『狂狼属(ヴァブレス・ウォルフ)』 遭遇戦!
あれは――『狂狼属』……!
「不味いじゃん、ランクCの魔物だよ」
ハーリミールが上ずった声で言った。
それは死んだイノブーに群がる巨大な狼――異種生物だった。
燻銀の毛に長い尻尾が特徴の、全長2メルテにもなろうかという巨大な獣。鋭い爪にキバの生えた強靭なアゴが脅威だが、最大の武器は「群れ」で行動する組織力だろう。
生身の人間では対抗する術はない。完全武装した兵士でも手こずる相手。だからこその「ランクC」分類なのだ。
かつて、イオラも偉大なる英雄たちとの冒険の最中に20頭を超える群れと遭遇し、共に戦ったことがあった。けれどその時は、最上位に分類される、強力な魔法使いが一緒だった。
フィノボッチ村では、「はぐれ狼」とでも言うべき単体の、若いオスと遭遇し仕留めたことはある。けれどもし、三匹以上の集団なら……即決で退散するべきだ。
イノブーの肉に群がっているのは3匹。小さな群れ、あるいは更に大きな群れから離れて暮らす、若いオスが集まったものだろうか。
「ぬぅ? 狼か。……三匹ならやれるだろ」
後ろからマッスフォードの声がした。イオラが慌てて振り返ると、巨大な剣を抜いたリーダーが身を隠すこともなく立っていた。
「ちょ!? リーダーさ……いや、マッスフォードさん、どういう判断なのさ!?」
「毛皮はすごく高いんだゾ」
「知ってるよ! でもこの戦力じゃヤバイって!」
イオラも思わず声を荒げた。自分だけならまだいいが、30メルテ後方で停車している牛車と、ハルアの事を考えると危ない橋は渡りたくない。
「いや、いけるって。……ほら、こっちに気がついたぞ」
『…‥ガルゥ?』
狂狼属が顔を上げ、鼻をヒクヒクとさせながら辺りを窺うと、やがて血まみれの顔をこちらに向けて低い唸り声を上げ始めた。
「あぁ、もう!」
もはや完全な遭遇戦だ。
イオラは意を決し剣を抜いた。低く身構えてリーダーから適度な距離をとる。巨大な剣の間合いに居ては自分も危ないからだ。何よりも、後衛の魔法使いマプルや、弓使いの少女ハーリミールを守らまければならない。
「ここで撃退だ。後ろには絶対に行かせんじゃねーぞ、イオラ」
「わかってるよ!」
「あらら、オオカミさん達が来ちゃったじゃん!」
近くの大きな木に、素早くよじ登った弓術士の少女、ハーリミールが前方の広場を見て声を上げた。声の調子は明るいが、少し緊張の色が窺える。
けれどハーリミールは横に張り出した枝に跨ると、太腿も露わに挟みこんで上半身を固定、弓に矢をつがえた。
彼女が持っている武器は「短弓」だ。コンジット・ボウとも呼ばれる、木と金属で作られた短めの弓で取り回しがよく、引くのにさほど力を要しない。速射性に優れる反面、射程が短いのが難点だというが、30メルテ程度の広場内なら、どこでも十分に狙えるだろう。
「頼むから動かないでよー……」
魔物相手に無理な願いを呟きつつ、キリキリと弓を引き絞り、狙いを定める。
眉間を射抜けば、巨大な猛獣であろうと一撃で仕留めることも可能な武器、弓。もちろん当たれば……だが。
シュッ! と空気を切り裂く音共に放たれた矢は、案の定オオカミには命中せず、喰われていた哀れなイノブーに突き刺さった。
「あちゃ、狙い通り?」
「……ドンマイだ!」
リーダーがハーリミールを励ます。
「え、えっと、どうしようか……詠唱、えぇと」
弓術士が弓を構える木の下では、自称魔法使いのマプルが幹に身を隠しながら、慌てた様子で魔道書をパラパラとめくっていた。
四角いメガネを指先で持ち上げるとページをめくり、何を詠唱するかあれこれ決めかねているようだ。
「――えっ!?」
いまから魔法を唱えるの!?
