軟禁
やることがない。いや、やらねばならないことができない。果たしてどこから手をつけたらいいものやら。それにしても、さっそく問題が出てくるとは思いもしなかった。このルールとやらのせいだ。
俺はベッドの上に寝転がっていた。体全部を受け止めてくれるベッドはなかなかのものだったが、天井から落ちて広がっている光が妙に存在感を出しているせいで、俺は落ち着かなかった。もちろんそれは言い訳だった。落ち着かないのは、自分が思い描いていたことを出来なかったせいに違いなかった。だが、それはそれとして消化しなければならない。
ふいに煙草が吸いたくなった。だが、それは手元になかった。それでも、どうにか落ち着くために俺はこの館に来てからのことを思い出してみることにした。光を少しでも消すために瞼を閉じた。
まず予想外のことが起きた。この館に入った時だ。俺は荷物を奪われた。その中には殺人を警告する紙が入っていた。殺し屋が標的を殺そうとしているのだから、標的に危機感を持ってもらうのが大事だと思い用意したものだった。誰が隠し子か分からずとも、これで少しは気を引き締めてもらえる。そして、殺し屋に焦りと不安を与えることができる、気がした。そのせいで標的探しが楽に出来ればと思っていたのだ。だが、その計画は終わった。いや、まだ終わってはいない。荷物を探して、その中から取ればいい。
俺はベッド横にあったナイトテーブルの引き出しをあけた。中にはメモ用紙とペンしか入ってなかった。
ちくしょう。さすがに煙草とマッチは入っていないか。仕方ない、次のことを思い出そう。
この部屋に通された時、男は俺に服を着替えるように言った。そして、所持品を渡すようにとも。
「なぜ?」と俺は聞いた。
「社長が決めたんです」と男は何かに飽きているような口調で答えた。
「社長が? もし、それに従わなかったらどうなるんです?」
「……分かりません。今まで従わなかった人がいないので。でも、パーティーに参加することはできないでしょう。つまり、この館を追い出されるか、部屋に閉じ込められるのではないでしょうか」男は申し訳なさそうに視線をそらした。「どうなさいますか?」
どうなさいますか? 俺には選択肢がない。
「……もちろん従いますよ。持っているものといえば煙草とライター、腕時計、携帯電話くらいですけどね」
俺はそれらを彼に渡した。
「煙草はあとで吸えると思います。でも、これだけでよかったですよ……。携帯電話はあまり意味がありませんし」
「なぜ?」
「電波が届かないんです」
それなら携帯電話は無用だったかもしれないな。邪魔になっただけかもしれない。煙草をとられたのは痛いが、どうやらずっと吸えないわけではないようだ。
「着替えはどこにあるんですか?」
「クローゼットの中にあります。下着類もそこに」
「下着も替えるんですか?」
「いいえ。それは予備です」
予備?
「予備とは?」
「今日は泊まることになるでしょうし、その着替えという意味です。一旦退室するので、着替えたら呼んでください」
男が部屋から出ていくのを見て、俺はクローゼットを開けた。中にはジーンズと赤いTシャツ、ベルトがハンガーにかけられていた。そして、木で作られた小さな箪笥の上にはスニーカーがあった。
さすがに笑った。まさか男と同じものに着替えさせられるとは思いもしなかった。
箪笥の中を調べると、バスタオル、そして下着類が出てきた。なかなか穿き心地、着心地がよさそうだ。靴下も出てきたが、これも履かなければいけないのだろうか。
とりあえず全部だな。俺はそう思い着替え始めた。
着替えが終わると、俺はドアを開けて廊下を見た。廊下の入口に男はいた。手には紙袋を持っていた。そして、その手を後ろにまわしていた。どうやら、螺旋階段の横にある大きな窓から山を見ているようだった。もちろん、こちらから窓は見えないので、それは想像にすぎない。ただ彼の目線の先には窓があるし、窓からは外が見える。そして外には絶対に山が存在している。
「着替え終わりました」と俺は少し大きな声で言った。
「はい」と男は声に気付いて、こちらに戻って来た。
「では、服をこちらに」と男は紙袋を俺に渡した。
俺は一度部屋の中に戻り、着ていた服をそこに入れた。
「これでいいですか?」
