二人
「熊野さん!」
体が揺れる。なんだ。地震か?
「熊野くん!」
再び揺れる。なんだ。大きいな。
体を捻ると、目の前に三人の男と、二人の女の子が見えた。
確か、一人は先輩の八屋さんで、あとは城木さんと三上さん。女の子の方は会社の受付をしている花澤さんと美静さんだ。
「あれ?」
「あれじゃないよ。寝ぼけている場合じゃないんだよ」三上さんが怒ったような表情で言う。
ふと二人の女の子を見た。一人の女の子、花澤さんはひどく何かを恐れているかのようだった。
「何かあったのですか?」僕は起き上がった。
「殺し屋がこの中にいるんだ」
「殺し屋が?」
「正確には殺し屋がいたということだろうか」三上さんは僕に一枚の紙を見せた。
僕はそれを受け取った。A4用紙に、味気のないフォントでこう書かれていた。
殺し屋がやってくる。注意せよ。
「なる……」ほど、と言うのを僕はやめた。何がなるほどなものか。何だ、これは。
「これは一体?」
「保管室に落ちていた」
「保管室に? 誰かあそこに入ったんですか?」
「三津崎さんとサダさんが入った。そして僕も」城木さんが言った。
そういえば三津崎さんとサダさんがいない。
「で、これを見つけたと?」
「ああ。僕がこの紙を見つけた。そして、二人の死体も」
ん? この人は今、何を言った?
「死体?」
「ああ、保管室で二人が死んでいる」
「誰と誰が?」
「三津崎さんとサダさんが」
三津崎さん?
僕は崩れ落ちる脳みそを必死で支えた。だが頭はくらくらとして、いつ気絶してもおかしくなさそうだった。
「三津崎さんが死んだ?」
「ああ、死んでいる。サダさんも近くで」
「なんで?」
僕はもう一度花澤さんを見た。彼女の暗い表情の理由が今、分かった。
「なぜ、三津崎さんが死んでいるのですか?」僕は八屋さんを見た。
「分からない。ただ、分かるのは――」
「とにかく食堂に行きましょう。もう一度、皆集まりましょう」城木さんが八屋さんの言葉を遮って言った。
僕はベッドから降りた。そして、パジャマを脱いでジーンズを穿いた。
美静さんが笑ったような気がした。なぜ彼女は笑っているのだろう。ああ、そうか、僕が皆の前で着替えているせいか。でも、まぁ、どうでもいい。……三津崎さんが死んだ。なぜ。なぜ彼女が。
食堂はがらんとしていた。それはそうだ。僕らがいなかったのだから。
僕は元、座っていた席に着いた。皆もそれぞれの席に着いた。だが、二人だけがそこに着かなかった。三津崎さんとサダさんが死んでいるのを証明するかのように、二人が座っていた席が空いていた。
「本当に死んでいるんですか?」僕は聞いた。
「死んでいるよ」八屋さんは答えた。
花澤さんと目があった。途端に彼女は目を覆い、しくしくと泣き始めた。
「なんで死んでいるんですか?」
「たぶん、殺された」
殺された……。なぜ、いや、また殺されたのか。
「誰に殺されたんですか? 社長を殺した人ですか?」
「サダだよ」三上さんが言った。
「サダさん? なぜ?」
「さぁ。分からん。だが、彼に違いないだろう。保管室にいたのは彼らだけだからね」
「でも、城木さんも入ったんですよね?」
「ごめん。語弊があったな。僕が保管室に入ったのは、彼らが倒れているのを発見したからだ。食堂に行く途中に、ドアが空いているのを発見して……」
「で、どうやって死んでいたんですか?」僕は綺麗な三津崎さんが社長のように血まみれになっている姿を想像した。「どうやって殺されたんですか!」僕は立ちあがり叫んだ。怒りのせいなのか、悲しみのせいなのか声が震えているのが自分でも分かった。
「首を絞められて死んでいる。近くに紐があった。たぶん、それで」
「誰に?」
「たぶん、サダさんに」
サダ? じゃあ、なぜサダさんも死んでいるのだ?
「サダさんは?」
「死んでいる。だが、死因は分からない。苦しそうな表情で固まっていた」
僕は半分気を失った。気付かないうちに立ちあがっていた体は、椅子に納まっていた。
サダが殺したのか? 三津崎さんを? あの三津崎さんを?
