血のついた服を探しに
「次は服ですね」城木さんは客室の方へと歩いた。「女性は女性で、男性は男性で調べましょう」
僕らはそれに従った。
山側にある美静さんの部屋へ、三津崎さんと花澤さんが入っていった。僕たち男組は、一番近かった、玄関側にある八屋さんの部屋へと入った。
「服は全部クローゼットにあります。着替えもそうです。調べてもらって結構ですよ」八屋さんはそう言うと、ベッドの方へと向かった。
「じゃあ、調べましょう」
「そうだな」
僕と二人はクローゼットを開けた。そこには新しい赤いTシャツと、脱ぎ捨てられた赤いTシャツ、下着、靴下、そしてパジャマがあった。
意外とこういっただらしないところもあるんだな。家ではこうなのかも。……まぁ、奥さんがいるし。
三上さんは服を広げて、見ていた。城木さんは裏返ったパジャマを表にして、眺めた。僕はというと、それをなんとなく見ていた。ぱっと見てみて血痕らしきものはなかったし、八屋さんが社長を殺すなんて少しも思えなかった。
「これだ」
八屋さんは手に白い紙を持っていた。これが社長の書いた手紙だろうか。
僕はそれを受け取り、書いてある文字を読んだ。
今日はもう寝る。
続きはまた明日にしようと思う。
それは自分が考えていたよりも簡単な文章だった。
「手紙ですね。……いや、メモのようでもありますね。書いてあるのがメモ帳だからかなぁ」
「昨日は手紙だと思ったんだが、そう言われればそうだな」
「この字は社長の字ですよね」
「ああ、そう思う」
「本当か?」三上さんがこちらに歩いてくる。「本当に田辺さんの字かい? 真似して書かれたとかないか?」
「うーん」
八屋さんは腕を組んだ。
「真似かどうかは分かりませんが……。真似するものがないですね。つまりお手本が。定一郎はもともとそんなに字がうまい方ではないですからね。直筆というものがあまりないんですよ。あるとすれば署名くらいです。なんなら皆に、この文章を書かせてみればいいですよ」
いつの間にか城木さんがこちらにやってきていた。
「これが手紙ですか」
僕は紙を彼に渡した。
「うーん。筆跡については、よく分からないですね。これは警察に任せた方がいいのかも」
「服はどうでしたか?」八屋さんが聞いた。
「何もありませんでした」
当たり前だと、八屋さんは頷いた。
「じゃあ、次はどの部屋に行きましょうか」
「隣が僕の部屋なので」僕は提案した。
「そうですね」
僕らはぞろぞろと、隣の僕の部屋へと移動した。女性陣は今、どの部屋にいるのだろうか。
部屋に入ると、僕はクローゼットを開け、新しいTシャツと下着類を出した。そしてベッドの上にあったパジャマ、床に脱ぎ捨てられた昨日のシャツを拾った。
「これです」と僕は彼らにそれを渡した。
「僕はいいよ。熊野くんが社長を殺したとは思っていないからね」八屋さんは首を振った。
「あんまり人を信用しない方がいいんじゃないか?」サダさんが僕らから服を受け取った。「信用というか、自分の考えに固執しない方がいいといったところか」
「いや、これは確信だよ。君には分からないだろうが、彼に社長を殺す動機がないのは明らかなんだ」
「どうだかな」サダさんは赤いTシャツを広げた。「昨日、何かを言われてカッとなったのかもしれないぜ」
「一日で、そんなに怒ることがあるでしょうか? 殺したくなるほどに」僕はそう言った。
「……確かに。普通はそうだな。うん。すまなかったな」
「いえ。別に」
八屋さん以外は何かと動いていた。だが、それもすぐに止まった。何もないと分かったのだろう。
「じゃあ、次に行きましょうか」僕は言った。
次はサダさんの部屋だった。玄関側の一番奥だ。だが、彼の部屋にも何もなかった。どの服にも血らしきものはついていなかった。
そして、その他の部屋でも結果は同じだった。それらしきものはなく、特別気になる物もなかった。
唯一気になったといえば、三上さんが意外と几帳面だったということだ。昨日着ていたTシャツと下着類は畳まれて置いてあった。だが、事件とは関係ない。
僕らが部屋を出て、広間で待っていると、三津崎さんたちが部屋から出てきた。どうやら最後は三津崎さんの部屋を調べていたらしい。
「どうでした?」僕はそう聞いたが、表情の変わっていない彼女たちを見ると、何もなかったことが分かった。
三津崎さんは首を振った。
「あ」サダさんが突然声を出した。「そういえば、俺らが持ってきた荷物があったな。あれにも何かあるんじゃないか?」
でも、保管室には鍵がかかっているだろう。その鍵を持っているのは三津崎さんだけだ。
「鍵は私が持っていますが」
「分かっているよ」サダさんは三津崎さんを見た。
何を分かっているのだろうか。三津崎さんが犯人だと言いたいのか?
