犯行時間はいつなのか
コーヒーの香りが部屋を満たすと、少しずつ心が落ち着いていくような気がした。まわりもそうなのか、食堂に降りて来てから一番和やかな雰囲気だった。もちろん昨日の賑やかさはないわけだが。
ほとんどの人が、コーヒーにミルクと砂糖をたっぷりと入れていた。入れていないのは僕と美静さんだけだった。僕はミルクが嫌いだから入れないわけだけど、彼女はどうなのだろうか。皆が入れるから入れないのかもしれないな。そういうところが彼女にあっておかしくないと僕はもう思っていた。昨日、同じような考えの人がいると安心したのが嘘みたいだった。
「この雰囲気のところ悪いんですけど」城木さんが手を上げた。「やっぱり犯人が分からない……。すっきりしたいんですよ。犯人が同じ卓についてコーヒーを飲んでいるというのも、おかしなことだと思いますし」
僕はこの城木さんのことも気になっていた。事件前と事件後では人が変わったようだと思っていた。事件後はなんだか生き生きしているような気がする。
でも、彼の言うことももっともなのかもしれない。社長が殺されたあとだ。もっと殺伐としていてもおかしくない。でも、小説やテレビドラマとは違い、現実はこんなものなのだろう。やれることが限られているせいかもしれない。犯人も僕らも、明日くる船に乗るしかないのだ。
「思ったのですけど、犯人もここから逃げられないんじゃないでしょうか?」三津崎さんがカップを置いた。「ということは、私たちが危ない目に合うことはないのでは? 犯人が知りたいというのは分からないでもないですが、警察に頼るべきではないのでしょうか?」
「確かにそうかもしれませんね」と僕は同調した。
「そうでしょうね。でも、犯人が分かって損なことはないでしょう?」
「そうだな。俺もそう思うよ。犯人が分かってもいいんだ」
城木さんとサダさんは違う意見だった。八屋さんや他の人はどうなのだろうかと、僕は彼らを見てみた。
「俺は知りたい。誰が隠し子かを。誰が定一郎を殺したのかを」
「私は知らなければならない。調査を依頼されているからね」
あとの二人はどうだろうか。
「私は、分かりません。ただ怖いです。できれば、部屋に行きたいです」花澤さんの顔は青白かった。
「私は知りたいですね。証拠はここにあるんだし、ここから離れたら犯人が何か事件に繋がるものを捨てる可能性だってあると思います」
美静さんが犯人探しに同調するとは、はっきり言って思わなかった。てっきり、どうでもいいと言うものだと思っていた。空気を読まなかったり、僕の予想を外したり、何なのだろうこの子は。
「四対三だ」サダはコーヒーを啜った。そして、城木さんに向けて顎をしゃくった。
城木さんは咳をした。
「犯人の動機、八屋さんは、隠し子関連じゃないかと思っているみたいですが、それは犯人にしか分かりません。想像はできますが、確定はできないと思うんです。だから、とりあえずそれは置いておこうと思います。次に俺が知りたいのは、田辺社長はいつ殺されたのかということです」
サダさんは頷いた。
「昨日、俺らはここでパーティーをしました。もちろん、田辺社長は生きていました。次に田辺社長は一人一人を部屋へと呼びました。順番は確か――三上さん、八屋さん、熊野くん、俺、三津崎さん、花澤さん」
「そうだ。そして俺と美静さんは呼ばれなかった」サダさん
が言った。
「そして、朝。八屋さんが、田辺社長が死んでいるのを発見。熊野くんを呼びにいった。俺らはその声で起きて、部屋の外に出た」
「そうですな」三上さんは飲み終えたのか、カップを離れた場所に置いた。
「少なくとも、俺が呼ばれた時は、彼は死んでいなかった。つまり俺は、俺より先に呼ばれた人たちがその時、田辺社長を殺していないということを証明できる」
僕は城木さんよりも早く呼ばれた人たちを見まわした。彼らの表情は険しいままだった。
「俺のその時のアリバイは三津崎さんが証明してくれますよね?」
「ええ。私が部屋に行った時も、社長はいました」
「では、花澤さん」
「はい。ええと、私が部屋に行った時も社長は生きていました」
「それで?」
「え?」
「それでどうしました?」
「ええと、手紙を貰って、眠いから今日はお終いって。そして、手紙を八屋さんに渡してくれって」
「八屋さん、その手紙持っていますか?」
「ああ。たぶん部屋にあるよ」
「そうですか。後で見せてもらっても?」
「かまわない」
城木さんはコーヒーを飲み終わった本物の探偵よりも、探偵のようだった。もちろん僕が知っている探偵は、物語の中のものだが。
「では、次に美静さん」
「はい」
「あなたが社長室のドアを開けた時、どうでした?」
「いいえ。私、社長室なんて行っていません」美静さんはきょとんとした顔をした。
名探偵はリズムを崩されたのか、次の言葉が出てこないようだった。
「……あー、俺たちが食堂から部屋へと戻った時ですよ。美静さんは社長室を自分の部屋と間違えて、ドアを開けましたよね?」
「そうだったかな……。そんな記憶があるような、ないような。寝ぼけていたんですね、私」
僕は笑いそうになった。そして、この子がこの場所に一番似合わないような気がした。いない方が僕らは事実をしっかりと確認できるのではないだろうか。
「開けたんですよ。俺も他の人も見ているんです。まぁ、覚えていないのなら仕方がない」城木さんは話を先に進めた。「そこから朝までのことは、俺には分かりません。夜中に部屋の外に出た人はいますか?」
誰も反応しなかった。僕はシャワーを浴びて寝たが、他の人もそうなのだろうか。
「つまり、それまで皆にはアリバイはないということですね。美静さんが昨日証明した通り、社長室には鍵がかかってなかった。誰でも出入り可能ってことです。社長が途中で起きて鍵をかけない限り、俺らが寝ている間に犯人は彼を殺すことが出来ます」
「なんだ。結局、誰が犯人か分からないじゃないか」本物の探偵は言った。
「ええ。ただ俺は気になったことがあるんです」
「何だ?」八屋さんは真剣な表情だった。本気で犯人を見つけようとしているようだった。
「皆さん、今朝、あの部屋を見ましたか?」
僕は首を振った。恥ずかしながら、いや、当たり前なのかもしれない。死体があるあの部屋を見ることなんて、僕にはできなかった。
「俺と三上さん、サダさん、八屋さんは見たと思います」
「何をですか?」花澤さんは怯えるように聞いた。
「あの部屋の窓、カーテンが開いていたんですよ」
脳裏に昨日見た部屋の光景が浮かんだ。窓から見えるのは星が輝く空、そして暗い海。社長はカーテンを朝、開けたのか? もしくは開けたまま寝た?
「田辺社長はカーテンを開けたまま寝たんでしょうか? それとも朝、カーテンを開けたのでしょうか? ……それとも、カーテンを閉める前に殺されたのでしょうか?」
一瞬だったが、城木さんの顔にあの笑窪が見えたような気がした。
「つまりどういうことだ?」サダさんは眉間に皺を寄せた。
「犯人は社長が起きていた時に、殺人を犯したんじゃないだろうかってことですよ」
「でも、それで犯行時間が特定されるわけでもないだろ?」
「それはそうですね。……ああ、俺が言いたいのはこういうことですよ。犯行時間は夜中じゃない可能性もある」
どうやら彼は名探偵ではなかったようだ。結局彼は、犯行時間に幅を持たせただけだ。犯人には好都合なことかもしれない。だが、彼の言っていることに間違いはなさそうだ。真実に近づいているという気もする。うーん。