、右の肩から柄が伸びているように見える。
これはかつて、英雄の一人である高名な剣士、ルゥローニィ・クエンス様が見繕ってくれた大切なもので、イオラの頼もしい大切な武器だ。
それに加えて、この村を旅立つ時に初めて手にした『古びた短剣』は、度重なる冒険の途中で折れてしまった。けれどそれを『短刀』として打ち直してもらい、今もイオラは腰の後ろに括り付け、予備の武器としてお守り代わりにと持っている。
『キュ……』
左肩には相棒の『館スライム』のラナコが乗っていた。太陽の光が好きなのか、気持ちよさそうに身を揺らしている。
「畑は見た感じ、魔物は居ないようだけれど……?」
ハルアは淡い栗色の前髪を気にしながら、イオラの横に並んであたりを見回した。
一つに編み込んだ栗色の髪で顔の左側を隠すようにしてしまうのは、癖のようなものだ。顔の傷は既に癒やしの僧侶様の力により、跡形もなく綺麗に消えている。けれど、ずっと俯きながら隠してきた左側の顔を晒すには、少しまだ自信が持てないのだろう。
「うーん、そうだなぁ。反対側の畑なのかも」
「ヴィボーラス家に行ってみましょう」
「そうだな」
イオラが装備を確かめるように軽く跳ねると、カシャリと頼もしい音がした。それを見つめるハルアのエプロンの裾を初夏の風が揺らす。
木綿のワンピースの上に重ねた桃色のエプロンは作業用。あまり可愛くはないが、農作業はもちろん荷物を運ぶ時も汚れないし、ポケットもついているので、便利で実用的なのだ。
「頼もしい感じ……」
ハルアがポツリとつぶやく
「そう? 俺一人で対応出来ないような魔物だったら、ハルアは速攻で逃げるんだぞ」
「……逃げたくない」
「え?」
「なんでもないわ」
イオラとハルアは再び歩き出した。
<つづく>