「別に調べてもいいですけど、昨日は皆さんがいらっしゃってから、あそこの部屋を開けたのは一度だけですよ。毛布を取った時だけです」
「その前に、あなたが社長を殺していれば? そして、服を着替えて、あそこの部屋に隠す」サダさんはにやりと笑った。
「私、そんなことしていません」
「なら、開けてもらおうか」
三津崎さんは怒った表情で、自分の部屋へ行った。そして、銀色の鍵を持って、すぐに戻ってきた。
螺旋階段を降りて、僕らはまた一階へと戻った。そして、食堂の前にある保管室のドアの前にやってきた。
「そういえば、サダさん」僕は彼を見上げた。「万一、三津崎さんが、サダさんが考えている時間に社長を殺したとしますよ。そうしたなら、死体を花澤さんが発見していますよね」
「そうだけど?」
「そうだけど、って……」
「俺はここに血のついた服があるかどうか調べたいだけだよ。社長が殺された時間は今、どうでもいいんだよ」
三津崎さんが鍵を鍵穴に差し込む。
「他の時間に彼女が殺して、他の時間にこの部屋に服を隠したっていいわけだしさ」
三津崎さんが手を捻ると、カチャリと音が鳴った。鍵が開いたようだ。なんだか、その音にも三津崎さんの怒りがこもっているような気がした。
あんな優しそうな人でも怒るんだな。でも、人間だから、それはそうだろう。うーん。俺と喧嘩しても、彼女はあんなふうに怒るのだろうか。
僕はまた、もし彼女と付き合ったら、と妄想した。
部屋はひんやりとしていた。クーラーが付きっぱなしになっているようだ。
「ひんやりとしてるな」三上さんが腕を擦った。「なぜだ?」
「クーラーをつけているんです」
「クーラー? なぜ?」
「皆さんの荷物に食べ物が入っているかもしれないですし……。あとはこの部屋には窓がないから、換気のようなものです」
「換気? クーラーで?」
「ええ。これにはそういう機能が付いています」
「へぇ。そういうことが出来るのか。知らなかったな」
サダさんと城木さんは部屋の隅に置かれていたバッグに手をかけていた。
「荷物はこれだけですか?」城木さんはこっちを振り返って言った。
「ええ。それだけです。五人分でしょうか」
「えーと、俺と三上さん、サダさんと、花澤さん、美静さん……のだけですか?」
「はい」三津崎さんは答えた。
「他の人の荷物は?」
「私のものは、箪笥とかに」部屋にある箪笥やクローゼットを三津崎さんは示した。
「俺や熊野くん、社長は荷物なんて持ってきていない」
「なぜですか?」
「意味がないからだよ。全部、保管室にいくし」
「携帯電話とかは?」
僕は首を振った。
「財布とかは? 向こうに戻ったら使うでしょう」
「使わないよ。向こうでは車が待っているからね。すぐに家に直行さ。飲み物とかも用意されているし」八屋さんは言った。
「でも、こっちに来る時は別の服を着ていたでしょう?」
僕は再度首を振った。
「俺と熊野くんは最初からこの服装だよ。昨日の朝、家に直接迎えの車が来たからね」
「田辺社長もそうなのか?」三上さんが聞いた。
「ああ、たぶんな」
たぶん?