「ええ、大丈夫です」
「で、パーティーというのはいつから始まるのでしょう?」
「分かりません」
分かりません……。
「分からないとは?」
「社長次第ということです。でも、まぁ、夜ですね」
俺は納得したかのように頷いた。
「で、今は何時なのでしょう?」
「分かりません。ここには時計がありません」
「ここには?」
「ええ。この館に時計はありません。もちろん部屋にもありません。社長の部屋にはあるんですけどね……。つまり、予想するしかないってことです」と男は困ったように笑った。
「そうか……。ところで、何か飲み物はないですか?」
「部屋にある冷蔵庫にいくらかありますよ。食べ物も」
「トイレは?」
「中にあります」
俺は後ろを振り返った。左側に扉があった。
「なるほど」
「つまり、パーティーが始まるまでこの部屋から出てはいけないということです。そういう決まりなんです。もちろん社長が決めました。なぜこんな決まりがあるのか、私にも分かりません。もし知りたいのなら、あとで社長に聞いてみてください。教えてくれると思います」
「分かりました。ありがとうございます」
俺がそう言うと、男は「では、また呼びに来ます」と言ってドアを閉めた。
俺はベッド戻り、そこに飛び込んだ。頭は働いたが、体はなぜかうずうずとして、心は苛立っていた。仰向けになると、天井にある照明が見えた。
目を開けた。どこかに引っぱられるような気持ちよさがあった。どうやらいつの間にか寝ていたようだった。
俺はベッドから起き上がると、窓のカーテンを開けた。丸い山が、描かれたように四角い窓に納まっていた。
ふと、のどの渇きを覚えた。さっきはそう飲みたくなかった液体を欲していた。俺は部屋のドアのあたりへ向かった。そこには小型の冷蔵庫があった。中を開けると、炭酸飲料水、水、ビールがそこにあった。棚の方にはサンドイッチが二種類、そしてスナック類が入れてあった。
俺はビールとサンドイッチを手に取った。そして、ベッドの方へ戻った。俺はベッドに座り、ナイトテーブルに持ってきたものを置いた。小さなランプがそこには置かれていたが、邪魔にはならなかった。
ビールは市販されているもののようだったが、サンドイッチは違った。誰が作ったのだろうか。
外側がよく焼けてぱりっとしているバケットには、ハムとレタス、オニオン、チーズが挟まれていた。それを頬張ると微かにレモンの香りがした。バケットの内側はふんわりとしていて、甘かった。小麦のにおいも僅かに感じることができた。それにハムとチーズの塩味、レタスとオニオンの悪意のない爽やかさが加わっていたそれは素晴らしいものだった。
俺はその余韻に浸りながら、ビールを飲んだ。苦みの走るそれは、最初で最後の最高の一口だった。
サンドイッチとビールで腹が膨れると、次に尿意を催した。俺は部屋の入口とは違う、もう一方のドアを開けた。
おっと、電気をつけないと。
俺は暗いバスルームを見てから、外にあったスイッチをオンにした。
中は何の変哲もないバスルームだった。バスタブがあって、トイレがあった。ビジネスホテルによくありそうなものだった。その一日だけのために作られたような、簡素なものだ。
俺は洗面台の鏡を見た。赤いTシャツが何とも滑稽だった。
それにしても、あの男たちと同じ服装とはどういうことだろうか。何のための着替えだろう。それも社長とやらに聞けばいいのだろうが……。しかし、その前にやることは、その他の奴らを調べることだろう。やることはたくさんある。建物や部屋の位置を把握するのもその一つだ。
二階にある部屋はここを含めて九つに思える。山の方に四つ、玄関側に四つ。扉の形、大きさも同じもの。それは等間隔についていた。おそらく、部屋は同じ間取りだろう。違うとすれば、左右反対になっているくらいか。ここはバスルームが左側についているが、隣は右側についているかもしれない。
もう一つの部屋は玄関側で、階段とは逆の位置にある。扉は同じようなものだった気がしたが、この部屋よりは大きい気がする。建物の大きさから考えて、この客室が二つか三つ収まりそうだ。
さて、それから何が分かる。俺がこれらから分かったのは、この館が金持ちによって作られたということだけだ。会った人物といえば、まだ男二人。さて、どうしようか。