イオラは唖然とした。これでは魔法支援はアテに出来ない。支援は無いものと考えるしかなさそうだ。
「ききき、きたぁああ!? リーダー! イオラ君! 前、前ぇええ!」
彼女たちの居る木を守る位置に立ち、震える手で剣を構えているのは、『帰りたがり』の気弱な剣士、ティル・リッカーだ。
彼はこの戦闘集団の中で、一番年下らしかった。とても剣を振り勇敢に戦えるようには見えないが、ここは後衛組の守りの要として、オオカミに噛じられても踏ん張ってもらうしかない。
イオラはオオカミ達を見据えると、剣先を前に突き出し、やや地面に向ける「下段」の構えをとった。
動きの速い相手に対して、脚を狙う構えである反面、顔や上半身の防御が薄いのが弱点だ。だがこれは剣術の師匠直伝の、言わば「誘い込み」の戦法でもある。
対して、身の丈もあろうかという両手剣を構えるのはリーダーのマッスフォード。剣先を真後ろの地面に接地させ、腰をやや落とすという独特の構えをとる。盛り上がった二の腕の筋肉が、引き絞られた弓のようにミリミリと音を立てている。
互いの間合いは3メルテほど。壁のように立ち並び、広場の中央を睨みつける。
20メルテ先から二頭の狂狼属が、こちらに向かって徐々に速度を上げながら突進してくる。
「……怖ぇかルーキー?」
「いや、別に」
嘘ではない。冷静に戦闘空間全てを把握するように、神経を研ぎ澄ます。接近してくるオオカミの動き、足元の地形、可能な限りイオラは感じ、見続ける。
「へぇ? 大した度胸だ。修羅場をくぐってきたって顔してやがるな」
「いや……まさか。でも、沢山すごい人達は見てきたけどね」
「是非とも、お聞かせ願いたいもんだな」
「今日が無事に終わったらね」
リーダーの言葉に、イオラは視線を前に固定したまま、軽く返す。
『バウッ!』
『ガゥアッ!』
5メルテ直前で『狂狼属』が跳ねた。
普通の野生動物ならば、人間の姿を見たり気配を感じたりすれば大概は逃げるか隠れてしまう。
だが、彼ら『狂狼属』はその逆。まるで狂ったかのように襲い掛かってくる。
空腹か否かに関わらず、牙をむき出して真っ赤に血走った目を光らせ、人間を噛み砕くだけの怪物と化す。太古の昔に邪悪な魔法使いが生み出した「地獄の門番の子孫」とも言われる彼らが今狙うのは――二人の脆弱な人間の喉元だ。
驚異的な跳躍力でオオカミの巨体が跳ねた。全体重を獲物に浴びせかけて押し倒し、喉元を噛み切るつもりなのだ。
――イオくんっ!
遥か後方でハルアの祈るような、押し殺したような叫びが聞こえた。
その刹那。
空気を切り裂く音と同時に、ギラリと光る銀色の半円が、空中を滑る『狂狼属』の首を捉えた。
「――っ、づぁああああッ!」
長大な両手剣が、全身を回転バネと化したリーダーの真後ろから、高速で放たれた。振りぬかれた剣は自身の重量に速度を加えた事で、とてつもない破壊力を生む。剣が巨大なオオカミの首に食い込むと、そのまま真横から肉を断ち骨に達する。
回転力を維持したまま、木こりが巨木に斧を振るうかのごとく、マッスフォードが『狂狼属』の体を地面に叩き伏せた。
ドズゥム……! という音と同時にゴキリという首の骨の折れた鈍い音が響く。仰向けになった人喰いオオカミはピクリとも動かなくなった。
「ナイス、リーダー!」
木の上から称賛の声が響く。
「凄い! ルーデンスの戦士みたいだ……!」
イオラは感嘆を呟きつつ、飛びかかってきたオオカミの巨体をヒラリとかわす。そして、身体を捻りながら剣を振り上げて、真下からオオカミの弱点である柔らかい腹と、動きを支える「後ろ脚」めがけて斬り払った。
「っはぁッ」
軽く、舞うような動きは師匠仕込み。イオラの無駄な力を使わない流れるような動きと攻撃だった。
「やるじゃねぇか……!」
一匹を仕留め終え次の動きに移ろうとしていたマッスフォードが目を見開いて、称賛を交えて短い口笛を吹く。
真っ赤な血の霧を撒き散らしながら、地面に着地した『狂狼属』だったが、体勢を立て直そうとしたところで、ガクリと後ろ脚を折り曲げた。
『ガ、ウッ!?』
下腹部と脚を斬られた事に気がついて、怨嗟の唸り声を上げたところで、イオラが剣を心臓に向けた。
だが、次の瞬間。
シュコッという軽い音と共に、矢が『狂狼属』の脳天に突き刺さった。ほぼ即死。唸り声が途絶えると、そのまま銀色の体がドサリと地面に崩れ落ちた。
「動かなければ、ただのマトってねー」
「あ、ありがとう! ハ……ハーリミールさん」
命中率の低い弓術士も、一瞬動きの止まった的を見逃さなかった。弓の名手『林檎の達人』ならではの手前を披露する。
「さん付けはいらないよーハーでもミールでも好きなように呼んで。てかイオラ君って、もしかしてトドメを刺したい人だった?」
樹の上から赤毛の少女がペラペラと喋り続ける。
「いや別にそういうわけじゃ……」
イオラの顔も思わずほころぶ。
「ぅおいコラ新入り! もう一匹来るぞ!」
どうもイオラが弓術士と話すのが面白く無いらしい。
「あ、はい!」
戦闘の最中、イオラは高揚感を感じ始めていた。新しい仲間、そして戦い――。
かつて世界を救った英雄たちのお供をしていた頃の、ワクワク感が蘇ってくる。
――なんだろ……今、すごく楽しい気がする……!
<つづく>




