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水神

沖田総司という男がいる。

長い髪を高い位置で結い上げた優しい美貌のすらりとした男である。

歳は二十一でありながら既に天然理心流の塾頭を務める天才剣士だ。

総司は、今宵も隊士を引き連れて市中見廻りに出ていた。

日中は太陽が照りつけ動かずにして汗が滲むものだが、日も沈めば僅かながら涼味がある。

夜道を歩き、やがて西洞院の通りに出た。

「今宵も何も起こりそうもありませんね。」

隊士のどこか安心したような声。

不逞浪士の取り締まりも刀を抜けば、死人が出ることもある。

「そうですねぇ。」

総司は不満そうに口を尖らせながら、隊士の前を歩く。


「尊王」「佐幕」

この時代の青年武士の間に二大潮流が流行り病のように蔓延した。

総司が幼い時から内弟子として過ごした日野の道場、試衛館でも道場主の近藤勇を始めとした門人たちが夜な夜な熱く討論を交わしていたものだ。

思想論にあまり興味のない総司だったが、兄のように慕う近藤のハツラツと語る姿が好きだった。

そんな時だった。幕府が将軍徳川家茂の上洛に先駆け、京都に行き治安対策をする浪士を募る廻状が試衛館に届いたのは。

近藤は、すぐさまこの募集を受け入れた。武蔵国多摩郡上石原村出身の彼は、天領生まれとなる。将軍家への忠誠心は並々ならぬものがあった。

将軍警護を天領生まれの自分が参加する。近藤には何事にも変えられない崇高な任務に違いなかった。

しかし、上洛してみれば途端に状況は一変した。

治安対策を発案した庄内出身の清河八郎が、御所学習院を経て朝廷へ上書を提出したのだ。

将軍の上洛を待たずして江戸へと戻り攘夷活動をするというのだ。

朝廷からは、速やかに東下し、攘夷に励むよう沙汰が下りる。

清河は、幕府に将軍警護と嘯き集めた浪士をそっくりそのまま自らの思惑に利用したのだ。

多くの浪士がそれに倣い来た道を戻ることになったが、総司たちは右も左も知れぬ京に残る事になった。



市中見廻りは土方歳三の案で始めることになった。

土方は近藤の古くからの友であり、総司にとっても兄のような男である。

浪士組と袂を分かってしまい、総司たちには幕府からの支援はもう得られない。どこかの藩に後ろ盾になってもらうにしても実績はあった方がいいと言うことだ。

だが、今宵もどうやら成果はあげれそうもない。

「そろそろ戻りましょう。」

総司が帰路に就こうと隊士を促した時、どこからか湿った空気が流れてきた。

たちまち霧が立ち込めて辺りが乳白色に変わる。

やっと慣れかけた道も視界が全く無くなれば知らないどこかへと、迷い込んでしまったような不安がよぎる。

異様な事態に、総司は綺麗な顔を歪ませた。

「嫌な霧ですね…」

総司がつぶやいた時、後ろでドサッと音がした。振り返れば連れ立っていた隊士が倒れている。

隊士の肩を揺り動かすがぴくりとも動かない。

総司は警戒した面持ちで辺りを見回すが何の気配も感じられなかった。

白面の世界に、独り佇む心細さが募った頃。

チリンチリンと微かな鈴の音が遠くから近づいてくるのが聞こえてきた。

総司は、いつでも刀が抜けるように柄に手をかけて音のする方を見据えた。

この異様な世界で、鬼がでるか蛇がでるか知れたものではない。

やがて、見えてきたのはふわりふわりと緩やかに左右に揺れる青白い灯り。

それに続くは水干を着た二足歩行の狐と牛車。

人ならざる者の登場に、総司の顔からサッと血の気が引いた。

「あっ…」

思わず声を挙げそうになるのを、後ろから伸びた手が塞いだ。

総司の全身の毛が逆立ち恐怖に身を固めたが、それは僅かな時間だった。

「落ち着いて。声を挙げてはいけませんよ。おとなしく私の後ろへ。」

柔らかく穏やかな声。

総司が承諾の意を告げるように首を縦に振ると、するりと口を塞いだ手が解かれた。

そして、総司の前に立ちはだかるのは、小さな身体。

細い首が見える程に短く切り揃えられた黒髪、日に焼けていない肌は、着ている白い狩衣とそのまま白面の世界に溶けて消えてしまいそうだ。

やがて、牛車と水干姿の狐が総司達の前で歩を止める。

狐がゆっくりと頭を垂れる。

「愛宕に嫁ぐ山科の姫君の御所車とお見受けする。違いないか?」

若者の穏やかな声が狐に問うと、狐は頭を垂れたまま慇懃な態度で答えた。

「違いはございません。いと高き月の御方。」

「山科の姫君よ。夜を統べる者より、お祝いを申し上げる。」

若者の口上に、御簾が開かれると中には白無垢に身を包んだ女狐が頭を下げていた。

「この良き日に、人を伴っての無礼を失礼する。我が庇護を受けし者故、どうか赦して欲しい。」

黙って事のままを見ていた総司は、自分のことに話が及び、身を固くした。

狐が頭を上げることはないから、月の御方と呼ばれた若者の方が目上のようだが。

「山科は良く働くのは折り紙付き。愛宕は幸せものだな。よく励むがよい。」

「いと高き月の御方。お祝いの御言葉ありがたく頂戴致します。」

顔を上げることもないまま、再び御簾は閉じ、ゆるゆると牛車は動き出す。

牛車が行き、暫くすると白面の世界も散り散りに散って行き、見覚えのある景色へと変わった。

「もう終わりましたよ。」

狐に話しかけていたより、幾分か親しみの持てる若者の声に、総司は糸が切れたかのようにその場にへたり込んでしまった。酷く体力を消耗したような気がする。

「魔に当てられると身体に障るものですよ。大丈夫ですか?」

気遣わしげな声と共に手が差し出される。

総司は、その手の先にある若者の顔を見て、目を見開いた。

この世にこんなに美しいものはあるだろうか。

目鼻立ちが完璧なまでに整った顔立ちは、とても同じ人とは思えなかった。

禿の様に、きっちりと切り揃えられた髪がやや不自然さを否めない。艶やかなその髪が長く結われていればどこぞの姫君と言われても納得がいく。

ただ、総司を見下ろす瞳が、若者が異形の者であることを知らせていた。

琥珀色の月が二つ、冴えた光を放っていた。

動かない総司を見て、若者はやや哀しげに微笑んだ後、差し出していた手を引っ込める。

「今宵は可笑しな夢でも見たのだと、忘れてしまいなさい。お連れの方は直に目を覚ますでしょう。」

そう告げて、若者は足早に背を向けて行ってしまった。

総司は、ただただ呆然とその背中が闇に消えて行くのを見つめていた。



























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