僕は八屋さんを見た。
たぶんってどういうことだろうか。社長も荷物を持っていないのだ。どこに着てきた服装があるというのだ。赤いTシャツで来たに決まっているだろうに。
「じゃあ、花澤さんと美静さんはお互いの荷物を。あとは箪笥とクローゼットを調べてもらっていいですか?」
城木さんの言葉に彼女達は頷くと、それに従った。
サダさんと三上さんは、バッグのチャックを開けた。城木さんはバッグの中から服を取りだしていた。
僕は彼らが着てきたものが入っている紙袋を探した。それはバッグとは反対側の隅にあった。
「僕らはこっちを調べましょうか」僕は八屋さんに言った。
「うん」八屋さんは女性達の方を向いた。「服を調べてもいいかな」
彼女達は黙って頷いた。
三つに分かれて、僕らは荷物を調べた。その理由が服に血がついているか否か。そのことに改めて気づくと、僕は違う世界に迷い込んだような気がして、なんだか気が滅入り、胸がむかむかとしてきた。
案の定と言うべきなのだろうか。どの服にも血は付いていなかった。ため息のような、安堵の息のようなものが聞こえた。僕も息を吐いた。それはうんざりとした気持ちのせいだった。
僕らは食堂に戻った。なんだか一気に疲れが押し寄せてきたようだ。瞼が重い。ベッドに行ったら気持ちよく寝られそうだ。
「やっぱり」僕は言った。「やっぱり、外から殺人犯が来たのでは?」
「いや、それはないだろ」三上さんが首を振った。
そうですか、と僕は心の中で呟いた。
今朝に似た重い空気が僕らを押し詰めていた。僕らはどこに入れられるのだろう。そこで社長が待っていないといいけど。
僕は首を揉んだ。なんだか眠い。睡魔が襲ってくるというのは、こういうことなのだろうか。
皆、何も喋ろうとしなかった。それがまた、僕の眠気を誘った。
今何時だろうと、テーブルの上にある時計を見た。午後十二時十分。何も食べていないが……、それよりも部屋に行きたい。精神的に疲れているのかも。そのせいでこんなに眠いのかも。ああ、眠い。
「あの、ひとまず休みませんか」僕は提案した。
「犯人がこの中にいるのに?」サダさんの声は大きかった。
「私、疲れました。なんだか眠いし」美静さんは手で口を抑え、欠伸をした。
「うん。確かに、朝から何も食べていないし……。皆疲れているよな」
八屋さんもなんだか疲れているようだった。顔色がすぐれない。
周りを見てみると、元気なのはサダさんくらいだった。皆、疲れているのか、視線が下を向いていた。
「僕もなんだか疲れました。殺人事件だなんて」城木さんは呟いた。
「一度、部屋で休みましょうよ。誰が犯人でも鍵をかければ大丈夫でしょ?」花澤さんは髪を触った。短い髪が揺れる。
「そうしましょう。昨日の夕食の残りでいいのなら、冷蔵庫に入っていますので」三津崎さんはそう言って、席を立った。
「うーん」
サダさんは渋っているようだったが、渋っているのは彼一人くらいだった。皆、何も言わず立ちあがった。三津崎さんはコーヒーカップをトレイに乗せて、キッチンへ持っていった。カップに入っていた黒い液体が一つ揺れた。僕はそれを見て、何か食べておこうかと考えたが、今は食欲より睡眠欲が勝っていた。ベッドに横になって、目を瞑りたかった。
食堂を一番に出たのは美静さんだった。次に八屋さん、サダさん、その次に僕だった。上へと皆で戻るのは三回目になる。明日には島を出るのだから、きっとこれが最後だ。
ほぼ同時に皆、部屋に入ったように思う。僕はジーンズを脱ぎ、下だけパジャマに着替えた。そして、クーラーをつけてベッドに入った。
まどろみは僕をどこかへ誘っていた。それは大人と少女の間のような、そんな雰囲気だった。手を握り、部屋から僕を連れだす。彼女はどこへ僕を連れていくのだろう。花畑だろうか、平原だろうか、森だろうか、山か、川か、海か。
彼女は走った。僕はそれについていく。夏の太陽光線は僕らを強烈に刺していたが、なぜか僕は平気だった。
少し走ると、そこは畑だった。彼女は僕を畑に連れてきたがっていたのだ。畑には色々な野菜があった。キャベツ、カボチャ、ナスビ、トマト、スイカ。
「すごいね、ここ」僕は驚いた。
「そうでしょ」
「一人で作ったの?」
「そうよ。でも、色々と大変なの」
「そうなんだ……。よかったら手伝おうか?」
「え? 本当に? 嬉しい。でも、あなた陸に住んでいるでしょう? 無理だわ」
「そうだけど、なんならこの島に引っ越してくるよ。それなら大丈夫でしょ」
「本当に? 引っ越してきてくれるの? 一緒に暮らしてくれるの? 嬉しい」
三津崎さんはそう言うと、ひまわりのような雰囲気で微笑んだ。
あの夏の太陽はひまわりだったのかな。僕はそう思った。