花澤
しばらく寝ていたのだろうか。周りのざわめきが自分とは全く関係ないものと思えた時間があった。僕は我にかえって顔をあげた。
「大丈夫?」と花澤さんが言った。手には濡れタオルと水を持っていた。「これでも飲んで」
「ありがとう」僕は受け取った水を飲んだ。そして、タオルも受け取り、それで顔を拭いた。
「お酒弱いんだね」
「そうかな。うん。確かに弱いのかも。今までは普通だと思っていたんだけど」
「どのくらい飲んだの?」
「ビールを二、三杯。梅酒を一杯。あと白ワインを少しかな」
花澤さんは、僕の隣に座った。女の人に優しくされるのはいつぶりだろうか。彼女の短い髪の毛は、パーティーが始まる前と同じように寂しげだったが、彼女の目はしっかりと力強かった。
「花澤さんは、お酒は強いの?」
「普通かな」
「どのくらい飲んだ?」
「私と三津崎さんでワインを一本あけたくらい」
「そりゃあ、たぶん僕より強いね」
僕は水を飲み干した。花澤さんはグラスにお代わりの水を注いでくれた。
「そういえば、花澤さん」
「なに?」
「僕と君の相違点ってどこだろう?」
「相違点? 性別とか?」
「まぁ、それはそうだけど……」
白と黒の違いとは何だろうか。
「だって、私、あなたの名前も知らないから」
「あ、そうか。僕は熊野忠康。社長の秘書さ」
花澤さんはなぜか笑った。手で口を抑えていた。
「熊野さんは変な話し方するんだね」
「そうかな?」
「なんだかゲームに出てくるキャラクターみたい」
「そうかな?」
「そうだって。……それで、私と熊野さんの相違点だけど」
「うん」
「とりあえずお互いのことを教えあおうよ。そうじゃないと分からないよ」
「そうだね」
僕はとりあえず、彼女に自身のことを話した。生年月日、生まれ、家族、趣味、仕事のこと、学生時代のこと。
彼女も同じようなことを話してくれた。興味深かったのは高校時代の話だった。だが、どの事柄にも気になる相違点はなかった。彼女と僕との違いはあまりにもありすぎたせいもあるのだろう。……それはそうだ。僕らは違う人生を歩んでいるのだから。
では、一致しているところはどこだろうか。これについて気になる点があった。まるでデジャヴュのように、僕はそこに引っぱられた。
「花澤さんも母子家庭なんだね」
「うん。そうなの」
「お母さんは元気?」
「ううん。だいぶ前に死んじゃった」
「……ごめんね」
「私、養子に出されてたの。お母さん一人で私を養えなかったみたい。お母さん、そんなに体が強い人じゃなかったから。だから母とは会ったり会わなかったり。お母さん身寄りもいなかったから、自分のことで精一杯で」
「うん」
「お父さんのことは全く教えてもらえなかったの。自分でも色々調べてみたんだけど、お母さんを捨てた人のことなんか分かるはずなかった。養父がいるから、その人をお父さんって思っているんだけどね」
「城木さんも母子家庭らしいよ」僕はデジャヴュの原因だろう事柄を話した。
「そうなんだ。多いのね」
「そうだね」
「熊野さんはお父さんの顔を見たことある?」
「あるよ。一度だけ」
「どんな人?」
「最低の人だよ。捨てるだけならまだしも……」
「まだしも?」
「今は檻の中さ。夫として、父親として、人として最低だよ」
「そう……。色々あるね」
「実は、就職のことを心配していたんだよ。父親のことがあるからね。もう何も関係がないとしてもさ、人事としては犯罪者の息子って気になるんじゃないかと思ってね。運よく、社長に拾われて……。よかったと思ってる。このパーティーは少し退屈だけど」と僕は言って笑った。
「そうなの? 楽しそうだけど」
「いやぁ。僕は田舎育ちだけど、社長は都会育ち。なんだか趣味が合わなくて。島でパーティーを開催するって僕には――。できないよ」
「本当のところを言うと、私もあんまり好きじゃないのよね。あなたも来年から来なきゃいいじゃない」
「できないよ。秘書だし。でも、実はさ」僕は酔いのせいなのか、なんのせいなのか気分が高揚していた。こんなに人と話すのは楽しいことだっただろうか。
「実は?」花澤さんは首を傾げた。
「俺、三津崎さんのことが好きなんだよ。だから、耐えられるんだよね」
「そう」と花澤さんはなぜかぎこちない笑顔をみせた。「まぁ、うん。素敵よね。私もあんな人になれたらな」
「料理もうまいし。綺麗だし。髪も素敵だ。あの毛先がくるんってなっているのが好きなんだ」
「髪の長い人が好きなの?」
「どうだろう。いや、ただ単に三津崎さんが好きなだけかも」
花澤さんは声を出して笑った。
「熊野さんって変な人ね。中学生みたい」
「そー、うかな?」
「そうよ。もっと早く熊野さんと出会いたかったな」
「素敵な文句だね。初めて言われたよ」
「変な人」と花澤さんはまた笑った。