サダが? なぜ? なぜだ。
「なんでサダさんが殺したんだと思うんですか、三上さん」僕は三上さんを見た。
「部屋にいたのがサダさんだけだからだ」
「理由になってませんよ!」
「おい、待て。そう声を荒げるな」
「サダさんが部屋にいただけで、サダさんが三津崎さんを殺した? 果たしてそうでしょうかね?」
頭がくらくらする。ああ、なんだよ。くそ。
「サダさんを犯人にしたかったから、そこに彼を置いただけじゃないですか? 犯人は他にいるんじゃないですか?」
空気が微かに変わるのを感じた。なんだ、これは。誰が何を隠している。
「三上さん、あんたが三津崎さんを殺したんじゃないのか?」
「熊野くん」誰かが言った。
「お前か!」僕は立ちあがった。
「待て、熊野くん」誰かが僕を抑えた。その手は八屋さんのものだった。
「熊野くん。落ち着いてくれ。確かに、サダさんが三津崎さんを殺したという明確な証拠はない。同時に三上さんが二人を殺した証拠もない。……落ち着いてくれ」
僕は座った。だが、気持ちは落ち着かなかった。なんで三津崎さんが殺されなければならないんだ。
「社長の時と違って、俺にも三津崎さんが殺された理由が全く分からない。もちろん二人がなぜ保管室にいたのかも分からない」八屋さんは自分の席に戻り、頭を抱えるように目を両手で覆った。
「ただ、もしかしたらヒントになるようなものが……。いや、俺には全く関係ないように思えるが……」
「何ですか?」僕は聞いた。
「うん……。ちょっと待って、まとめるから」
八屋さんはそう言うと黙った。
僕はいらいらとしていた。だが、誰も何も言わない静かな空間、そして、花澤さんの泣き声が僕をひどく悲しくさせた。僕も思いっきり泣いてしまいたかった。
三津崎さんが死んだ。それは事実なのか。
「僕も保管室を見ても」
皆、僕を見ていた。
「見てくればいい。鍵は開いている」城木さんは手でドアを示した。
僕は席を立った。食堂のドアを開け、保管室のドアの前に立った。
この中で三津崎さんが死んでいる。ドアノブに手をかける。社長の死体を見たときとは違う緊張感が僕を包む。
一呼吸おいて、ドアノブを捻り、押した。
先に見えたのはサダさんの死体だった。彼は片手を喉に、片手を口の中に入れていた。確かに、何かに苦しんだような姿だ。
そして、その横を見た。仰向けに三津崎さんは倒れていた。ドクンと脈を打った。僕は彼女に近づいていった。
首には細長い青い痕がついていた。赤いかすり傷も。そして、その首の近くに紐が落ちている。これで殺されたのか。
僕は彼女の顔にかかっていた、髪の毛を払った。目は閉じていた。一見、穏やかな顔に見えるが、眉間と口の周りに少し皺ができていた。苦しんだのだろう。
彼女の顔に水滴が垂れた。僕は思わず泣いていた。
「三津崎さん」
僕は彼女の顔に触れた。そして、鼻筋をすっと撫でた。
顔を近づける。だが、唇を重ねることはできなかった。結局、僕は五年間、何もできなかったのだ。僕は、何もできなかった。やりたいことも、やれねばらないことも、やれたことも全てできなかった。僕が、彼女の代わりに死ねたら、それはどんなに素晴らしいことか。一緒に過ごしたいと思いながらした妄想さえ、僕は捨て、僕の死と彼女の生を取り替えたかった。
もちろん、もうそれは叶えられない願いなのだ。
僕は立ちあがり、ドアへ歩き出そうとした。
最後にと、もう一度僕は三津崎さんを見た。堅そうな床にそのままになっている。
昨日の夜、三津崎さんはサダに言っていたな。「何か必要なものが?」と。もし、必要なものがあったとしたら。彼は三津崎さんに保管室を開けてもらうように頼むだろう。そして、三津崎さんを……? いや、しかしだ。なぜ、殺す必要があるのだ。
結局、僕は好きな人の死を確認しただけだった。謎を解決できたわけでも、彼女を生き返らせたわけでもなかった。ただただ悲しむために、僕は部屋へと入ったのだ。
食堂のドアはすんなりと開いた。キッチンを見たが誰もいなかった。
どうだったこの若造、と三上の目は言っていた。僕は、死んでいたよクソ野郎、と目で返した。通じただろうか。
「熊野くん」八屋さんが優しくそう言った。
僕は頷いた。声を出す力というものが僕にはなかった。
「考えたのだが、まずこの事から話そうと思う」
二人の男が頷いた。